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「そっか、よかった。じゃあ、お先に失礼します」
軽い調子で声をかけて会社を出ると、空は綺麗な夕暮れだった。空気は夏らしく熱を帯び、湿気を伴って肌に張り付き微かな不快感を訴える。
さて、スーパーに寄って、食材を買って帰るか。
……『あの男』はまた家に来てるのかな。
私は『来るな』と言ってもやって来る男の顔を思い浮かべて、一つ息を吐いた。
自宅アパートの近所にある小さなスーパーに寄って、玉ねぎ、人参、じゃがいも、ナス……野菜を適当に買い物カゴに放り込む。
調味料で足りていないものはあったかな。……コンソメがなかった気がする。『あの男』は『無添加のものじゃないと体に悪い』だなんていつもうるさいから、気をつけて買わないと。
成分表示を確認しながら、調味料もカゴに入れていく。最後に酒類のコーナーでたっぷり悩んで、ちょっと贅沢なビールを六缶カゴに追加。
そして会計を済ませると、重いビニール袋をぶら下げて私は帰途に就いたのだった。
「おかえり! 今日は早かったね」
アパートの薄い扉を開けると、一人の男が私を出迎えた。
――美形だ。いつ見てもまぶしい絶世の美形だ。
ゆるやかなウエーブを描く腰までの艶やかな金髪、空の色の大きな瞳。物語の王子様のように整った絶世の美貌。……そして頭には山羊のような大きな角が二本。青のジャージを着ている上半身は人間のものだけれど、なにも着ていない下半身はもふもふの白い毛に包まれた山羊のものだ。ちなみにケンタウロスのように四足ではなく、二足歩行である。
「エルゥ、また来たの? そして下は履け!」
「履かなきゃダメ? 窮屈で……」
「いいから、履け!」
男性のシンボルはもふもふに包まれて見えないけれど、下半身裸の男が部屋にいるのは落ち着かない。しかもエルゥは気分で下半身を人間のものにするから……その。考えてみたら脱いでいいわけがないな!?
「蹄でジャージ破いちゃうかも……」
「せからしか! くらすぞ! 早く履け!」
方言もあらわに強めに怒ると、エルゥはしぶしぶという表情でボクサーパンツとジャージを履いた。毛がもふもふとしていて、非常に履き心地が悪そうだ。人間の下半身になればいいのにと思うけれど、それも微妙に窮屈らしい。
ちなみにジャージは、通販で私が買ってやったものだ。こいつは人の世界の金銭を持ち合わせていない。
――この見た目でわかるとおり、エルゥは人間ではない。
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