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 視線を感じて目を上げると、正面にいる伊坂は教科書と辞書を交互に見ながらシャープペンシルを動かしていた。  俺の古典の予習の仕方は、数行ずつ空けて本文を書き写し、右側に単語の意味を、左側に自分で調べた訳を書き込んでいく。そして授業で教師の解説を聞き赤ペンで添削していく。従順な教え子である伊坂は素直にそれに従ってかなり成績が上がってきていた。 「昔の男ってすぐに泣くよな」  伊勢物語の有名な一節を訳している伊坂が呟く。確かに何かを思い出してはさめざめと泣くのはどうかと思うが、その豊かな感受性で綴られた和歌や物語は美しい。 「感じ方が現代人よりも鋭いんだよ。お前ももう少し綺麗な字で文字を書け」 「関係なくね?つーか腹減ったし飯食いにいこうぜ」  そう言って伊坂は大きく伸びをした。  テストを間近に控えて伊坂が日曜日に図書館に行こうと言い出した。俺としては伊坂に教えながらでは自分の勉強ができなくなるのではと危惧していたが、杞憂に終わった。 「集中してたな。全部終わったのか?」 「とりあえずはな。腱鞘炎になりそう」  大げさではなく昨日もずっと問題集を繰り返しやっていたという伊坂は飛躍的に成績をあげている。二年の終わりには進学クラスに移ることを決めていたらしい伊坂は学期末にあった全国模試を受け、惨憺たる結果を残している。成績表を見せてもらったが私立でも狙える大学はなさそうだった。  それでも俺が勉強を教えるようになって最初の中間テストで平均七十を出し、長谷川を抜いた。これは俺の教え方というよりも本人の集中力がすごいからだと思っている。 「一回出ようぜ。うまいコーヒー屋があるから。サンドのテイクアウトも出来るし」 「テイクアウトって和製英語だって知ってたか」 「マジか」  どうでもいい話をしながら教科書を片付けてリュックを背負う。顔馴染みになった司書の男性に頭を下げて図書館を出ると梅雨のあけた夏空が広がっていた。 「あっついな」  もう六月も終わりかけの今、外はほとんど夏。じりじりと肌を灼く眩しい日差しを見上げる伊坂には夏がよく似合った。 「こんな天気の日に勉強してるってどうよ」 「いいことじゃないか」 「来年の今頃には遊び倒してやる」  本気で悔しそうな伊坂を見ながら、来年の今頃俺はどこにいて、こいつはどこにいるのだろうとぼんやり思った。  伊坂がよく行くというコーヒー屋で俺はグレープフルーツジュースとサーモンとチーズのサンドを、伊坂はブラックのコーヒーと生ハムのサンドを買うと近くの公園で食べることにした。水の張った人工の池では子供たちが甲高い嬌声を上げて水遊びをしている。真ん中に立つ噴水は決まった時間にしか出ないのか、今は静かだった。 「平和だなー」 「なんだそれ」  なんとなく、と笑う伊坂から目を逸らす。 「うまいだろここのサンドは」 「うまい」  時刻は昼時を少し過ぎていたが店内は人が多かった。サンドはチーズもサーモンももちろんおいしかったが、なんといっても自家製というバケットが非常においしかった。 「前あそこでバイトしてたんだよ。三年になる前にやめたけど。まかないがうまくてな」  オムライスもうまいから今度食いに行くぞと言う伊坂に俺は頷く。食べ終えても俺も伊坂も話すでもなくただベンチに座っていた。特に会話がなくても気詰まりにならないことが心地よかった。  目を開けると伊坂と目が合った。一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。 「おはよう」 「おはよう、というかいつから寝てた?というか今何時だ」 「ん?二時半かな」  腕時計に目を落とした伊坂が答える。寝ていたのは10分に満たない程度の時間だったが、動かすと首がきしきしと痛んだ。 「というか起こせよ」  目を擦りながら周りを見ると水遊びをしていた子供たちはもういなかった。子供の嬌声がなくなると広い公園は途端に静かになる。 「疲れてんじゃねえの。勉強のしすぎだろ、今日はもう終了」 「お前がやめたいだけじゃないのか」 「熱中症になるからどっか屋内に避難しよーぜ」  伊坂が立ち上がってごみを捨ててくると、俺のリュックを持ってさっさと行ってしまう。まだ寝起きのぼんやりした頭の俺は慌てて追いつくとリュックを奪い取った。中でからからとペンケースが鳴る。 「どこに行くつもりだ」 「さあ?」 「じゃあ、近くに美術館があるからそこに行ってもいいか?写真展をやってるんだ今」
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