理想の代償

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理想の代償

 頭に響いて来る機械音の声を頼りに、僕とヴァローナは施設の中を歩いた。  その声は僕だけにしか聞こえていない様で、最初ヴァローナはすごく心配した様子だったけれど、それを僕が説明すると、納得した様子で、足を前に動かすことが出来た。  どのみち、この施設の人間か、アンドロイドから情報を得る予定だった僕とヴァローナからすれば、この展開は願ってもないモノだった。  そして僕達は、目的の場所の、扉の前に居た。  その扉のロックは、アルカディアの住民の生体IDで解除することができる仕組みになっていたため、僕が扉に手をかざした。  扉が開き、僕達は部屋の中に入った。  部屋は薄暗く、大きな機械が作動していることだけがわかる様な部屋だった。  しかしその部屋の中心には、とてつもないほどの、大きな『脳』が、掲げられていた。  しかしその大きさから、明らかにそれは、人のモノではないことがわかった。  そもそも現存している生物のモノでないことは、明白な大きさであった。  「やぁ、待っていたよ。」    頭上のそれに気を取られて居たからか、ここに来て初めての人間に、その声の方向に、僕達は銃を向けた。  しかしその相手を、僕は知っていた。    「あなたは…」    「随分と物騒なモノを持っているな。君も私も、そういうのは性に合わないだろ。ユラ君。」    僕の目の前に居る人物。それは、ロレンス教授だった。  「ロレンス...教授...」  「久しぶりだな。近頃学校では見ないと思っていたが、まさかこんな所で会えるとは思っていなかったよ。」   それは嘘だと、すぐにわかった。 彼がこの部屋に、僕達を招き入れたのだ。    「なぜあなたが、ここに...」    「ただの仕事だよ。このシステムのメンテナンスを任されているからね。」    そう言って彼は、僕達から背を向けて、その脳の大元にある、コンピューターを操作し始めた。    「すまないが、仕事はさせてくれないだろうか。」    その彼のあまりにも落ち着いた声は、自分が銃を向けられていることなど、何も考えていないようだった。    「アンタがこれを、一人で動かしているのか。」    拳銃を向けたまま、隣のヴァローナが、ロレンス教授に言った。    「いいや、それは違う。俺はメンテナンスをしいるだけだ。それ以外のことは、何もしていない。そもそもコレには、人の意思など、一切介在しないんだ。」    そして彼は仕事が済んだのだろう。  僕たちの方を振り返って、言った。    「だから私を殺しても、意味はない。」    その言葉を聞いて、ヴァローナは反応する。    「それは命乞いか?」    「銃を向けられているんだ。当然だろ。」    それを聞いて、僕はロレンス教授に向けていた銃を降ろした。    「あなたは...このアルカディアシステムが出来るまで、どれだけの犠牲が払われていたか知っていたんですか...。」  「ああ、知っていたさ。そもそもこのシステムは、人間の脳を繋ぎ合わせて生み出されたモノだ。その時の計画の内容を知っている人間は、私と、あとは数人の研究者だけだ。しかしそのほとんどは、この都市を離れたよ。まぁあれを知っていて、ここに居続けられる人間なんて、私ぐらいだよな...。」  そう言って彼は、後ろにあった椅子に腰掛けた。  その時の彼の目は、銃を向けられている人間がするような目ではなかった。  とても穏やかな、目をしていた。  「どうしてですか。どうしてそこまでしてあなたは、アルカディアを作りたかったんですか。」  「どうしてか...か...。なぁ、ユラ君。君はこの世界が、まだ、とある国の一部であった時のことを...そして人が国を治めていた時のことを...知っているか?」  「知りません。僕はその時代を、生きていたわけではないので。」    「知らないか...そりゃそうだよな。その時のことを記載している資料は、もうほとんど残っていない。けどな...その世界を生きた我々からすれば、今のこの世界は、限りなく平等で幸せな場所になったと思うよ。」  彼のその言葉に、僕は激しい程の嫌悪を覚えた。    「人の命を犠牲にしても、それを平等って言うんですか…。」    「いつの世も、人は命の上に、社会を作り上げてきたんだ。君のそれは詭弁だよ。」  それを言われて、僕はあの子に言われたことを、思い出した。  自分が偽善者であることを、思い出した。  そんな僕に対して、彼は話し始めた。  彼はこの都市の、この国の悪い部分を、話し始めた。  「このシステムの計画の前には、いくつか様々な実験が行われていたんだ。その中でも特にひどかったのは、まだ幼い子供たちを集めて行った、身体能力の強化実験だった。他国との戦争を余儀なくされる状況だった、国の馬鹿な政策だよ。まだ話すのも覚束ない子供達に、様々な人体強化の実験を行ったんだ。その中には危険な薬を使うモノも、少なくなかった。そしてその結果が、これだ...」  そう言って彼は、一枚の写真を僕に渡した。  その写真には、まだ十歳に満たない子供達が、殺し合いを行っている様子が、写し出されていた。  「人間というのはね、とても傲慢な生き物なんだ...。何かの成果を挙げるために、どんなことでもやってしまう。そういう馬鹿な生き物が作る世界なんて、はっきり言って地獄としか言いようがない。だからこのシステムを作ったんだ。人の意思を介在せず、平等性と安全性に優れた社会を、作るためにね...。」  そう言って彼は、静かに視線を下に向け、ため息を着いた。    「だがね...この20年で気付いたよ。人は感情の起伏がある限り、必ずどこかで、間違いを犯す。こんな理想都市と謳われている社会ですらも、犯罪が0にならないのが、その証拠だ。」  そして彼はじっと僕達に視線を向けた。  「だから私は、この世界がより正しくあるために、新しいプログラムを構築した。」  「新しい、プログラム?」  「アコールプログラム。人間の持つ調和性を最大限に引き出すプログラムさ。それが起動すれば、この都市の住民は、感情と引き換えに、調和性を獲得する事ができる。本当の理想的な社会を、作ることができる。」  「なんだよ...それ...。」  ヴァローナがそう言って、銃の引き金に手を掛ける。  しかしその動作を見ても、彼はヴァローナを見ようとはしない。  その代わりに今度は上を見上げた。  その視線の先には、大きな脳があった。アルカディアシステムの本体が、そこにはあった。  「ユラ君。君はこの都市を、監獄だと揶揄していたね。」    「…はい。」    「その通りさ、この都市に住む人全て、囚人と変わらない。彼等はシステムが推奨したことは、何の疑いもなく、受け入れる。彼等はシステムが推奨すれば、感情だって、無くしてしまえる...。」    教授のその言葉を聞いて、僕は気付いた。    「生体ID...ですか...。」  その僕の声が、彼の耳に届いたのだろう。  彼は頷いた。    「あぁ、そうだ。この都市にいる住民全員が持つ生体IDは、遺伝子操作によって、組み込まれたモノだ。もちろん最初から全員が適合するわけではない。不適合者は、記憶を操作された上で、この都市から追放される。そして適合者は、住民としてこの都市に住むことを許される。しかしその住民は、システムが発動するプログラムに逆らうことはできないんだ。」  「それはもう、人間じゃない...。」  「そうだな。だが理想的な社会を求めるなら。万能であり、万有である社会を求めるなら。結局人間では、ダメなんだ。」  そしてロレンス教授は、自分の胸ポケットから懐中時計を出して、言う。  「もうじきだ。もうじきでこの世界は完璧なモノに変わる。」    「そんなこと、させると思うか?」    「もう止められないさ。」    「それは、今アンタをここで殺しても、止められないのか。」    そう言いながら、ヴァローナはロレンス教授に、再び拳銃を向ける。    「すでにサイは投げられた。ここから先は、どうすることも出来ない。」  「そうか...」    そしてヴァローナは、引き金を引いた。  彼の銃弾が、教授の額を貫いた。  飛び散った返り血を僕とヴァローナは浴びた。    「そうか...君は...」  その言葉を最後に、ロレンス教授は息を引き取った。  この惨状...これは代償だと、僕は悟った。  理想を求め過ぎた代償は、気持ち悪く、むせかえってしまう程の血の匂いだと、理解することは、あまりにも容易なことだった...。
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