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ありえない幕間劇
時刻は夜の8時半、アルバイトを終わらせて、家路に着く時間だ。
大学生のアルバイトとしては、昼間の2時~夜の8時半までのバイトというのは、そこまで長時間働いたとは言えない。
むしろ他のバイトに比べれば短い方だと思う。
モノによっては、夜の十時~明け方までやるモノも、あらしいからだ。
しかし時間が短いからといっても、決して楽な仕事ではない。
今日は特に疲れた。
昼間考え込んでいた事に加えて、明後日提出の課題もそろそろ手を付けなくてはならない。
今日は多分...早くに寝ることは難しいだろう...。
家路の道中、歩いていると、電光掲示板が目に入る。
そこにはこの街、アルカディアを管理する総督府が映し出されていた。
もうすぐこの街は、創設して二十年目の節目を迎えるらしい。
それはとてもめでたいことだ。
「こんばんはー新商品の試供品、配布しています。よろしければいかがですか?」
ボーっと掲示板を見上げていたら、不意に女性に声を掛けられて驚いた。
女性と言ってもアンドロイド販売員だ。
人気の無い、特に外での仕事等に、これらはよく用いられる。
そして隣にはマスコットキャラだろうか、モフモフした着ぐるみも一緒にいた。
「試供品...ですか?」
「はい、こちらは来月から発売される栄養ドリンクです。一口いかがですか?」
機械の声で、彼女は僕に商品を勧める。
この街で雑務と呼ばれるような仕事は、ほとんどアンドロイドが受け持っている。
しかしその隣にいるようなモフモフの着ぐるみは、今はあまり見なくなった気がするが...。
「あ...じゃあ、頂きます。」
「ありがとうございます。」
そう言うと、そのアンドロイドは小さな紙コップに青色のドリンクを注いだ、そしてそれを、僕に渡した。
目の前には例のモフモフがゴミ袋を広げている。
どうやらこの場で飲み干して、空いた紙コップをその袋に捨てる仕組みなのだろう。
確かにこんな紙コップを持った状態で家に帰っても、仕方がない。
「じゃあ…頂きます。」
そう言って僕は、紙コップに入ったドリンクを飲み干して、モフモフが持っている袋に捨てた。
ドリンクの味自体は、スッキリした甘みが特徴的だった。
しかし歩き出そうとした瞬間、僕の視界がぼやけたのがわかった。
目の前のモフモフが、明らかに霞んでいる。そして次第に、耳に届く声も遠くなる。
身体から力が抜けてしまう。
「なんだ...これ...。」
混乱のまま、僕は気を、失った...。
そこから何時間経ったかはわからない。
気を失って居たのだから無理もない。
今僕がいるこの場所は、アルカディアの中のどこか、使われていない工場かなにかだろう。
頭が痛いのは、あの青色のドリンクのせいなのだろうか...。
身体が、動かしにくい...。
何かに縛られているようだった。
ガチャッ
金属の何かが擦れる様な音がした。
しかもそれは、普通ならありえないことだが、僕の身体から聞こえる様だった。
「…ん?」
だんだんと意識がはっきりして、目も次第に見えてくる。
しかし身体は、動かない。
自分の意志とは反して、動かせないのだ。
「えっ…!?…なんだよ、これ…どうなっているんだ!!」
このとき、僕は普通の状態でないことを、いやおうなく、はっきりと、認識した。
両腕は後ろで手錠に繋がれており、両足も同じように手錠で固定されている。
きわめつけは、胴体には太いチェーンが巻かれていて、今僕が座らされているパイプ椅子に、固定されている。
適切かつ簡潔にこの状態を表現するならば、僕は今、拉致監禁されているのだ。
「くっ...このっ...」
身体をゆすり、足と腕に力を入れる。しかし拘束は、外れない。
「なんで...外れないんだ...。」
「外れないようにしたからさ。」
「えっ...」
声が聞こえた方向に、僕は顔を上げる。
そこには、僕の正面には、一人の青年が、不敵な笑みを浮かべながら、立っていた。
その青年は、いつの間にか、そこに居た。
「君は…」
そう僕が言おうとすると、その青年はわざとらしく、面白そうに話し出した。
「まったく、ココの奴らは皆そうだ。見ず知らずの奴から渡されたモノを、何の躊躇いも、疑いもなく、飲みこむ。」
そう言いながらその青年は、僕に近づいてくる。
外見通りなら、僕と年は、さほど変わらないだろう。
しかし明らかに、その青年が纏っていた空気は、異質のモノだった。
「僕を...誘拐したのか...?」
分かりきったことを聞いてしまう。
多分、緊張しているせいだろう。
それか混乱しているのだろう。
未だに信じられないからだ。
このアルカディアで、こんなことをする奴が、いることに。
「あぁ、そうさ。まぁこんな簡単にいくとは、正直思わなかったけどな。」
そう言いながらその青年は、僕にカードの様なモノを見せびらかす。
それは僕の「住民票」だ。
ココで暮らす住民は、どんなときでも必ず、住民票を携帯している。
それは保険証や、銀行でお金を引き出すためのキャッシュカード、さらには都市内の施設利用に用いることがあるからだ。
それがこの街で暮らす上で、必要なことだからだ。
それがこの街の常識だ。
疑うことない、常識。
それを知った上で、彼はそれを盗んだのだろう。
「目的はなんだ...金か...?」
そう僕が問いかけると、その青年は、鼻で笑う。
馬鹿にしたように。
見下しながら。
「そうだなー。それもいいが、残念ながらそうじゃない。まぁ、あんたみたいなマヌケな奴でも、住民が誘拐されたとなれば、この都市は、ある程度の金を用意するんだろうなぁ。」
そう言いながらその青年は、僕の住民票をポケットにしまった。
返しては、くれないだろうな...。
「金じゃないなら...一体何が目的なんだ。こんなことをすれば、すぐに実動隊がこの場所に来るぞ。」
この場所がアルカディアの中なら、僕の生体IDや、住民票に仕組まれている磁力発信機の電波を察知して、実動隊が駆け付けられるようになっている。
それにしても、この青年の目的が見えてこない。
こんな大それたことをするなら、それ相応の目的があるはずなのに...。
それがなにも、見えてこない...。
僕は話ながらも拘束を解こうとするが、やはり外れない。
「ククッ...滑稽だな。まぁ、そう慌てるなよ。お前には俺の目的もちゃんと教えてやる。そして、選ばせてやるよ。」
「選ぶ...?」
「あぁ、そうだ。」
そう言いながら、その青年は僕に近づく。
そして僕が拘束されている椅子に手を掛けて言う。
「俺の目的はなぁ、アルカディアを壊すことなんだよ。そんでもって、お前にはそれに協力してもらおうと思ってる。」
「はっ...?」
思わず口から漏れた一言は、僕の本音そのものだった。
意味がわからなかった。
アルカディアを、壊す...。
壊すってことか...この街を...。
この社会を...。
「壊す...って...できるわけないだろ。そんなこと。」
僕は否定する。
「なぜそう言い切れる?」
「なぜって...」
言葉が見つからない。
そもそもそんなことを、考えたことがないのだ。
理想郷と唄われているこの街が、誰かに壊されることなんて...。
「ククッ…信じられないって顔だな。まあお前ら住民は、そもそもそんなこと考えないよな。何も疑わず、何も考えず、システムが推奨した通りのことをやり、システムが定めた環境で生きて、そして死ぬ。お前らはそれを、当たり前のように思っている。まるで囚人だな。」
「なっ!!」
その言葉は、僕が昼間、ロレンス教授に話していたモノと同じ内容だった。
それをその青年が口にしたことに、僕は驚いた。
「だが、お前達は、この街の本当の姿を知らない。いやちがうな、知ろうとしていないんだ。」
「本当の…姿?」
「あぁそうさ、考えたこともないのか…?お前たちの生活が、社会が、何の上に成り立っているのか。」
そう言いながら、その青年は鞄から拳銃を取り出した。
構えようとはしていない。
しかし確かにそれは、その青年の右手に存在していた。
「もしお前がそれを知れば、お前も、他の奴らも、アルカディアに従うことも、住むことも、できなくなるだろうなぁ。」
「何を...君は一体何の話をしているんだ。だいたい、君もアルカディアの住民じゃないのか。」
「あぁ、そうだな。」
その青年は肯定した。
「俺は、アルカディアの人間じゃない。」
ありえないことを肯定した。
あってはならないことを肯定した。
「ハハッ…信じられないって顔だなぁ。まぁ確かに、外壁によって鎖国状態を作っているこの街に、外からの侵入者なんて、普通ならありえないことだからなぁ。でも考えてみろよ、そんなことを考える奴が、住民なわけがないだろ?」
考えてみれば確かにそうだ。
もしそんな事を住民が考えれば、おそらく直ぐに、摘発されてしまうだろう。
アルカディアでの監視はそういった意味も込められているのだ。
そういうことを企てた時点で、実動隊が迎えに来る。
「それから気付いてないようだから言っておく。あんたは1つ、大きな勘違いをしている。」
そう言って、その青年は、僕が座らされている椅子の周りを歩きながら、今度は向かいにあるドラム缶に手を置いて話す。
「…勘違い?」
「ああ、そうさ。気付かないか?あんたは最初、俺を脅す時、『すぐに実動隊が来る』と言っていたよな?」
「あぁ、確かに言った。」
「だがどうだよ、随分と時間が経っているよな?少なくとも2時間は経っている。それなのに、実動隊のサイレンすら聞こえない。」
確かに、その通りだ。
普通なら、もう来ていても、おかしくない。
「あんたが犯した勘違い。それはたった今いるこの場所が、アルカディアの中だと思っているということだ。」
そう言いながら、その青年は扉の前に歩いて行き、その扉を開けた。
手動式のスライド式。
青年が力ずくで開けた扉の先には、見たことがない荒野の景色が、広がっていた...。
「えっ...」
扉の横で、その青年は、またあの笑みを浮かべている。
そして青年は、からかう様に、見下す様に、しかし僅かに、歓迎の色を添えながら、僕に言った。
右手の銃を僕に向けながら、その青年は言った。
「ようこそ、アウトサイダーの世界へ」
その青年の言葉で、僕は自覚した。
青年が僕に構えた銃も含めて、このありえない幕間劇が、どうしても現実であるということを、このとき僕は、どうしょうもない程に、自覚するしかなかったのだ...。
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