プロローグ

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プロローグ

 秋の色を落とし始めた十月。  山間の合間を高速バスは順調に走行していた。降り注ぐ大粒の雨が窓を叩く音がやけに大きく響き、紅葉を浮かべ始めた山々に次の季節へ移るのだと知らせている。  三列シートの席は半分ほど埋まり、スマホでも触っているのか誰も声を発することなく、行儀よく走行するバスに身を委ねていた。名古屋から富山県まで四時間と少し。  香月新(こうづきあらた)は密室のこもった気圧を過敏に感じながら、首の後ろにそっと手をあてた。無駄だとわかっていても、崩れそうな積み木を支えるように。  ――つい先月まではただの違和感だけだった。  それが指先にまで痺れが達し、料理人として致命的であるため、地元の整形外科で治療を受けていた。しかし、ひと月経過しても改善はなく、むしろ一週間という短期間に右半身がほぼ動かなくなるほど悪化した。  ――これは頸椎板(けいついかんばん)ヘルニアではないかもしれない。  抱いた不安にセカンドオピニオンとして県外の頸椎脊髄専門病院を尋ねた。そこで新を襲った病名が告知された。 「これは縦後靱帯骨化症(こうじゅうじんたいこっかしょう)です」  初老の医者は、CTの画像を見せ、頸椎のなかにある小さな点を指し、新しい発見をした子供のように言った。 「頸椎のここ。ここに小さく映っているものは骨ね。これが神経を圧迫して運動障害を起こしているんですよ。いま、香月さんの頸椎のなかは一日に十万個の細胞が死んでいる状態です」  手術をすれば治ると思った。圧迫する骨を取り除いてしまえば完治するのだと。  けれど医者は、物語の結末を告げるように告げた。 「この病気は難病指定されているもので、治療法がない病気です。手術をしてある程度もどる方もいれば、半身麻痺――歩行障害、筋力低下などの障がいが残る方もいます。幸い香月さんは発症して三ヶ月経過していないので、手術をすれば進行を食い止められる可能性は高いです」  医者はそこまで語り、椅子をキシリと回して新に向き合い、こう言った。 「ですが三ヶ月をすぎれば、頸椎の細胞が死滅してしまい、手術する意味はありません。車椅子の生活になります。手術を受けられますか?」    選択肢はない。   新は料理人ではなくなり、日常を失うという嵐のなかに投げ出された。
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