先生

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先生

「石原、数学準備室」  チャイムの音と、生徒のざわめきの中で伊藤先生が言った。教科書を片付けながら返事をすると、先生は小さく頷いて教室を出て行った。急いで片付けていると前の席の友人が振り返った。 「健太郎なんかやったんか」 「いや、多分進路指導の続き」 「お前からだっけか」 「おう。そんじゃな」  友人と挨拶を交わし教室を出る。数学準備室へ向かう途中にも何人かに声をかけられて、立ち止まらずに笑い返し通り過ぎる。グラウンドでは早くも野球部が練習を始めていて、歓声が上がっていた。  ノックを三回、部屋の中から返事が聞こえてドアを開けた。 「失礼します」 「おー、そこ座れ」  こぽこぽという音とコーヒーのいい匂いがした。応接セットの机はおろかソファにもファイルが積まれていて、いつも通り雑然としていた。その一番奥の窓辺で、先生は外を見ていた。と、 「あ、やっぱちょっとこっち来い」  ものをかきわけてソファに座ろうとしていた俺は中途半端な中腰で先生を見上げる。 「何ですか?」 「いいからちょっとこい」  窓の外を見たまま一度もこっちを見ない先生に訝りながら、窓に近づく。 「はやく」 「ちょっと待って……うわあ」  先生の隣に立つと、外を見た。海を真正面に望む部屋からは、海岸通りの桜並木がちょうど見える。  夕焼けに桜の花びらが舞っていた。 「すごいだろ」  夕陽が海をオレンジに染めながら落ちていく。その海を背景にまるでそこだけ雪が降るようにひっきりなしに花びらが落ちていて、幻想的だった。 「そろそろ散ると思ったから。急遽面接お前の番にした」  隣に立つ先生を見上げると、何だか無邪気に笑っていた。 「見せたかったしこれ」 「職権乱用?」 「しょうがないだろ。お前はトクベツ」   開いた窓から風が吹いて先生のシャツがふわりと揺れた。先生の近くにいるとコーヒーの匂いがより強くなる。好きだなあと思う。 「進路指導は?」 「やるやる」  適当な先生の答えに小さく笑う。先生はこの桜並木で夕焼けを見ると恋が長続きする、なんてジンクスを知っているだろうか。 ジンクスが叶うといい、と思いながら俺は先生の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
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