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MK5
見つめ合った二人は、片方は驚いたように、もう片方は穏やかな顔で向かい合っていた。簡素な丸椅子に腰掛けた有起哉は、無機質な白いシーツに横たわる親友と目の前の朧げながら確かな輪郭を持った人影を何度も見比べていた。
「これって、え?……なに」
「お前に言わなくちゃいけないことがあって」
「でも、お前は今そこに」
ピッピッピッと規則正しい電子音だけが無常に鳴る病室で、親友である飛鳥は身動ぎせずに眠っていた。
「うん、あんなことになって、まさかこんなことになるなんてな」
「でも」
「漫画とかではよく見るけどまさか自分が体験するなんて思ってもみなかったよ」
これが最初で最後だろうけど。
そう言って飛鳥は切なそうに笑った。
有起哉が飛鳥と最後に話したのは、昨日の夕方だった。授業が終わって今日は飲みに行こうと言う飛鳥に連れられていつもの居酒屋でビールを三杯、酒に弱い有起哉はそれだけでふわふわしていた。就活帰りの飛鳥の面接官の悪口を聞きながら気持ちよく飲んだ。明日も午前から面接だと言う飛鳥を無理やり引っ張って店を出たのが23時のこと。最後に見たのは笑って手を振る姿……。
飛鳥はそのスーツ姿のままベッドに横たわっていた。
「せっかく買ったスーツもボロボロだ」
「……そうだな」
「まだ3回しか着てないのに。こんなことならもっと安いやつにしておけば良かった」
「でもお前はそれが一番似合ってたよ」
「うん、お前がそう言ってくれたからこれにしたんだ。ちょっと高かったけど」
大学も3回生になった時に就活に向けてスーツを買いに二人で量販店に行った。あれでもないこれでもないと二人で店中を見回って、試着して、やっと決めたスーツ。
「お前はいっつもそうだよな」
「何が?」
「人の意見に流されやすいって言うか」
「そうか?」
「そうだよ。スニーカーとか、カバンとか、バイトだってそれこそサークルも」
同じクラスにいた二人は、同じ大学を志望していたことで急速に仲良くなった。二人とも大学に合格して、学部こそ違ったけれど他に知り合いのいない土地でお互いの存在は心強かった。それぞれに友達ができても二人でいることは多かったし、有起哉がそうしようと言えばサークルもアルバイトも飛鳥は同じものを選んだ。
「俺は優柔不断だし、しかも人見知りだからお前が引っ張っていってくれなかったらきっと引きこもりの大学生活だったよ」
「まあ、確かにそうかも」
「お前のおかげで楽しかった」
「何言ってんだ、まだ就活も卒論もイベントは残ってんだぞ。そんな終わったみたいな顔……」
「終わったんだよ」
静かな断言に有起哉は言葉を切った。
「本当にお前のおかげなんだ。お前と一緒にいることは居心地が良くて、楽しくて……なんでも一緒だったから」
「そんなの俺だって同じだ」
飛鳥が困ったように笑う。
「違うんだ。俺とお前じゃ……」
「何が違うって言うんだ」
「俺はきっとお前が一緒じゃなかったら、地元を離れるなんてこともできなかったし」
「俺だってお前がいたから心強かったよ」
「俺だってそうだけど、それだけじゃなくて」
飛鳥が切なそうに眉を寄せる。一瞬、その朧げな姿が揺らいだように有起哉には見えた。
「俺はずっと、お前のことが好きだったから」
だから一緒にいたんだ。
そんなふうに思われているなんて思ってもみなかった有起哉が、ぽかんと口を開ける。その癖はなんとかした方がいいなと飛鳥が屈託なく笑う。
「俺はもう注意してやれないから」
「そんな、そんなこと急に言われて、も」
「ごめん。困らせるって分かってたから一生言わないつもりだった。友達のままでいいって思ってたんだけど」
病室の白いカーテンがふんわりと膨らんだ。冬の朝の清浄な空気が有起哉の前髪を揺らす。けれど笑ったままの飛鳥の髪はぴくりともしなかった。
「後悔しそうだったから……未練が残ったら逝けなさそうだろ?」
「そんなの、でも」
「お前に引っ張られていろんなところに行くのが好きだった。笑い方も漫画を読んですぐ泣いちゃうとこも些細なことで傷つくナイーブなとこも、言い出したらキリがないくらい」
飛鳥の姿を透かして磨りガラスのように見えていた窓が晴れ渡った青色をし始める。声だけがまだ明瞭なまま。
「好きだったよ」
「飛鳥、」
「そろそろ限界だ」
「待って」
「ごめんな、今までありがとう」
「飛鳥!」
朧げだった影は、ろうそくの火のように風に揺れて消えた。
「飛鳥?」
追いかけるように呼びかけた声に返事はない。
昨日、飛鳥と別れたあと有起哉は自宅に帰るとアルコールの力もあってぐっすりと眠った。そして明る朝早く、アラームよりも先に携帯電話に着信があったのだ。見ればそれは飛鳥の兄からで、弟が病院に運ばれたから悪いが代わりに見に行ってくれと言う電話だった。飛鳥の兄とは何度も会ったことがあって、その度に人見知りでちょっとそそっかしい弟をよろしくと言われたものだ。
慌てて駆けつけた病院で見たのは昨日別れた時のままの姿でベッドで眠る飛鳥の姿で、壁にかけられたスーツの上着は汚れていた。
「飛鳥、でもお前」
つぶやいた声は隣のベッドから聞こえてくる医療機器の電子音に紛れた。
「あら、まだ目を覚まさないの?」
「あ、はい」
「話し声が聞こえたからもう起きたのかと思ったわ」
カーテンを無遠慮にまくって入ってきた看護師に、有起哉は曖昧な笑みを返した。ベッドの飛鳥の腕を取り手際よく血圧と体温を測っていく。
「うん、問題なし。目を覚ましたら呼んでくださいね。多分すぐ帰れるから」
「はい、ありがとうございます」
出て行った看護師を見送って飛鳥に目をやる。薄い胸は規則正しく動いており、呼吸は穏やかだ。
今朝方、電話で話した飛鳥の兄はずいぶんと慌てていて、車と接触して意識がないのだと聞かされた。最悪の事態を想定してたどり着いた病院で聞かされたのは。
「飛鳥……」
運転手が言うには、細い路地で車を避けようとした勢いで電柱に頭をぶつけた飛鳥を車で病院まで連れてきた。その間も意識はあったし、看護師や医師にも自分で説明したと言う。それからはこんこんと眠っているらしいのだが。単なる最近の疲れが出ただけなのではないかと有起哉は思っている。診断名は頭部打撲傷。
「これ、目を覚ましたらどう言うのが正解?」
今この瞬間、親友からの突然の告白に戸惑う有起哉と、目覚める彼の5秒前。
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