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メアリーがその一報を受けたのは、“熱情”が売り出されてひと月も経たないある夜のことだった。
寝付く前に焚くラベンダーの香に火をつけたときだった。ドアを叩く音に呼び出されて、メアリーは玄関のドアを開けた。侵入してくる悪臭に顔を顰めつつ相手を見上げると、そこには警官が立っていた。
──夜分遅くに失礼。シルヴィア・エドワーズの不審死について、貴女に聞き取りをさせていただきたいのですが。
それは、あまりに急な報せだった。
シルヴィアは、“熱情”の熱狂的なファンの一人になってくれていた。売り出されたあの日以来、シルヴィアはいつ会ってもその香りを纏って現れた。香水という品に対し、洗練された審美眼を持つ彼女がそれを纏っていることが、メアリーには一番の誇りだった。シルヴィアにとって“熱情”は、文字通り“至高の香水”だったのだろう。それがメアリーの目指した境地であっただけに、調香師としてはこれ以上ない喜びだった。それなのに──。
力の抜けて座り込んだメアリーを相手に、警官は淡々と事実だけを告げた。朝、シルヴィアが寝室で倒れているのが家政婦によって見つけられた。目立った外傷はなく、死因は毒死と見られるという。
──何か思い当たるものは。
訊ねられても、メアリーは首を振るしかなかった。
翌日、メアリーはシルヴィアの家に呼び出された。彼女の寝室に足を踏み入れた瞬間、メアリーの鼻腔に強い香りが押し寄せ、彼女は自分が呼び出された訳をそれとなく察した。
その部屋の中には、“熱情”の香りが強く充満していた。カーテン、布製のシェード、スカーフ、ハンカチ……。香水を付けられる場所などいくらでもある。シルヴィアが部屋中に“熱情”を振り撒いていたのだと、メアリーはすぐに悟った。
刑事はメアリーにシルヴィアの寝室を一通り見せた後、そのベッドの下に隠されていたという箱を彼女の前に置いた。
──彼女は“熱情”の愛用者だったそうですね。
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