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私が10歳のとき、お姉ちゃんが死んだ。
お姉ちゃんは、17歳だった。
ピアノの先生のところでレッスンを始める準備をしていたら、先生があわてて駆け込んできて、言った。
「実花ちゃん、今日のレッスンは中止。お姉さんが、事故に遭ったって…」
事の重大さをいまいち飲み込めないまま病院に向かうと、病院の廊下でお母さんが泣き崩れていた。お父さんはその隣で唇を噛み締めて項垂れていた。
ああ、これ、ドラマでよく見るやつだ。
そんなのんきなことを、思った。
校舎の4階の窓から足を滑らせて落ちた。
そう、お父さんから聞かされた。
お姉ちゃんには、会えなかった。傷だらけで、実花が見たらショックだろうからと、会わせてもらえなかった。
おばあちゃんが死んだ時、いつも見ていたおばあちゃんの顔なのに色も温度も感じられなくて、少し笑ったような顔をしてきれいにお化粧してもらっているのに、とても冷たい感じがして、死んじゃったんだ、とはっきりわかった。
そんな姿を見ていないからお姉ちゃんが死んだなんて信じられなくて、どこかに隠れてるだけなんじゃないかとさえ思った。
だから、涙は出てこなかった。
お葬式の時も、花に囲まれたお姉ちゃんの写真を見ながら、お姉ちゃん何してるんだろう、とぼんやり思っていた。
火葬場で、お姉ちゃんの入った箱が窯へ入れられていくのを見た。焼かれて、骨と灰になって、お姉ちゃんはどこにもいなくなる。
だけど私にしてみたら、ピアノ教室から病院へ走ったあの日から、もうお姉ちゃんはいない。あの日の朝、私が家を出るときにいってらっしゃいと笑っていた、そのままどこかへ行ってしまった。
あそこで焼かれているものは、一体なんだろう。
火葬を待つ間、トイレに入っていたら、個室の外から、おばさんたちの声が聞こえた。
「梨花ちゃん、17でしょう?まだ若いのに…かわいそうにね」
「いじめがあったっていうのよね。学校に遺書があったって」
「ねぇ、そういうの、千香子さんは何も気づかなかったのかしらね」
「そうよね、母親に相談できてればきっと自殺なんかしなくて済んだのに」
「ほんと、かわいそうだわ」
おばさんたちが出ていっても、今聞いた言葉が頭の中をぐるぐるまわって、動けなかった。
いじめ。遺書。自殺。
知らない。私そんなの知らない。だってお姉ちゃんは、窓から足を滑らせて落ちて、事故だって。
だけどお父さんに聞かされた、それが真実ではないこと、『事故』の状況が不自然なこと、私はどこかでわかっていた。わかっていて、気づかないふりをした。
本当のことを話してもらえないほど、自分が子供だということに、気づきたくなかったから。
──千香子さんは何も気づかなかったのかしらね。
──母親に相談できてればきっと自殺なんか……
おばさんたちの声を思い出す。
お母さんだけじゃない。本当にお姉ちゃんが何かに悩んでいて、それに誰も気づけなかったのだとしたら、お父さんも私も同罪だ。
だけどきっと、お母さんやお父さんと、私の罪とは同じ重さではない。
私は、知る権利も、気づく義務もないほど、子供なのだ。
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