企画会議

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企画会議

女性の地位向上なんて聞いて呆れる。 そもそも、地位をだなんて、女性の地位が低いことを認めているってことではないか。 別に地位向上なんて求めてない。 ただ幸せに生きたいだけ。 そんな当たり前の思いを当たり前に享受したいだけなのに、本質からズレた女性活躍がどうとか言い出すから矛盾が生じているんだと思う。 私の勤める会社も例外ではない。 「ママと一緒に楽しめる玩具」というコンセプトを打ち出している玩具メーカーだ。そのコンセプトを打ち出したのは、世の中の流れに大きく忖度しただけ。 「ママを応援する!」などと、女性の味方のようなコンセプトを打ち出したくせに、オッサンが集まってママを応援するための企画会議をしている矛盾。 第一営業部の山野さんは、そんな中で、日々奮闘していた。 数年前まで私の上司だった彼女の奮闘ぶりは好感が持てたし、とにかくかっこいい。 彼女が提案する企画は、企画自体が魅力的であるほかに、数字の根拠がしっかりしており、コンセプトにもブレがない。その上、営業成績は社内ナンバー1。 ある日の企画会議の日、第一、第二、第三営業部の各部長と、営業サポート課の私が開始時間の5分前に集まった。そして、営業部を統括している神田執行役員がいつも通り開始時間より遅れて会議室に現れ、ふんぞり返るように上座の椅子にどかっと座る。資料にざっと目を通したかと思うと、資料に目を落としたまま、低い声で「始めて。」とだけ告げ、その一言だけで、その場の雰囲気を支配する。 山野さんのプレゼンが始まると、途中に何度も話を遮り、本質的な部分から大分ズレた指摘を始める。 「そんなミスするなんて、君、社会人何年やってるの?」 「小学生でも分かる質問しかしてないんだけど、答えられないの?」 「そもそも、そんな製品、需要あるの?子供でも思いつきそうだな。」 などと、矢継ぎ早にあの低い声でネチネチと言い続ける。 そして「だから女には任せられないんだよな。」とお決まりの言葉を吐き捨てた。 それでも、山野さんは、笑顔でその場をやり過ごし、「それでは、次回までに、より精緻化した実績と予測の数値を算出してきますね。」とニコっと笑い、会議が終了した。 山野さんの凛とした態度とは対照的に、私は、会議の内容を反芻しながらもやもやした気分を解消できずにいた。 このまま執務室へ戻ることが出来ず、屋上へ足を運んだ。 すると、黒髪ショートの背筋をピシっと伸ばした小柄な女性がベンチに腰かけてノートパソコンで作業をしている姿が見えた。 山野さんだ。 小走りにベンチに駆け寄り、「山野さん」と声をかけると、はっとしたように顔をこちらに向けた。 「あ、さっちゃん。」 山野さんは、未だに私のことをさっちゃんと呼んでくれる。 私にとっては、憧れの上司で、部署が変わった今でも、気にかけてくれる。 そんな山野さんが、泣いていた。 「ごめんね。見られたくない姿見られちゃったなぁ。」 「す、すみません。山野さんの姿が見えたので・・・。仕事・・・されていたんですね。」 「うん。まあね。でも、今日もコテンパンにやられちゃったわ。」 そう言って力なく山野さんは笑った。 「いえ、そんなことありません!私の目には、神田役員よりも、山野さんの方が優勢に見えました。私、山野さんのプレゼン聞いてて、すごいワクワクしました。でも、なんだかすごくモヤモヤしちゃって・・・。」 「ふふ。さっちゃん、ありがとう。あなたが今、営業サポート課の課長でいてくれてすごく心強いよ。」 「ありがとうございます。でも、やっぱり、毎回毎回、神田役員の指摘は何だか的外れな気がしていて。嫌がらせにしか思えません。というか、私、神田役員嫌いです。」 「はは。さっちゃん、またほっぺ膨らませて。部下にはそんな顔見せちゃダメよ。それと、そんなことも言っちゃダメ。って、ここでメソメソしている私が言っても何の説得力もないか。」 私はブンブンと首を横に振り、そんなことはないという意思表示をした。 神田役員は、数年前に突然、鳴り物入りでうちの会社に入社してきた。 新卒で大手銀行に入行したあと、複数のコンサルティング会社を渡り歩き、倒産に瀕していた企業を何社もV字回復させてきたという。 そんな噂がまことしやかに囁かれ、その手腕を会社全体が期待をしているようだが、私には、ただのクラッシャーにしか見えない。 様々な企画に対して、重箱の隅をつつくような指摘をするだけで、もっともらしい、でも、全く建設的ではない指示をするだけ。 それに耐え抜き、企画が実現し、ヒット玩具が生まれたときには、「私の企画だ」と大げさに上に報告をする。 それに耐えきれなくなる者もおり、営業部の各部長は、入れ替わりが激しい。 そんな中で、山野さんは、何度もヒット玩具を生み出してきた。 「さっちゃん、ありがとう。今回の企画はね、どうしても通したい企画なの。」 山野さんは幼い頃、子供用の玩具で大けがをした話をしてくれた。 5歳の時に、おままごと用炊飯器で、誤って沸騰した熱湯を右足にひっかけてしまったという。 その時のことをお母さんは今でも自分を責めている、というのだ。 うちの会社に入社し、「ママと一緒に楽しめる玩具」というコンセプトを会社が打ち出したときに、お母さんと約束したのだという。 「本当に安全で、お母さんと子供が安心して遊べるオモチャを絶対に作るから。だから、お母さんも、もう自分を責めるのはやめていいんだよ」と。 「だからね、私、絶対負けない。この企画、絶対通してみせるんだから。」 そう言うと、山野さんは、いつもの爽やかな笑顔に戻っていた。
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