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【夏は夜:07】向日葵の君への憧憬
ようやく夏休みが始まった。
俺、大町篤が通っている暁月高校は二期制を取っているので、「1学期」という呼称を使わないのだが、世間で言うところの1学期が終わったのだ。
俺は暑い夏が嫌いではない。
とは言え、本来なら冬のスポーツであるバスケットボールの練習を真夏の体育館でするのは屋外スポーツと同様に過酷である。
インターハイ予選に向けて、バスケ部の練習は基本的に土日以外は毎日ある。土日には練習試合が組まれることもある。
暑さなんかに負けず、県予選に向けてチームのムードは最高潮だ。
自分でもテンションが上がっているのがよくわかる。
部活が忙しいのは俺の望んだことだ。このバスケ部に入るために俺は暁月高校を選んだくらいなのだ。全く問題ない。むしろ大歓迎だ。
問題なのは、部活以外でも忙しいことだ。
部活の練習のない日や部活の練習時間の前後の空き時間には、なし崩しでキャストに選ばれてしまったクラスの文化祭の演劇「Round Bound Wound」の稽古があるのだ。
俺は体がでかいから、昔から学校の行事で演劇がある時には「大町が入るとバランスが崩れる」という理由で、舞台に立つことはあまりなかったし、あったとしても「木」の役しかやったことがない。
小学校の時に付けられたあだ名は「木の役に定評のある大町」だ。
こんな俺に準主役が務まるのか?とかなり心配しているのだが、川上や上田が一緒だから恐らく何とかなりそうな気がする。
春の球技大会のバレーボールの時にはチームの中心の上田が修羅になったが、今回は舞台監督の川上が鬼になっている。
あいつだってサッカー部でレギュラーを争っているだろうに、熱心なことだ。
インターハイ予選の直前には、学校に泊り込んでのバスケ部の合宿があった。
俺にとっては演劇の稽古から解放されてバスケットボールに専念できる嬉しい期間だった。
日程は3泊4日で、学校に寝泊まりしてのバスケ三昧。
朝から夕方まではみっちりバスケの練習。実戦練習が中心だ。
夜は練習試合を録画した映像を見ながら駒根先生と入念なミーティングをした。また、マネージャーが撮ってきてくれた県予選の1回戦で対戦する熊地高校の試合の映像を観ながらの対策会議もあった。
昼間は体、夜は頭を酷使するというハードスケジュールだ。
ちなみに同時期に体育館のもう1面のコートを使って女子バスケ部も合宿をしていた。
俺は練習中に疲労と暑さでもう限界か?と感じると、女子バスケ部の方を眺めた。諏訪先輩の姿を視野に捉えると不思議と力がみなぎってくるのがわかった。
その度に心の中で「諏訪先輩、ありがとうございます」と感謝した。
ミーティングの後は武道場の畳の上で雑魚寝して寝ることになるのだが、当然のごとく先輩たちと「恋バナ」に花が咲いた。いや、咲かされた。
俺たち1年生はクタクタでもまだ体力に余裕のある先輩たちは元気なのだ。
2年生・3年生の先輩たちの約半数には彼女さんがいて、他の学校の女子生徒と付き合っている先輩も結構いたのを知らされて驚いた。
俺たち1年生で彼女のいる奴はいなかったが、それならば、と半ば強制的に自分が好きな女の子の名前を言わされることになった。
武道場の畳の上でくつろいでいる先輩たちの前に1年生は横並びに立たされて、順番に意中の女性を申告させられた。
「はい。僕は、1年A組の下条さんが好きです。バレー部の子で、部活中に必死に練習している姿を見ていて好きになりました」
「僕が好きなのは、同じクラスの子です。1年B組の山形さんが可愛いなって思ってます。照れ屋で未だに男子に慣れてないみたいで、ドジっ子なところも魅力です」
「え~、言わなきゃダメですか?
はい、すみません。言います。
僕は1年C組の豊岡さんが好きです。
テニス部の子なんですけど、よく男子バスケ部の練習を見に来てくれてます」
すると、数人の1年生部員の手が上がり
「先輩、俺もです」
「先輩、僕もです」
「先輩、自分もです」
と同志が殺到した。
豊岡さんという子は凄い人気だなあ!
お前ら、頼むからチーム内でひとりの女の子を巡って喧嘩とかしないでくれよ。
わざわざ練習まで見に来ているなんて、よほどのバスケ好きか、男子バスケ部に誰か好きな奴がいるんだろう。
そのお目当ての部員が好きな豊岡さんのことを好きだと宣言した奴らのうちの誰かであって欲しい。ただ、うちの先輩たちは結構モテる人が多いからあまり試合で活躍を見せられない1年生の部員には望みが薄いかも知れないな?
とにかく驚いたのは、自分の好きな女の子として自分とは別のクラスの女子の名前を挙げている奴が結構いるということだ。
他のクラスの女子のことを俺は全く知らない。
わざわざ他のクラスまで可愛い子をチェックしに行っているのは川上と上田くらいかと思ったが、そうでもないらしい。
そんな風に自己申告していく他の1年生の様子をずっと傍観していたが、ついに俺の番が回って来た。
俺は自分が好きな女子として絶対に諏訪先輩の名前を言わない決心をしていた。女子バスケ部の先輩だし、何より相手に迷惑がかかるといけないからだ。
ならばどう申告するか?
嘘をつくか?
いいや、それは俺のポリシーに反する。
黙秘か?それは許されないだろう?
そんな風に思案していたら、先輩方から
「じゃあ次は、大町か?ええっと、まあいいわ」
とあっさり免除された。
例の「監禁ドラフト」の件もあって遠慮されているのかも知れない。ホッとした。
同じバスケ部のチームメイトたちに嘘をつかなくて済んで良かった。
俺はスルーされたが、残りのふたりはやはり半ば強制的に言わされて、それぞれが
「1年F組の飯島さんです。入学式で一目惚れしました」
「同じクラス、1年E組の生坂さんです。性格も良くって、よく練習を見に来てくれてます」
と答えた。
そうして1年生部員の好きな女の子の申告が終了。
俺たちは解放された。
先輩たちはあくまで単なる1年生部員の通過儀礼として好きな女子の名前を訊いたまでで、それを知って何かをする、ということでもないらしい。
とはいえ、先輩たちも1年生の可愛い女子生徒の名前くらいは覚えたかったのかも知れない。
他の部員たちがそんなことをしている間も、キャプテンの辰野先輩だけはNBL(北米プロバスケットボールリーグ)の試合の動画をひとりでずっと観ていた。
辰野先輩の好きな選手を教えて貰ったことがあるが、いずれもドリブルペネトレイトからの得点やパスを得意とするポイントガードばかりだった。辰野先輩のプレイスタイルに似ているので当然だろう。
辰野先輩はキャプテンとして、エースとして高校最後のインターハイ予選に期するところがあるに違いない。
夏休み前の7月に学校行事としてクラス全員で参加したセミナー合宿の夜にも消灯時間になった後で、川上と上田が「みんなで好きな女子の話をしようぜ」と恋愛トークを始めようとしたことがあった。
俺は意地でも諏訪先輩の名前を出したくなかったし、同じ班の川上と上田と鹿田と国師には相手が誰であれ幸せになって欲しいと願っていたので寝たフリをしていた。
気付いたら俺はそのまま眠ってしまい朝までぐっすりだった。
だから、誰が誰を好きだったのかを知らない。
そんなことを知らなくても良いと思うから別に構わない。
俺が寝たフリをするつもりがそのまま朝まで熟睡してしまうくらい疲れていたのは他でもない。
合宿の行われる研修センターへ向かうバスの中で生きた屍と化していた上田を蘇生しようとサービスエリアの休憩時に奮闘したからである。
その後、バスが研修センターへ到着するまで延々と上田のモテない人生物語を聞かされたからである。
そして、上田の「翼」にもなった。結構重かった。
全部、上田のせいじゃねえか!
まあ楽しかったから結果オーライなんだけどな。
話をバスケ部の合宿に戻す。
合宿最終日に顧問の駒根先生からインターハイの県予選に臨むチームのラインナップが発表された。
俺は1年生では唯一、ベンチ入りメンバーに選ばれた。
背番号は15番だった。バスケットボールは4番から背番号が始まるから15番までの12人が県予選のベンチに入れる。
15番というと、NBLでは俺とは似ても似つかぬプレースタイルのダンク王、ヴィクトル・カーティスくらいしか思い浮かばないが、せっかくいただけたんだ、15番という背番号を好きになろうと思った。
ベンチ入りの12人の枠から漏れてしまい口では「大町、良かったな。俺の分も頑張ってくれよ」と言いながら、解散後に影で泣いていた3年生の先輩たちもいた。
俺にはそんな先輩たちにかける言葉はない。
コート上のプレーでその思いにお返しするしかない。
応援席にいる先輩たちの分も頑張ろうと誓った。
俺がチームの一員として初めて臨んだインターハイの県予選は長いようで短かった。
大勝した1回戦と2回戦の終盤には、俺も試合に出して貰えた。
得点は取れなかったが、何本かリバウンドを取れた。
実感としてやはり高校バスケはフィジカルコンタクトが半端ないのがわかった。
まだまだ俺は中学生みたいなもんだ、と痛感させられた。
練習が足りない。練習しないといけない。練習したい。高校での公式戦を経験した俺は猛烈にそう渇望した。
今年は県予選の準々決勝まで残った。4回戦で敗退した昨年よりも進歩していた。
準々決勝でうちのチームの前に立ちはだかったのは、またしても王者・陵西大附属高校だった。
今年はダブルスコア以上の点差をつけられて負けた。
昨年は同じ相手にトリプルスコアで大敗したのだが、辰野先輩だけは自由にプレー出来ていた。しかし今年は相手からしっかり研究されていて昨年より厳しい徹底的にマークされ、自由にプレーをさせて貰えなかった。
激しいマークを受けながらも辰野先輩はポイントガードとして周りの選手にパスを回してアシストに徹してチーム全員で必死に食らいつき、昨年よりは最終スコアの差は縮まった。
だが、負けた。
みんなで泣いた。
敗戦後、3日間の完全な休養をとった後、新体制の暁月高校男子バスケットボール部が始動した。
新チームのキャプテンは箕輪先輩でポジションはスモールフォワードだ。
前のチームでは、シックスマンだった。
先発メンバーではないがベンチから出場し、チームのムードを変えてくれる重要な点取り屋であった。
NBLでは年間最優秀シックスマン賞という個人タイトルがあるくらい重要な役割であり、高校バスケにおいても、シックスマンの重要性が認識されて来ている。
その箕輪先輩がこれからはキャプテンとして、チームの中心選手として俺たちを引っ張って行く立場になった。
新チームの練習が始まると、すぐに俺は駒根先生から呼ばれた。
センターのポジションには、前のチームでも先発メンバーだった、俺よりも背が高い2年生の小谷先輩がいるので、俺にはパワーフォワードのポジションで練習に加わるようにとの指示が与えられた。
小学校でバスケットボールを始めてから中学まで、ずっとポジションがセンターだったので初めてのコンバートということになる。
新しいポジションに慣れるのは容易くは無かった。
技術面での適応は当然ながら必要だが、ポジションが変われば攻撃でも守備でも担うべき役割が変わるからしっかりとチームの戦術を理解しないといけない。チーム練習で何度もプレーを止められて正しいポジショニングやプレーの選択についてその場で指導を受けた。
そんなフォワードのポジションへの順応過程にある俺だったが、新エースであるスモールフォワードの箕輪先輩やセンターの小谷先輩とのコンビネーションを試して他のフォワードの選手たちと比べられた結果、スターティングメンバーのパワーフォワードの最優力候補になった。
まだ1年生で、俺はそんなに上手くない。
でかいだけの俺でも頑張れば認められる。
俄然やる気が湧いて来た。
目下の課題は、ミドルシュートである。
中学まではずっとセンターだったので、むしろ「外から打つな」とインサイドでのプレーを徹底させられた。
しかし、これからはリバウンドを取るだけではなく、マン・ツー・マンで自分をディフェンスする相手の選手を外へ引っ張り出して、箕輪先輩のドリブルペネトレイトや小谷先輩のインサイドプレーのためにゴール下の空いたスペースを作らないといけない。現代バスケではチームが正しいスペーシングを維持することが重要視されているからだ。
俺は徐々にシュートレンジを広げないといけない。
そのための個人練習の時間は自分で作るしかない。
インターハイ予選後のバスケ部の練習は、午前か午後かどちらか一方だけになった。
体育館の1面では、男子バスケ部と女子バスケ部が午前か午後かに分けてフルコートで練習していることが多かった。
俺はチーム全体での練習の終わった後に必ず毎日のようにシュート練習を続けていた。
バスケットボールは「習慣のスポーツ」だ。
ひたすらに正しいフォームで練習し続けて細かい調整を身体で覚えるしかない。
もちろん駒根先生から技術的な指導を受けているが、それを身につけるのはひたすらの反復練習だ。
俺の尊敬するレブラム・ジョーンズだって、ライバルチームのエースであるケニー・デューラーだってNBLのスター選手たちは毎日必死に練習しているに違いない。
他のチームメイトたちから「大町、いい加減に切り上げて帰れよ」と言われながら最後まで居残りするのが習慣となる程、個人練習を延々と続ける日々であった。
その成果もあって、少しずつシュートフォームも固まって来た実感があった。
そんなある日、午前中の練習が終わって、日課となったシュート練習の最後に、苦手なフリースローの練習をしていると、後ろから女性の声で
「あの?」
と声をかけられた。
しまった、俺は集中しすぎてうっかり女子バスケ部の練習が始まる時間まで居残りしてしまったのか!
反射的に
「すみません。もう終わりますので」
と謝り、声がした方を振り返る。
そこにいたのは紛れも無く、俺が入学式以来ずっと恋い焦がれている諏訪遥香先輩、その人だった。
女子バスケ部はインターハイの県予選の3回戦で敗退した。
新チームのキャプテンは諏訪先輩に決まったと聞いている。
その時の諏訪先輩は向日葵をあしらったシンプルなデザインのTシャツを着ていた。
俺は女の子のファッションのことなんてよくわからないはずだが、そのTシャツはとても似合っている、と感じた。
気のせいか、諏訪先輩は俺を見上げている。
俺の方が諏訪先輩よりも背が高いのは一目瞭然なはずだが。
俺の目の前に突如として現れた憧れの諏訪先輩の姿に見惚れつつ、ついついそんなことを考えてしまったが、俺は不注意で女子バスケ部の練習の邪魔をしてしまっているのだから、そのことを詫びて一刻も早く後片付けをしなければならない。
「もう女バスの練習の時間ですよね?
今すぐ片付けます」
と俺がそこからダッシュでコート中に散らばったボールを集めに行こうとすると、やや困り顔の諏訪先輩は
「いや、ちょっと待って。そうじゃなくて」
と俺を止める。そして
「君、名前は?」
と尋ねた。
憧れの女性から直々に話しかけられているのでとても緊張した。
俺は訊かれた質問に
「はい、1年の大町です」
と端的に答えた。危うく自分の名前を間違えるところだった。
すると、少しだけ微笑んだ諏訪先輩は
「じゃあ、大町くん。私の練習相手になってもらえない?
少しでいいから」
と意外な申し出をした。
「はい、良いですよ」
俺は即答した。
心の中ではガッツポーズをしていた。
いや、心の中では歓喜のあまり踊っていたかもしれない、実際に踊ったことなんて一度もないけれど。
諏訪先輩はホッとした表情で
「ありがとう。
うちのチームには私より背の高い子がいないから、自分より背の高い人と一緒に練習したいの」
と女子バスケ部の現在のチーム事情と俺へ依頼の主旨を伝えてくれた。
俺はその意図を理解した。
後輩なので俺がコートに散らばったボールを集めて、すぐさま練習が始まった。
諏訪先輩がミドルシュートを打つ時にディフェンスをする。
諏訪先輩がドリブルシュートをする時にディフェンスをする。
諏訪先輩がディフェンス練習をするためにゴール下でシュートする。
そんな流れだった。
男子と女子では体格が異なるので、できるだけ接触しないように気を配った。
諏訪先輩は良い匂いがした。シャンプーの香りなのだろうか?
一方、俺は部活の練習の後なので自分が汗臭くないか?とすごく気になった。
そうして、大好きな諏訪先輩と大好きなバスケをするという夢のようなひと時を過ごした。このまま永遠にふたりでバスケットボールをしていたかった。
しかし、三々五々、女子バスケ部の他の部員たちが集まって来た。
体育館の壁時計を一瞥した諏訪先輩は
「もう部活の練習が始まる時間になっちゃったね。
もし良かったら男子バスケ部が先でうちが後の時、また練習に付き合ってくれないかな?」
と嬉しい提案をしてくれた。
俺は心から喜びながら
「もちろんOKです」
と即答した。
いくら疲れていようと、何時間でも練習に付き合いますよ。心の中で誓った。
その後、昼食を食べてからクラスの演劇の練習に参加した。
サッカー部の練習があるため川上が不在なので、井沢さんが舞台監督の代理として川上の演出プランに沿って演技指導をしてくれた。
井沢さんも俺と同じく「貰い事故」で演出助手として演劇に参加している。それを言ったら主演の上田もか?
まあ、細かいことはどうでもいい。
やってみると存外面白いもので、俺の演技が見るに耐えるかどうかはわからないが、やってる本人は結構楽しい。
芝居の中で上田が俺に思いっ切りツッコミを入れるシーンがあったのだが、上田のツッコミはちゃんと痛かった。
先ほどの諏訪先輩との楽しい思い出は夢ではなかったと分かったので嬉しかった。
演劇の練習が終わって帰宅すると、早速シャワーを浴びて夕食を食べた。
午前中はバスケの練習で午後は演劇の稽古と忙しかったが、今日ばかりは疲労感が心地よい。夏バテも吹き飛んだ。
自分の部屋に戻ると、思わずベッドにダイブした。
嬉しすぎてのたうちまわる。
以前、枕で口を押さえて叫んで姉貴に怒られたので、今回は声を出さなかった。
しかし、ドアがノックされると姉貴が入って来て
「あんた、大丈夫?
暑さで壊れたの?」
と予想通り突っ込まれた。
「いや、俺はいたって正気だ」
と平静を装うが、
「そのニヤけ顔で何を言っても無駄よ。
なんかいいことあったでしょ?」
と追及されたので
「いや、何もない」
と否定した。姉貴に根掘り葉掘り訊かれるよりはこれくらいの嘘をつく方がマシである。少しだけ良心が痛んだが仕方ない。
「あっ、そう?」
姉貴は意外にもあっさり引き下がった。
受験生の姉貴にとっても高校3年の夏休みは勝負時なので
「そんなことより、自分の勉強の方はどうなんだ?」
と尋ねてみた。
姉貴の表情が険しくなる。
「あんた、受験生に一番訊いちゃいけないことをいきなり訊いたわね?
忘れてた。あんたはとことん地雷を踏み抜くタイプだったわ」
あ、俺、やっちまったなあ。
しばらく姉貴からの叱責が続くかと思ったが、そんなことはなく
「で、どうなの?クラスの演劇とやらは?」
と尋ねられた。姉貴は根に持つタイプではないのだ。
「ああ、楽しいよ」
俺は本心からそう答えた。
姉貴は腕組みをしながら首を傾げつつ
「しかし、『木の役に定評のある大町』がついに台詞のある役を演じるようになるとは凄いわね。
周りもでかい生徒だらけってこと?
あんたの高校ってさ、身長の高さで入試の合格者を決めてるの?」
と不思議がっていた。
酷い言われようである。
俺が舞台に出演することになったのは川上のせいなので
「まあ、俺の友達が勝手に言い出したことなんだけど、やってみると楽しいよ」
と伝えると、嬉しそうな表情で
「じゃあ、そんなに楽しいなら私が直々に観に行ってあげる」
と言い出した。
それはマズい。
「それだけはマジで勘弁してくれ」
と俺は断固拒否した。
姉貴の眦(まなじり)があがる。
「だって、文化祭には一般公開の日があるんでしょ?」
「そりゃあるけどさ」
それは否定出来ない。
姉貴は意地悪そうに微笑むと
「人様にお見せしている演劇を出演者の身内が見ちゃいけない理由はないでしょ?
やっぱ、最終日の方が舞台が練られてて面白くなってるよね。
だから文化祭の3日目に行こうかな?やっぱり2日目も行っちゃおうかな?」
と楽しそうに俺をからかい始めた。それに対して
「そんなことやってないで、勉強しろ!」
と舌先まで出かかったが、俺は堪えた。
いけない。それ以上はいけない。
代わりに俺は
「まあ、観に来るのはいいけどさ、あんまり目立つ格好で来るなよ。
所詮は学校の文化祭なんだからさ」
と釘を刺しておいた。
どうせ姉貴はうちのクラスの演劇を観に来るつもりだ。
どうせ普段から話題に上る川上や上田に挨拶しに来る気満々だ。
ならば、少なくとも悪目立ちしないようにしなければいけない。
然もなくば俺の高校生活が終わる。
その俺の心中を察したのか、姉貴は嬉しそうに
「わかった。
じゃあ、私は目一杯気合入れてお洒落して行くよ。それで、あんたにつく悪い虫を全部振り払ってあげる。
同じクラスのお友達の皆さんに『どうもうちの篤がお世話になっております』ってしっかり挨拶して回ってあげるから安心して」
と高らかに宣言した。
逆効果だったみたいだ。
「好きにしろ」
と俺は肩を落とすしか無かった。
そんな俺の姿に満足したのか姉貴は自分の部屋に戻って行った。
自分の意思を確かに俺に伝えた、という達成感もあるとは思うが、あの姉貴のことだ、先程の俺のニヤけ顔の意味を恐らくお見通しだろう。俺の弱みを握ったことに満足しての撤退だと考えた方が良さそうだ。
その後も、夏休みの間はだいたい1日おきに男子バスケ部が午前中に練習し、俺は最後のひとりになるまで居残り練習をして、その後で諏訪先輩と一緒に練習するという夢のような日々が続いた。
そんなある日のこと。
俺がNBLのクリーブランドのTシャツを着ているのを見て、諏訪先輩は訊いてきた。
「大町くんはNBLとか好きなの?」
「大好きです」
と俺は即答した。
もちろん、ダブルミーニングである。NBLも諏訪先輩も大好きです。
「うちは有料放送とかネット配信とか親が許してくれないからNBLを観たくても観られないのよ。
録画した試合の映像とか保存してある?」
と訊かれた。やはり女子のバスケ選手もNBLに興味があるのだな。同じ競技者として当然か?
「はい、一度観て『良い試合だな』と思ったらBlu-ray Discにダビングしてあります」
と答えた。
早速、俺の脳内で過去のアーカイブの検索が始まっていた。
諏訪先輩はしばらく間を置いてから、小さく頷き
「もし良かったら、試合を録画したBlu-rayを私に貸してくれないかな?
やっぱり一流の選手たちのプレーを観て勉強したいのよ」
とお願いして来た。
「もちろんOKです!」
と俺は応答した。
Blu-rayをお貸しすることはもちろん、諏訪先輩に言われたなら大概のことはOKです。これもダブルミーニングだ。
「私はNBLのことを全然詳しくないからどのチームのどの試合を観ると良いのかは大町くん任せるわ。そのTシャツは23番?」
「はい、”キング”ことレブラム・ジョーンズです。
でも、先輩はレブラムと違って、ポジションがパワーフォワードですよね」
レブラムは俺とはポジションもプレースタイルも全然違うけど、俺が一番好きな選手だ。
諏訪先輩は俺の言葉に不機嫌になった。
「あのね、女の子に『パワー』フォワードなんて言わないで!」
「すみません。『4番ポジション』ですよね。
先輩みたいに背が高くてスピードもあって外からも打てる選手なら、同じクリーブランドのケルヴィン・ルフやゴールデンステートに移籍したケニー・デューラーあたりのプレーを参考にしたらいいんじゃないでしょうか?」
慌ててフォローする。
危うく、姉貴の言ったように「地雷を踏み抜く」ところだった。
俺の弁明が功を奏したのか、諏訪先輩はまた柔和な表情に戻った。
「へえ~。やっぱり詳しいんだね。じゃあその選手たちの試合をお願いできるかな?」
と重ねて頼まれたので
「それから、数シーズン前のNBLファイナルが胸熱だったのでそれもお貸ししますよ。
俺、Game 7を観てて泣いちゃいました」
と俺が一番気に入っているプレーオフの決勝戦シリーズを勧めた。
これは近年のNBLを語る上で外せない。
第7戦でのレブラムの神がかったプレーはいつ観ても泣ける。
俺が熱弁したのを聞いて、諏訪先輩は嬉しそうに
「観てるファンを男泣きさせる試合だったのね。ぜひ見たいわ」
と興味を持ってくれたので俺まで嬉しくなった。
「分かりました、今度まとめてお貸しします」
そう約束して、その日は別れた。
俺はその晩、部屋のdynabookで過去のNBLアーカイブを観ながら遅くまで諏訪先輩にお貸しするBlu-ray Discの選択を悩み続けて深夜まで起きていた。
すると、ドアをノックして入って来た姉貴に
「あんたはデートに着ていく服を選ぶのに悩む女子か?」
と突っ込まれた。
正解です。
姉貴の洞察力の鋭さが、正直怖いです。
その翌々日のこと。
午前中の男子バスケ部の練習が終わった後に俺が居残り練習をしていると諏訪先輩がコートに現れた。
その日は久しぶりに向日葵のTシャツ。やっぱりとても似合っている。
早速、コートサイドに置いてあった正清堂書店の紙袋に入った10枚ほどのBlu-ray Discを渡した。その際に
「一応、『ゴールデンステートの35番がケニー・デューラーです』という感じの説明書きはケースの中に入れておいたのでいきなり観ていただいても困らないと思います。
俺が書いたものですが、何も解説がないよりはマシかと思ったので」
と簡単な説明を添えた。
諏訪先輩は嬉しそうに紙袋の中のBlu-ray Discを確認していた。
もう渡すべきものはお渡ししたので、諏訪先輩が紙袋から目線を上げたタイミングで
「じゃあ練習を始めますか?」
と俺が声をかけると
「あ~、ちょっと待って!
NBLの試合を観て質問したいことがあった時とか返却する時の約束とか、連絡取りたいかも知れないから連絡先を教えて?」
と諏訪先輩からまさかのお言葉が返って来た!
あまりのことに、俺は頭が真っ白になったが、残念な事実を思い出して
「すみません。iPhoneは部室に置いていあるんです」
と答える。
自分の要領の悪さにがっかりした。
だが諏訪先輩は笑顔のまま
「でも自分の連絡先はわかるでしょ?」
と諏訪先輩は提案してくれた。
優しい。
もう1回チャンスが来た。
リバウンドは死ぬ気でもぎ取れ!って昔、中学時代のバスケ部の顧問に言われたなあ。今がまさにその時だ。
だが、こういう時は大抵DINEのアカウントを教え合うことが多いらしいので、若干気落ちしながら
「はい。
でも、俺、DINEはやってないですよ」
と正直に答える。
すると、諏訪先輩は些かはにかみながら
「奇遇ね、私も使ってないの。
だから電話番号とメールアドレスを教えて」
と俺に要望すると
「ちょっと待ってね」
と一言声をかけてから紙袋をその場に残し、コートサイドにある自分の鞄を取りに行った。
諏訪先輩は戻ってくると手にした水色のトートバッグの中から大人っぽいシンプルなケースに入っているiPhoneを取り出した。
防御力重視のゴツいカバーのついている俺のiPhoneとは明らかに別の女性用アクセサリーに見えた。
諏訪先輩がiPhoneを操作して新しい連絡先を作成する準備が整い
「じゃあ、お願い」
と声がかかったので
「えーと、まず名前は大町篤、大きな町、田んぼの田に丁の方、竹冠の下に馬で篤です。電話番号は090********です」
と俺は連絡先を伝えた。
「メールアドレスは、スマホとパソコンとどっちがいいですか?」
と尋ねると
「両方お願い」
と即答された。
「スマホのメールアドレスはローマ字で、atsushiomachi@」
と伝えようとすると、
「ちょっと待って、もし良ければここに入力してもらえる?綴りが間違っているといけないから」
と制止され、自然な所作で自分のiPhoneを俺に渡した。
女性らしいお洒落なデザインのケースに入ったiPhoneだ。
しかも諏訪先輩の私物だ!
落ち着け、俺!
画面を見るとちゃんと”大町篤/おおまちあつし”の連絡先カードが作成されている。
「はい、では自分で入力させていただきます」
俺は震える手で自分のスマホとパソコンのメールアドレスを入力した。
何度も確認した後、
「時間かかっちゃってすみません。つい緊張しちゃって」
と正直に心中を明かして先輩にiPhoneを返した。
諏訪先輩は連絡カードが記入されていることを確認して穏やかな笑顔を浮かべてから一転、照れ臭そうに
「それは私も一緒だよ」
と答えて、踵を返すと自分のバッグと俺から渡された紙袋をコートサイドに置きに行った。
戻って来ると
「じゃあ練習を始めようか」
と声をかけて、いつも通りに練習が始まった。
しばらく経って、女子バスケ部の部員たちが集まってくると、
「今日もありがとう。
私の方からも後でちゃんと連絡先を伝えるね。
今から練習だから、ごめん」
という言葉で個人練習を終えた。
「はい、それで構いません」
俺はそう答えて別れた。
その日は午後から演劇の練習がなかったので、そのまま帰宅してシャワーを浴びて昼寝をした
気付いたらもう夜になっていた。
マズい。寝過ごした。
すかさず枕元のiPhoneを手に取り、諏訪先輩からの電話がなかったか?メールが来ていないか?を確認した。幸か不幸か、先輩から電話はかかって来ていないし、メールも来てなかった。
続けてパソコンのメールも確認した。メールは届いていなかった。
ちょうど夕食の時間だったので家族と一緒に食べ、久しぶりに勉強しようと机に向かってみたのだが、諏訪先輩からいつ連絡が来るか分からないのでどうしても気になってしまい気もそぞろであった。
しかし、いくら待ったところで一向に諏訪先輩からの連絡は来ない。
もう日付が変わろうとしている。
仕方がない。もう遅いから寝よう。
悲しいけれど、あれは社交辞令だったのだな。
諏訪先輩、優しさをありがとう。
その優しさを胸に俺は強く生きて行くよ。
だが、もちろん、何事もなかったように俺は今後も諏訪先輩の練習には付き合う。
男が一度した約束はそんなことでは破れない。
俺は強く心に誓った。
とはいえ、流石に心の底ではかなり落ち込んだのだろう、疲労がどっと押し寄せて来たのでそのままベッドに寝た。
一旦は部屋の灯りを落としたのだが、クラスの演劇の台詞で分からないところがあったことを思い出し、不確かだった単語の意味を調べるためにdynabookを開いた。
やはりインターネットは便利だ。
なるほど、「頭」とはそういう意味だったのか!と判明して合点がいった。
そして「我ながら未練がましいな」と思いつつ、やっぱりもう一度だけ、と最後のメールチェックをしてみた。
すると、見慣れないアドレスから1件のメールが来ていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
件名:諏訪です。
大町くんへ
いつも練習に付き合ってくれてありがとう。
おかげさまでいい練習ができています。
最近は女子でも強豪チームには大町くんと同じくらいの身長の選手がいるので、試合でマッチアップするのにいつも苦労しています。
おかげさまで自分より背の高い相手への苦手意識が減ったと思います。
ありがとう。
それから、せっかく連絡先を教えてもらったのに返事が遅れてすみません。
実は、ひとつでもNBLの試合を観てからメールを送りたかったので、こんなに遅くなりました。
ごめんね。
今日は、大町くんが感動したというNBLファイナルの第1戦を観ました。
ゴールデンステートの選手の中にケニー・デューラー選手を探したけれど全然どこにもいなくて戸惑いました。まだ移籍して来る前だったのね。
きちんと説明書きを読まなきゃだめね。
レブラムはすごいですね。あれだけ上手くて強くてポイントガードとしても優秀で。大町くんが憧れるのも当然です。
それに、とにかくゴールデンステートがとても強いのがわかりました。プロってあんなに遠くからでもスリーポイントシュートを決められるのね、驚きです。
クリーブランドの選手の中では大町くんがお勧めしていた0番のケルヴィン・ルフ選手も上手いですが、インサイドで体を張って驚異的にリバウンドを取っている13番のジーク・トマソン選手が縁の下の力持ちで印象に残りました。
この試合は大差でクリーブランドが負けましたが、大町くんの話からこのファイナルが第7戦までもつれるのがわかっているので(こういうネタバレは気にしないから安心してね)、今後の展開が楽しみです。
面白い試合のBlu-rayをありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
それから、私の連絡先です。
iPhone:***-****-****
iPhone mail address:haruka_suwa@******.ne.jp
PC mail address:haruka_suwa@******.ne.jp
諏訪遥香
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おお~!
諏訪先輩からのメールだ~!
しかも、諏訪先輩の方から連絡先を俺にくれた!
俺はバスケをやってたことをこれほど嬉しく思ったことはない。
俺は震える手でdynabookのメールソフトのアドレス帳に「諏訪遥香先輩」という項目を作り、メールにあった連絡先を入力した。
iPhoneを確認すると、先程と同じ文面のメールが送られていたので、それを消さないように慎重に操作しながら、連絡先に「諏訪遥香先輩」のカードを作った。
それから、諏訪先輩へ返事のメールを書くことにした。
どうやって書けばいいんだ?
悩む、悩む、悩む。
もしかしたら向こうだって俺からの返事を待っているかも知れない。
いつまでも悩んでばかりはいられない。
「兵は拙速を尊ぶ」とも言われる通り、今はともかくいち早くお礼を伝えるべきだ。
遅くなってはいけない。
ただ要件を伝えるだけでは無く、いつも姉貴から「女の子のファッションを誉めるくらいのことは最低限しなさい」と厳命されているのを思い出し、「先輩の向日葵のTシャツはとても似合ってます」と一言添えた。
そんなメールを必死に書いてようやく送信した後で、冷静になって改めて文面を読み返した。
案の定、「俺が書いた全ての駄文を生まれる前に消し去りたい」と誰かさんにお願いしたくなるような無様な文章だった。
恥ずかしかったし、二度と思い出したくもない。そのメールのことは封印することにした。もう読み返すのは止めよう。
すると、数分後に返信があった。
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件名:向日葵(Re:大町です)
大町くんへ
お返事ありがとう。
私が先輩だからってそんなに緊張しなくてもいいよ。
じゃ、これからもよろしくね。
お休みなさい。
追伸
ところで、向日葵の花言葉って知ってる?
諏訪遥香
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おおー!
憧れの諏訪先輩から「お休みなさい」なんて言われた!
姉貴にも言われたことないのに。
俺は追伸の一文がとても気になったので、すぐさま「向日葵 花言葉」とネットで検索した。
検索結果として表示された「花言葉を紹介するサイト」のひとつを開いて見てみる。
そこには
<◎向日葵の花言葉:「あなただけを見つめている」「愛慕」「崇拝」>
と表記されていた。
なんという直情的な花言葉だ!
それを俺に調べさせて、なんの意味があるのか?
向日葵の花言葉を問いかけた諏訪先輩の意図がどこにあるのかはさておき、この2通目のメールに対して「お休みなさい」と返事をするかどうか30分ほど悩んだが、これ以上はしつこいだろう、ということで自重した。
俺はその晩、興奮して全く眠れなかった。
(続く)
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