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その事件についてのコナーの取材を唯一快諾してくれたのは、とある香水店の老いた女主人だった。
街外れに、隠れるように佇む寂れた香水店。煤けた外壁や曇ったガラス窓からは、街の噂に聞くかつての盛況ぶりを窺い知ることはできない。しかし、重たいドアを開ければ途端に濃い香水の匂いが押し寄せ、過去の物語が現実味を帯びてくる。そんな場所だ。
「こんな歳になって取材を受けるだなんて、思ってもみなかったわ」
カウンターの奥でグラスに何かを注ぎながら、老女は呟いた。目が回りそうなほどの臭気に辟易しつつ、コナーは椅子に腰掛ける。
「この街じゃ、その話はタブーなのよ。みんなあの事件をとても恐れているから」
グラスの底を、マドラーが小気味良い音を立てて掻き混ぜる。ガラス同士のぶつかり合う音は、甘く濃い匂いの中で不釣り合いに澄んでいた。
「そのようですね。二日かけて街を廻りましたが、貴女以外に私の取材に応じてくれる方は誰一人いませんでしたよ」
コナーはコートを脱ぎながらやれやれと肩を竦めた。半ば興味本位の取材とはいえ、列車で遠方からわざわざ取材に来た身としては、この収穫の少なさはあまりにこたえる。昔ながらの香水店に手当たり次第に取材を持ちかけたが、拒絶されなかったのはこの店だけだ。この老女が聞き取りに協力的なことだけが、コナーにとって不幸中の幸と言えよう。
「それはお気の毒ねぇ。他所から来た人には、あまり居心地のいい街じゃないでしょうに」
「ええ……まあ」
コナーは苦笑を浮かべ、背もたれに掛けたコートを一瞥した。二日の間着ていたコートには、この街特有の、煤けた、酷い臭いが染み付いてしまっている。覚悟はしていたが、この街の悪臭は想像以上だった。元凶は至るところに突き立った煙突だ。あれから吐き出される煙は、街の上空をどす黒く染め、街中を悉くくすませて、その上悪臭まで充満させている。濁りきった川や、不規則に並ぶひょろりとした電柱などの光景とも相まって、この街は猥雑で、不衛生で、無秩序に見えた。居心地など、貧民街の方がいくらかまともかもしれないとさえコナーには感じられる。
「お待たせしたわね。これ、どうぞお飲みになって」
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