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 嗚呼、駄目だ。やっぱりこれだ。原因はこれだ。涙腺が緩んでくるのがわかる。まだ若かった頃の私が、未来の私の承諾もなしにした約束。三六歳になってデビューできれいなければ小説を諦める。そんな一方的な約束、守らないといけないわけじゃないのだけれど。そうやって追い詰められてしまっている自分の惨めさは痛ましい。 「大丈夫ですか? 坂上さん?」 「え……、あ……、うん。何だろうね? なんでだろうね」  嗚呼、やばい。私、今日、情緒不安定だわ。もはや不審者だわ。  自分に約束した期限の三六歳の誕生日は昨日に過ぎた。今も二本の長編小説が新人賞で選考中だし、短編コンテストで審査中の作品だっていくつかある。WEB小説はあまり書かないのだけれど、そこに掲載した過去作品を見つけてくれた出版社からお声がけいただける可能性だってゼロじゃない。――でもそう思えば思うほど、何も変わらない何者でもない自分に気づくのだ。三六歳になってデビューできていなければ小説を諦める。そんなことを言っていた自分が、今、三六歳になってここにいる。 「――映画、大丈夫ですか? もし調子が悪いようなら、日を改めます? 僕は構わないですけれど……」 「あ、うん……。どうだろう。そうなのかな。それがいいのかもね」  涙が止まらない。口許は笑っているんだよ。  今の私は、横井くんにどういう風に見えているのだろうか。  今の私は、昔、筆を折ってきた友人たちにどういう風に見えているのだろうか。  今の私は、二四歳の私にどういう風に見えているのだろうか。  今の私は、これまでに私が書いてきた幾人もの主人公たちにどういう風に見えているのだろうか。  それがわからない。  でも、それがわかったからって、何ひとつ変わらない。 「ねぇ、横井くん。横井くんはどうして行政書士の専門学校に通っているの?」  そんな質問が口を突いて飛び出した。  掴んでいた紙カップのコーヒーを横井くんは下ろす。細い縁の眼鏡の奥の瞳が少し動いて天井を見上げた。 「たぶん、坂上さんと一緒だと思いますけれど?」 「私、そんな理由、話したりしたっけ?」
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