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仲直りの仕方
番犬の女の子と別れた時には、外の寒さはひどいモノになっていた。
顔に叩き付ける風の冷たさも、夜の時とさほど変わらないように思えた。
今日は昼間だろうが、どうしても寒さを感じる気温である。
そしてやっとの思いで、ヴァローナと住んでいる家に到着した。
家に上がると、彼は居なくなっていた。
きっと仕事場にでも行ったのだろう。
あの喧嘩の後で、あれの後で、どうしても彼と会うのは、気が引ける。
彼になんて言えばいいのか、わからない。
何て言うべきが正解なのか、僕にはわからない。
そんなことを、ここに来てからいつも使っているベッドで、寝ながら考えていると、夜に一睡も出来なかったからか、僕はいつの間にか、眠ってしまっていた。
外の景色も明らかに暗くなっていて、昼間よりも風が強く吹き荒れていた。
そんな外の景色に気を取られていると、家の扉が開いた音がした。
ヴァローナが帰って来たのだ。
「今帰った...。」
「おかえり...。」
「居たのか...だったら灯りぐらい点けとけよ...。」
「あ、うん...ごめん...。」
僕がそう言うと、彼はマッチを使って、ランプの灯りを付けた。
その灯りの温かさが、なんとなくこの、僕と彼の間に流れる気まずい空気を、溶かすようだった。
「これ...」
そう言いながら僕に渡してきたのは、プルタブの缶に入ったカフェオレだった。
「えっ...?」
「仕事場でガットネロに貰った。俺あまいのは無理だから...」
そう言った彼の手元には、おそらくブラックのコーヒーが入っている同じプルタブ式の缶があった。
「あ、ありがとう...。」
そう言って僕は缶を開け、カフェオレを飲んだ。
それはもう冷たくなっていたけれど、この部屋の空気のような、温かさを感じた気がした。
そんな感覚に浸っていると、彼が口を開いた。
「昨日は...悪かった。」
その言葉に、僕も素直に、返すことが出来た。
「...うん。僕もごめん。感情的になった。」
そしてまた無言になる。
でも今は、なんとなくそれが心地よく思えた気がした。
「はじめてだったんだ。あんな風に声を荒げて、掴みかかって、喧嘩したのは。」
ランプとカフェオレの温かさに心がほだされたのか、おもむろに、何も考えず、僕はそれを口にしていた。
そしてその言葉に、彼は笑いながら答えた。
「そうだろうなぁ。じゃなきゃ、あんな綺麗に、返り討ちに合わない。アンタは頭が良いくせに、知らないことが多すぎるんだ。」
「そうかもしれない。この世界に来て、僕は色々なことを知ったよ。」
本当に色々なことを知った。
おそらく知らなくてもいいことまで、僕は知った。
そんなことを考えていると、彼は悪戯っぽく笑って言った。
「酒の味は?」
「それはまだだめ。」
「お堅いな~。相変わらず。」
じゃれ合うように、僕たちは言葉を交わして、もう一度缶に口をつける。
そんな落ち着いた時間の中、彼はやはり、アルカディアのことを、僕に言ってきた。
「アンタは、アレを知ってもまだ、アルカディアに戻りたいと思うのか?」
その質問に、僕は少し戸惑った。
「...どうなんだろう。正直わからないんだ。けれど、昨日見せてもらったあの資料。あそこに書かれていることが本当に起こった現実なら、僕はそれを、伝えなきゃいけないと思うんだ。」
「伝えるって...誰に...?」
「皆に、かな...。あの都市を本物の理想郷として掲げている人。何も知らないであの都市に住んでいる人。あの都市を妬んでいる人。そして...」
その言葉の切れ目で、僕は彼の目を見て言った。
「あの都市を恨んでいる人。その人達全員に、僕は伝えたいんだ。」
その言葉で、彼は納得してくれたようだった。
「そうか...わかった。」
その後彼は、穏やかな表情で、僕に言った。
「けどな、俺はアンタの重荷を背負える程、賢い人間じゃないんだ。だからもし、アンタが俺の邪魔になる様なら...俺がアンタを殺す。」
その穏やかな強迫の言葉は、やっと彼が、僕のことを対等に見てくれた証の様な気がして、僕は嬉しかった。
だから僕も、彼と同じ様な温度を意識して、答えた。
「わかった...そうしてくれ...。」
その言葉を最後に、僕たちは和解した。
こんな歪んだ仲直りの仕方は、きっと他の誰ともできないだろう。
彼としかできないだろう。
けれども今は、その歪んだ関係が、なによりも頼れる命綱であることを、僕は心から、感じていた...。
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