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もう一度、雪、そして桜
少しだけ騒がしい教室で、担任の最後の話を聞く。卒業した生徒達に向かって何度も語ってきたのだろう話は確かにありきたりなものだったけれど、使い込まれ何の衒いもなく話される内容はよく身に馴染んだ。
窓の外は突然の三月の雪。俺は教室の喧騒もそこそこに、それを見つめていた。後ろから少し髪の伸び始めた黒田が椅子を蹴ってくる。後ろを振り返ると、黒田が顎で示す先に涙目で担任の話を聞く長谷川が見えて俺は苦笑した。
長谷川は県外の大学を受けている。少し前にクラスの女子に告白されて、合格すれば遠距離だと嘆いていた。伊坂には笑われていたが、どうやら本気で髪を伸ばすつもりの黒田は県内の工業大で野球を続けるらしい。俺はぎりぎりで志望大学を変え、担任に何度か呼び出されたが振り切って伊坂と同じ大学に願書を出した。
「これからわたしたちは新しい世界に飛びこんで行きますが……」
卒業生代表の答辞を、各々が神妙に聞いていた。皆がそれぞれの場所を目指していくことは切なくもあり、この校舎にいてただすれ違っただけの同級生たちともう二度と会うこともないと思うと少し寂しい。それをみんな感じているのかもしれない。早くも思い出になりつつある高校生活に、俺はもうこの学校の生徒ではないのだと思った。
卒業式は毎年のこと騒がしく終わった。それでもいつもとは違うことに皆気付いている。俺たちはもうこの場所に集まることはない。伊坂のだらしないネクタイを直しながら俺は少し笑った。
「お前7時からのお疲れ会来るだろ?」
「多分。黒田はこのあと部活のあるんじゃないのか?」
「そんなにかかんね。終わったら直に行くし。長谷川も行くって言ってたからお前来ないと拗ねるぞ」
「めんどくさいから行くよ」
「伊坂も引っ張って来いよ。まあお前が来るなら来るだろうが。あいつ狙いの女がうるさくて」
「北崎さん?」
「そう。一回ふられたんだけどな」
なんであんなやつがもてるかねえと呟くから、まったくだと返して二人で笑った。誰もいなくなった教室は物寂しい。驚くほどあっけなく高校生活は終わった。
「今も告られに言ってんだろ腹立つ」
「言ってなかったけど」
卒業が近づいていたせいかここのところ立て続けに二回ほど呼び出しがかかっていて、思っていたよりもモテるらしい伊坂に多少、腹が立っているのは個人的なこと。
「伊坂と付き合ってるんだ」
外の雪はまだ静かに降り続けている。青空の下の雪というのは神々しいなと思った。
「待て」
「何を」
「待て待て待て待て、ちょっと待て」
いつになく動揺する黒田がおもしろくて笑ってしまった。そりゃ動揺もするか。
「付き合ってるって何だ。意味がわからん」
「そのままだ。だから俺はあいつが告白されて断って帰って来るのを待ってるんだよ」
俺をにらんだまましばらく考え込んでいた黒田がなぜか諦めたようにため息を吐いて椅子に座る。
「仕方ないので質問を受け付けます」
「お前って女いたことあったっけ?」
「ないな」
「それはそういう意味か」
「俺の初恋は幼稚園のときの小夜先生だ」
じゃあなぜだと聞かれても俺にもわからない。今まで男を好きになったことなんかない。初恋の小夜先生は特別美人ではなかったけど笑った顔がかわいくて好きだった。思えば俺が好きになった数少ない相手は年上ばかりだ。もちろん伊坂を除いて。
「好きなわけかあれが」
「なんでだろうな」
「まさか夏ぐらいから付き合ってたとか言わないよな」
「勘がいい」
「マジかよー…。まあ伊坂がお前のこと好きなのは納得だけど」
「納得するのか」
「するだろ。思い返せばすごく納得だ。がしかし、お前があのしょうもないやつを好きになるとか信じられん」
俺もいまだに信じられないのだけれど。あれから半年になるのか。
「まあそういうわけです」
「大学入ったらあいつダシにして合コンしまくろうと思ってたのに」
「まあ、あいつをダシにするのはいいけど」
黒田が驚いた顔でこちらを見る。
「それで何かあったらお前丸坊主に戻すからな」
勘弁してくれと黒田が盛大に吹き出した。
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