監獄の都市

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監獄の都市

 ある日の昼下がり、僕は大学のベンチで1人、頭を抱えていた。  もちろん実際にそんな格好をしていたわけではない。  格好としてはただ空を見上げていた。  気温も、湿度も、天候すらも操れてしまうこの都市では、平日の昼間は、必ず晴天となっている。  だから青空が珍しいわけではないけれど、何かを考え込む時、僕は決まって空を見上げるのだ。  そしてもう一度、僕は自分の手元に最初からある2枚の書類に目を通す。  そしてその書類を、左右交互に見て、今度はため息をついて、うなだれる。  「はぁ...将来...か...本当に、どうしようかな...。」  そう、生意気にも僕は、将来のことで悩んでいるのだ。  書類は1枚が「職業適正証明書」そしてもう1枚が「2年次学科コース選択用紙」であった。  大抵の学生は、アルカディアシステムが各々の学生に、最適な職業を推奨するこの職業適正に従って、学科コースを選択する。  だから普通なら、こんなに悩む必要などないのだ。  本来であればそれは、書類を渡されたその日のうちに、その推奨に従って記入し、提出できるような代物だった...。  しかしこの都市は、僕に対してだけは、そう簡単に事を運ばせてはくれなかったようだ。  「…おや?奇遇だね、ユラ君。こんなところで会うなんて」  こんなときに、あまり会いたくない人と出会ってしまった。彼は何を考えているかわからない、不敵な笑みを常に浮かべている。  常時白衣姿のおっさん大学教授。  まぁ、大学構内にいる以上、それなりに高い割合で、遭遇してしまう...。  「ロレンス教授、奇遇ですね。」  そう言って真ん中を陣取って座っていたベンチの左側を空ける。  「あぁ、ありがとう」と一言いってそこに座った教授は、右手に缶コーヒー、左手には論文のような紙束を持っていた。  そしてコーヒーを一口飲んでから、彼の軽口が栓を切ったようにはじまった。  僕はこの人のこれが苦手なのだ。    「まったく、仕事というモノはある程度限度が必要だよ。こういう風に休憩をとらないとやっていける気がしない。君もそう思わないか?」 「どうなんでしょうね。僕にはまだ仕事は先の事なので、よくわかりませ…。」  僕は濁して答えた。歯切れの悪い答えを返すが、それが本心であることには変わりない。  「そうでもないだろ?」    「え?」  予想外の返答に僕は驚きを隠せなかった。  普通ならここは、「そりゃそうだな」と、僕に同意するところだ。    「今君が持っている2枚の紙。1枚は職業適正証明書で、もう1枚は2年次学科コース選択用紙だろ?」  そう言ってニヤリと笑いながら、コーヒーをすする    「はい...よく、わかりましたね...」    「ハハ、伊達に何年もこの仕事をしているわけじゃないんだ。この時期にそんな険しい顔の学生を見たら、大抵はそれだと当たりがつく。まあ、大概は渡されたその日のうちに提出できるような簡単な書類だから、そこまで悩む奴の方が珍しいがな。」  そう言ってまた一口コーヒーを飲む。  彼のその物言いに、「いっそむせてしまえばいいのに」と、僕は思ってしまう。  「職業適正オールS。」  不意に言われた言葉で僕はまた驚いた。  このタイミングでその単語を出す無神経さに、僕はひどく驚いた。  「教授達の間でもそれなりに噂になっていたぞ。すごいじゃないか。」    「はぁ…そうなんですか…恐縮です。」  学生の就職適性の結果は全て、大学教員に知れ渡る。  それは教員がこの結果を予め知っておくことで、学生たちの就職相談を各々の分野で受け持つためだ。  だからこの都市に、情報のプライバシーは存在しない。  「浮かない顔だな~。もっと嬉しそうにしたまえよ。そんな適正が出る奴なんか俺は初めて聞いたぞ。」  「そんなもんですかね…。」  僕はそっけなく答えた。    「本当に浮かない顔だな。差し詰め、自分のやりたいことが見つかっていないから、何を選べばいいのかわからないってところかな?」    「そんなところです…。」    「なるほどな。選択肢が有りすぎるのも困りモノというわけか。」  そう言って今度は、煙草に火をつけた。  この人は煙草を吸う人なのた。  缶コーヒーは、さすがに飲み切ったのだろう。    「しかし、君のその顔は、本当にそれだけが理由なのか?」  その言葉に、僕はドキッとした。    「どうして、そう思いますか?」    「ただの勘だよ。」  そう言ってまた微笑を含ませる。    「年長者だからな、大抵のことは相談に乗れると思う。話してみろ。」  そう言って、またタバコを口にする。  僕はこの人が(嫌い寄りで)苦手だ。    しかしこの都市で、唯一、こういうことを話せる人なのかもしれない。  だから僕は、しばらくの沈黙の後に、口を開いた。    「教授は、この世界のことをどう思いますか?」    「ほぉ...世界か...それはこのアルカディアのことか?」    「はい。」    「万有であり、万能であり、盤石な社会システム。そのキャッチコピー通り、この都市だけは、他と比べて、とても便利で、快適な世の中だと思うが。」  便利…そう、確かに便利だ。  大抵のことは、街のシステムがやってくれる。  生活に関わる全ての情報だけでなく、都市の運営、管理まで、このシステムが一身に担っている。  さらにこのシステムは、二十四時間休みなく、僕たち住人を監視することができる。  そのおかげで、犯罪は格段に減少して、警察や裁判員裁判は廃止された。  その結果、紛争が絶え間なく続く他国に比べて、この都市は、世界一安全な場所となったのだ。  今ではシステムに従わない住民を取り締まる「実動隊」が、警察の代わりをつとめているが、そんな住民は、ほとんど存在しない。  それにあんなのは、上辺だけの組織だ。  システムの補助。  そんなところだろう。  けれどそれゆえに、僕は考えてしまう。    「でも、最近考えるんです。僕達はこの街が便利過ぎるあまり、従うことに、慣れ過ぎているんじゃないかって...それって囚人となんら変わらないんじゃないかって。」    ロレンス教授は、囚人という言葉を聞いて、笑った。  「囚人か...面白い。昔の哲学者、ジェレミ・ベンサムを思い出したよ。」  僕はその名前を聞いて、すぐにわかった。    「パノプティコンですか...。確かにこの街は、円形に型取られていて、外壁がありますからね...。」  「そうだな。さらに言うなら、最少の人数で、最大の囚人監視が可能なパノプティコンは、まさしくアルカディアそのものだと言ってもいい。一つの社会システムが、1000万人近い住民を、常に監視しているのだからな...。そう考えると、たしかにゾッとするな。」  「そうですね。嫌なモノです。監獄での生活に慣れていると、自覚するのは...。」  そんなことを話していると、学校のチャイム音が鳴り響いた。  それを聞いて、教授は僕の隣から立った。  「さて…そろそろ時間だな。すまないが、このあと授業を受け持っていてね。この話の続きは、また次の機会にでもしようか。」  「そうですね、僕もこのあと予定があるので、失礼します。」    「そうか、じゃあまたな。あぁそうそう、最近やたらと、実動隊の車を見かける。何もないと思うが、夜は気をつけろよ。」  たしかに最近、僕もよく実動隊の車を見かける。  しかしあまり気にしてはいなかった。  「大丈夫ですよ。この街じゃ犯罪も長くは続きません。それじゃあ、失礼します。」    アルカディアで起きた今までの犯罪に、そんな大それたモノはない。  そしてそれらが起きたのは、人通りが多い昼間ではなく、夜中なのだ。  だから教授は、僕に「夜は気をつけろよ」と、言ったのだろう。  しかし犯罪などはそう頻繁に起きるはずもない。  とくにこの都市では、尚更だ。  監獄の中での犯罪は、長くは続かない。
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