秘め事は薄闇の中に

3/7
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 貴族街には煌々と街灯がともり、だからこそ光が届かない場所は闇が深い。  誰にも見咎められることもなく忍び寄り、鉄柵を超える。敷き詰められた芝生は音を吸収し、辺りに響くことはない。  砂利の音ひとつしないかわりに、貴族の邸では護衛を雇い、一日中こき使っているのだろう。  まったくお気楽なことだ――と内心で呟きながら、そそくさと裏口へまわる。  夜間この家には誰もいなくなるけれど、簡素な黒い服装のままで庭に立っているのは心もとない。まして今は頭部を覆った布が避け、顔の片方が露出してしまっている状態だ。こんな扮装を見られたら、「通報してください」と言っているようなものだろう。  中へ入って鍵をかけ、自分の部屋へ向かう。平屋建てのなか、一部分だけ上に突き出したようになっているそこが私室だ。もともとは倉庫として使っていた場所を与えられている。  軋んだ音を立てる階段を上がり、室内へ入って息をつく。引き出しから取り出した手鏡で確認すると、想像以上にひどい状態だった。  頭に巻きつけた布をほどくと、押しこめていた錆色の髪が背中へ流れる。続いて黒いシャツを脱ぐと、胸に巻いていた布を緩める。決して大きくはないけれど、それなりに潰してある胸は息苦しく、ようやっと解放感がやってきた。  椅子の背にかけてあった寝間着を頭からかぶるとズボンを脱ぎ、寝台に腰かける。 「あー、疲れた」  小さく声に出して、シャリーマはシーツの上に転がった。  マレート領を暗躍する「ノクス」と呼ばれる怪盗は、こうして今日の仕事を終えた。  走りまわって疲れた身体をほぐしておきたいところだが、そうもいかない。深夜に湯を沸かす行為は、主人の命がないかぎり難しい。シャリーマはこの家に仕えるメイドであり、勝手はできない。  今日はもう寝て、明日、どこか火が使える時間帯に身体でも拭こう。  こんなときは、使用人の数が少ない邸宅は便利だと思う。  常駐しているのはシャリーマだけで、あとは通いの者が数名と、昼間であれば自由のきく環境にある。  ノクスに扮するための衣服を簡単に畳むと麻袋に入れて、床板の一部を外して収納する。家の掃除をしているときに見つけた、隠し場所だった。  かつて、この邸は偏屈な資産家が住んでいたらしく、似たような「秘密の場所」がいくつもあるのだ。  金や宝石などを隠していたのだろう。それらは彼が死んだあとに親族によって家探しされ、根こそぎ持っていかれているらしい。  あばら家のようになっていた、いわく付きの邸を買い取って、自身の住む場所とした主人は相当な変わり者だと思う。なにしろ貴族のくせに、身元も定かではない孤児のシャリーマを雇用するぐらいだ。  改めてそこに思考が行き着いて、ひとつ息を吐く。  己がおこなっていること。怪盗などと称されて、もてはやされるとは想像していなかったけれど、それはそれで都合がいい。真実が闇に葬られてしまう確率が下がる。明るみに出て、領主が罰せられる糸口になってくれるのならば、自分の存在なんてどうとでもなるのだ。 (……先生は、喜ばないかもしれないけど)  シャリーマが暮らしていたニール孤児院。その院長を務めていたダリオ・ニールは殺された。少なくともシャリーマはそう思っている。  慈善家ぶって子どもたちを引き取り、それを奴隷として外国へ売っていた男。何食わぬ顔をしてこの国に辿り着き、前領主を病に追いやって跡を継いだのが、マレート領主のプラエド・アルパガスだ。  彼が持っているはずの師の形見を探し出すことが、シャリーマの真の目的である。  師を思うとき、常に胸が痛む。  焼失した孤児院、共に暮らしたシャリーマにとっての家族はもういない。自分は独りだ。  上掛けをかぶって、瞳を閉じる。  寝よう。寝るにかぎる。どうせ主人は今晩は帰ってこない。  明日の朝、笑顔で出迎えるためにも、シャリーマは無理やりに思考を閉じて、眠りについた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!