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友人が帰ったあと、アレスタシオンは頭を悩ませていた。
彼が訪ねてきたのは、昨夜の件だった。
町の司法局に勤める彼も、ノクスの捕縛について領主から厳命されている立場。賊と対峙し、あるものを受け取ったアレスタシオンに、見舞がてら報告にやってきたのだ。
袋の中身は薬物。それも違法性の高いもの。中毒症状を引き起こす可能性を孕んだ、危険なものであるらしい。
主成分に問題はない。一般的な麻酔薬として使われるもので、国内でも簡単に手に入る。
しかし、そこに混合されている別の薬が問題だった。
隣国で流通している新しい危険薬物は常習性も高く、廃人同然と化している人も少なくないという。
最近増えた変死の原因はこの薬ではないかというのが、司法局の見解だ。
領主であるアルパガス卿は、長く隣国で暮らしていた。そのため、あちらの既知が訪ねてくることも多く、独自のルートで交易もある。
もたらされる利も大いにあり、それらは決して悪いことではないのだが、いかんせん彼には黒い噂が絶えない。領主自身が薬の取引を手引きしている可能性が、ないとはいいきれない。確たる証拠もなく動けないことを苦慮しているのは、司法局のほうだろう。
――いっそノクスが決定的なものでも盗んでくれりゃ、こっちも踏みこんでいけるんだけどな。
グランツが呟いた言葉を思い出し、アレスタシオンは眉をひそめる。
まるで犯罪を許容するかのような発言は、いままでなら不愉快に感じたものだが、昨晩の邂逅を経て気持ちが揺らいでいる。
月光を背にした細いシルエットに、はらりと舞った鮮やかな赤髪。
薄闇の中で、ほんのわずか覗いた素顔。
丸みを帯びた頬は、青白く光って見えた。
――ノクスと会話して情でも移ったのか? だってあれ、女だろ
身体つきから、そうじゃないかと踏んでいるんだと笑って告げた友人の弁を思い出したとき、部屋の扉が叩かれた。
「旦那さま。お茶をお持ちいたしました」
「ああ」
「失礼いたします」
軽く頭を下げて、シャリーマが入ってきた。固く縛った赤髪が、窓から射しこむ光に照らされ炎のように揺らめいている。
言葉少なく静かに、抑えた音量で発する声は心地よく、いつもはアレスタシオンの心を落ち着かせるが、今日はそうではない。
カップを置く右手には、昨日まではなかった傷が斜めに走っており、ついそれを眺めてしまう。視線を感じたシャリーマが慌てたようすで手を引こうとし、追うようにその細腕を掴む。
「傷の、手当てを」
「すみません、御見苦しいものを。調理中に、少々ヘマをしました」
「――すまない」
「いえ。悪いのはわたし。すべて、わたしの責です。旦那さまが謝る必要はございません」
強く言いきった彼女の顔に目を向ける。
この国ではあまり見ない琥珀色の瞳。孤児で、両親の生まれも知れないという彼女は自身の容姿を嫌っているらしいが、アレスタシオンはそれらを美しいと思う。
思い出すのは出会いの時。
捜査で訪れた、不法な花街の一室。
明かりを落とした薄暗い部屋の壁に映る影は、彼女の身体をより細く見せており、アレスタシオンは戸惑った。緊張しているのか指先は震え、けれどなにかの覚悟を秘めた瞳だけは鮮やかにこちらを見据える。燃えるような赤髪とともに、それはひどく印象に残った。
きっぱりと線を引き、踏みこませない彼女の内心を知ることはできない。
関わらせてはくれないのだろうか。
息を吐き、アレスタシオンは彼女の手を取り引き寄せた。あの頃よりも肉がつき、滑らかになった肌が心地いい。流れ出た血が固まった傷跡に唇を寄せる。
「だ、旦那さま?」
耳に届いた上擦った声に頬を緩ませたあと、アレスタシオンは表情を戻して顔をあげた。
「あまり無理はしないように」
告げた言葉に、「むしろ、楽をしてばかりですよ」とシャリーマは困ったように微笑み、アレスタシオンの胸はちくりと痛んだ。
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