お母さんの終活

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お母さんの終活

 私が中学二年生になって二週間が経った日の朝、食卓にはいつものように一枚の食パンとサラダが並べられていた。 「また食パンとサラダ? もっと映えそうな朝食作ってよ、マジつまんな~」 「だったら食べなくていい!」  吐き捨てること一秒も経たずに、後ろからお母さんの鋭い突っ込みがやってくる。ピリピリとした雰囲気が流れているけど、毎朝こんな感じだから気にしない。だってさ、私も中学生二年生だし、お年頃ってやつで親には何かとイライラする時期だったり歯向かう時期でもある。  パンの食べかすをポロポロと床にこぼしては、またもお母さんの「床!」といった小言が飛んでくるが、そこはスルースキルを発動。言い返しても喧嘩になるだけ。それは私じゃなく、お母さんにとっても朝っぱらから喧嘩は避けたいところ。  気分を変えようとテレビに目線をやると、でかでかとしたフォントで終活という文字が飛び込んできた。終活という意味は、中二の私でもなんとなく知っている。自分の死に対して色々と整理したり、自分の葬儀をどういった感じにしたいか、棺はどんな物がいいか等、自分の最期を準備するらしいけど、なんか死ぬことに前向きすぎじゃない? と呆れはしないけど、どこかズレてるなと思ってる。  私はキッチンで野菜を切っているお母さんに何気なくこう質問した。 「ねー、終活ってしたことある?」 「えー? あるわよー?」  なんともラフな返事がきたことに、私はすごく驚いてしまい最後に食べようとしていたミニトマトを床に落としそうになった。 「な、なんで?」 「なんでって誰もが通る道でしょー」  これまた軽い返答にずっこけそうにもなった。それと心臓が爆発しそうなぐらい激しく鳴った。お母さんが自分の死について考えているなんて、全く知らなかったから。動揺してしまった。  おかげで登校中も授業中も友達との会話中もずーっと、ずーっとそのことばかり考えては死について向き合うって怖くないの? 自分がいなくなるんだよ? もしかして病気で先が短い? でもまだ四十歳だよ? どっちにしろ、お母さんがいなくなるなんて嫌だ。そんな現実が受け入れられない。いろんな恐怖に近い感情が湧き出てしまった。そんなこと聞かされたら私は、これからお母さんとどう接していいのか分からなくなった。  その夜、向かい合わせでお母さんと夕食を食べることになった。でも「終活」の二文字がどうしても浮かんできてしまい、お母さんの顔を見るときっと泣いてしまうから感情をずっと深い奥底に隠すように、なるべく目線を下に向けたまま食事を進めていく。  それにはお母さんも異変を感じたらしく、不思議そうに「なに、どうしたの」と聞いてきた。それには「なんでもない」と素っ気なく答えたが、今日に限って「なんでもないわけないでしょ」と一向に引き下がる気配はない。あまりのしつこさに私は椅子から立ち上がって自分の意識とは反して叫んでいた。 「もうっ、誰のせいでこうなってると思ってるの! 平気なふりをする私を崩さないで! 今朝から終活したとか言われて意味分かんないんですけど! いつお母さんがいなくなるか不安になって仕方ないじゃん!」  言葉を口にする度に、熱い涙がボロボロと溢れてくる。 「ちょっとあんた、落ち着きなさいよ」 「うるさい! 人を不安にさせるようなことを、言うお母さんが悪い! 私はまだ高校生にも社会人にもなってないし、死と向き合うにはまだ早いんだからね!」  息を切らして我に返る。奥底に沈めていた本音を全力ぶちまけてしまったことに全身が恥ずかしさでみるみるうちに燃えていく。とすれば、お母さんはこんな状況でも食事を続けていたのだ。子が泣いているのになんて親だ! しかし、その怒りは次の一言で消えていく。 「朝のシュウカツって、就職活動のことでしょ」 「え?」 「略して就活。なんであんたそんなに怒ってんの? 就職がそんなに嫌なの?」 「えっと……」  なにもかも全部、私の勘違いだった。熱くなっていた身体は一気に冷却していき、大人しく椅子に座って何事もないように箸を持った。そして片方の手で口元を隠しては、その下で小さく笑った。なんだ、よかった……ってね。  しかし私は知らなかった。このときお母さんが小声で 「終活と就活、聞き間違えるかね」  とこぼしていたことを。だけどそれはお母さんだけの隠し事。  数年後、お互いの隠し事をバラしては「ああ、あのときは!」と笑える日が来るのはまた遠い日のお話。  おしまい    
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