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まるで、ずっと昔からの友達みたいに、私たちは気が合った。
学校からの帰り道、ランドセルのカバーをパカパカさせながら、お化けトンネルを通り抜けて、ナナシの暮らす廃墟へ向かう。びっしりと蔦に覆われた扉を叩くと、律儀に頭を下げながら、「こんにちは」とナナシが出迎えてくれる。
電気もエアコンもない家の中は、暗くて、ちょっと肌寒い。でも、蝋燭にマッチで火をつけて、擦りきれたソファに並んで座り、自動販売機で買ったばかりの熱々のココアを飲むと、寒さなんて忘れてしまう。
もっぱら話すのは私の方で、ナナシは聞き役だった。
学校のクラスメートとは違って、私のどんなに些細な話にも、真面目に相づちを打ちながら、真剣に聞いてくれる。ナナシはあまりお喋りではなかったけれど、言葉を交わさない時間が続いても、不思議と気まずい気持ちにはならなかった。沈黙を心地よく感じるのは、初めてだった。
「ねぇ、ナナシ。むかしむかし、空は青い色をしていたんだって」
私はさっそく、今日授業で習った話をする。
「とってもへんてこだと思わない? 空は白いに決まってるのに。雨が降ったら、絵の具が垂れるみたいに、青い滴が落っこちてきたりするのかな」
雨の代わりに青い絵の具を浴びて、頭から爪先まで真っ青に染まった人たちが、大騒ぎする様子を想像すると、笑ってしまう。
「見てみたいね、青い空」
「そう?」
「うん、見てみたい」
ナナシが、窓の方を指さす。
そこにあるのは、勿忘草の鉢植えだった。
全体的に色褪せた家の中で、そこだけ青いランプが灯っているかのように、明るい。私が初めてこの家を訪れた時から、同じ場所で、慎ましやかに咲いている、美しい花だった。
ふ、とナナシが微笑む。
「あの花が、空いっぱいに咲いていたら、きっと、綺麗だろうな」
遠くを見つめるナナシの瞳には、どんな景色が映っているのだろう。長い前髪が影を落とす瞳は、まるで、誰も知らない秘密を隠しているみたいに見える。
私は、その横顔を見つめながら、小さな青い花が、白い空いっぱいに咲き誇る様を、一生懸命思い浮かべようとする。
時計の針が二周したら、名残惜しい気持ちをこらえて、ナナシの家を後にする。帰りが遅くなると、「図書館で勉強している」という言い訳が通用しなくなり、ママに怪しまれるからだ。
家の前でバイバイをして、私は自分の家へ、ナナシは今日の仕事場へと向かう。
ナナシには、家族がいない。だから、生きていくために働かなきゃならないのだと言っていた。
ある時、家を訪れたら、ナナシが頭から血を流していたことがある。仕事で怪我をしたらしく、蒼白な顔をしたナナシは、今にも倒れそうだった。
はやく病院へ行かなきゃ、と私はナナシの腕を引っ張ったけれど、ナナシは小さく頭を横に振った。
「病院には行けないんだ」
僕には、戸籍がないから。そう、ナナシは呟いた。
それが、どういう意味なのかは分からなかったけれど、ナナシが本当にひとりぼっちなのだということだけは、胸に突き刺さるように、よく分かった。
だから、私だけは、ナナシのそばにいてあげたい。
遠ざかっていく背中に向かって、その後ろ姿が見えなくなるまで、私はずっと、手を振り続ける。
「また明日!」
大きく息を吸い込んで、呼び掛けると、ナナシはちょっと立ち止まり、手を振り返してくれた。
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