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理想の裏側
「当時は私も余裕があったわけじゃないのよ。だから店を手伝う条件で、あの子と暮らし始めたの。あの子との出会いは、そんなところ...。」
ヴァローナとの思い出を語るカーグさんは、懐かしさのなかに、どこか悲しさが見えた気がした。
その悲しさはきっと、はじめてヴァローナと出会った時の感情なのだろう。
「あの子はね、最初は何も話せなかったのよ。口を閉ざしているというより、『話す』ということ自体を、知らないような子だったの。それでもね、教えた仕事は、ちゃんとこなしてくれていたし、それに普通に人を雇うよりは、はるかに安上がりだと思ったから、私もあの子を、追い出そうとはしなかったの。」
そう言いながら彼女は立ち上がり、戸棚の上に置いてある写真立てを手に取って、愛おしそうに眺める。
そこに写されていたのは、幼い頃のヴァローナだと、すぐにわかった。
彼の特徴的な、冷たい眼差しは、きっと昔から変わらないのだと、僕は思った。
「そんな時ね、この酔っ払いと出会って、アルカディアのことを沢山調べたの。あの子はまだ話してくれてなかったけど、ヴァローナはアルカディアと何か関係があるって、信じて疑わなかったから。」
そう言いながら、今度はガットネロさんの方を見る。
「ねぇ、ユラ君。あの子がどうしてあんなことをしようとしているか、あなたは知っている?」
「え?」
唐突な問いかけに動揺した。
けれどなぜか答えなくてはいけない気がした僕は、彼と初めて会った時のことを思い出す。
「...ヴァローナと最初にあった時、『アルカディアを壊す』って、言われました。そして拳銃を突き付けて、『協力しろ』って言われたんです。本当、理不尽ですよね?」
「フフっ...たしかに理不尽ね。」
「けれど今は、その理不尽さも含めて、なんとなく納得しているんです。」
「それは、どうして...?」
「どうしてなんですかね...けれどあの時、僕がアルカディアの外の景色を見せられた時、僕がアルカディアの外に連れ出された時、僕はヴァローナなら、理想都市を変えることができると、期待してしまったんだと思います。」
「フフッ...けれどあの子は、『壊す』って言っているのよ。あなたの故郷である理想都市を...そんなことを言っている人に対して、『期待』なんて言葉を使うなんて、貴方もおかしな子ね...。」
「そうですね...僕はどこか...おかしいんだと思います。」
彼に誘拐された時も、感じていた。
こんな普通ならあり得ない、誘拐されて、自分の故郷に対するテロに協力させられているこの状況で、落ち着いていられる僕は、何処か壊れているのだろう。
「そうね...けれどあなたは、まだヴァローナから、本当のことを、聞いていないんじゃないかしら?」
「本当のこと...ですか...?」
僕がそう言うと、カーグさんは立ち上がり、戸棚の中から、資料の束を取り出した。
「これはね、アルカディアシステムの創設に関する資料なの。これがあなたたち、アルカディアに住んでいる住民が、知ることができない、本当のことよ。」
そう言ってカーグさんは、その資料を、僕に渡した。
「...これって...。」
渡された資料の内容は、あまりにも非人道的なモノだった。
アルカディアシステムの大元になるスーパーコンピューター。
それに使われているモノは、都市建設にかかわった人達の「脳」を、多胎的に移植したモノであると、その資料には記載されていた。
それはつまり、そのシステムを作り上げるために、大勢の人の脳を使っていることになる。
そしてそれを使われた人達は、結果的に殺されたのだろう。
あのシステムを作り上げる為に、たくさんの人を、殺したのだろう。
カーグさんはその資料の、ある部分を指さした。
そこに記載されていたのは、アルカディアシステムの計画の前に行われていた様々な実験内容であった。
そしてその中には、幼い子供達のクローンを用いた、身体能力強化実験の計画が、記載されていた。
「ココに記載されている子供達を使った実験。ココにきっと、あの子も居たんだと思うわ。人工的な薬物治療を施されたりもしていたらしいから...」
「そんな...」
そこまで聞けば、どうして幼い時のヴァローナが言葉を発せられなかったのか、ある程度想像がついてしまった。
まだ未発達の脳に、人為的な負荷を掛けるのだ...。
死ななかったのが、奇跡の様なモノだと、僕は思った。
「それだけじゃないさ。」
声の方を振り向くと、ガットネロさんが起きていた。
「ガットネロさん...。」
「あら、起きてたのかい...。」
「あー...すまないが水を頼むよ。」
そう言われるとカーグさんは、コップに水を用意して、ガットネロさんに渡した。その水を飲んだ後、彼は話し出した。
「今回俺たちの作戦の要になっている、アルカディアからの護送車だが...どうして最近やたらと出入りしているんだと思う?」
「どうしてって...」
「この町じゃ、子供だろうが大人だろうが、攫われていなくなったとしても、問題にすらならないからだ。恐らく都市の奴らは、より多くの人間の脳を使って、何かをやろうといているんだろうな...。」
それを聞いて、僕はあることを思い出した。
アルカディアは今年、創設して二十年目の節目を迎える。
もしかするとそのタイミングで、何かするつもりなのだろう。
より多くの人の脳を使って、何かをしようとしているのだろう。
そこからは、誰も何も、話そうとはしなかった。
僕は1人、必死でその資料を読み、理解しようとした。
しかしその内容は、 理想郷と唄われている裏側である。
そのあまりにも残酷な真実に、僕はただ、目を背けずにいることしかできなくて、本当の意味で理解できるわけではなかった。
そしてこの部屋に纏わりついた空気を不快に感じる頃には、もうなにもかもが手遅れなのだと、僕は悟った...。
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