ゴルドベルグ・死に至る煩悶3

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ゴルドベルグ・死に至る煩悶3

第23話 『イアンの宿痾(しゅくあ)』 4月Д日  先生がよく買い付けに行く街の魚屋の結婚の宴があった。  わざわざ事務所を閉めて貴重な1日の半分を無為に浮かれ騒ぐよりも、残って今月の収支の処理をしたいと訴えたのだが、先生から首根っこを掴まれる形で参加させられた。  午前早々に仕事を打ち切り(不本意ながら)、ドロテア一人を留守番にして、先生、僕、ブレーズで向かったが、あれは懇意にしているからというよりも常日頃からの先生のご贔屓に図々しく乗っかって来たような招待だろう。  僕にしてみたら、貴族と付き合いがあるということを暗に誇示したい小市民的虚栄心なのではないかと推察するのだが、先生本人はそういった疑念について露ほども斟酌しない。純真さの塊のような人だから致し方ない…  そしてそれはどうやら的を射ていたらしい。その証拠に魚屋の主人や細君は僕達三人を喜んで出迎えながらも、先生が現れたことが望外であることをまざまざと表情に浮かべていたから。  それはそうだ。爵位を持つ者があんな下町の魚脂臭い店を、商売抜きの付き合いで訪れるなどまずあり得ない。「息子夫婦の晴れ舞台のためにこれこれの貴人を()んだ」と吹聴することができれば満足だったのだろう。  それを真に受けて礼と実とをもって応えるなど、オーストリア広しといえども先生くらいのものだ。  「貴族に声をかけることが許される親しさ」を隣近所に示したいぐらいの心づもりであるなら、底意というにはまだかわいらしい。糾弾するにはあたるまい。挨拶の後はいつものように打ち解けていたし、それに先生は結婚した魚屋の跡取りとその花嫁の幸福な門出を我が事のように喜んでいた。  それから水揚げしたばかりの川魚(これで先生が釣られたといっても過言ではない)に舌鼓を打ち、こういった祝い事につきものの冗談やホラ話や戯れ唄で周囲の団欒を華やかにし、暖炉に薪をくべるように給仕役の魚屋の細君や主人を笑わせていた。  だが僕はあの幸福そうな風景を心から楽しいとは思えなかった。多分、………先生への待遇(あつかい)について、先生以上に敏感になっているせいだ。  先生はもっと大事にされ、敬われるべきだ。「酒の席は無礼講だ」と言われたが、守るべき限度や礼節というものがある!  間違っても酌み交わした筋骨逞しい郵便配達夫から背の低さをからかわれて子供のように持ち上げられたり、乱暴で恐れ知らずの巡査に腕相撲の咬ませ犬にされたり、気立ての穏やかな動物よろしく近所の幼児達からもみくちゃにされたりするべきではない。  …下層の人々らしい親しみのこもった行為に対し、物言いをつけて場を乱すことは不粋だと理解している。だからこそ僕は我慢した。どうにかして改善しなければと、今後の対処ばかりを考えて膝に爪を立てているうちに時が過ぎた。  忍耐というものは、それが可能でいられる間だけ価値を見出せるものなのだろう。  しかし一番の問題は当の本人がそれらを笑って許している点だ。しまいには「そらそらイアン、また君のお得意のしかめっ面だぞ。いったいどこの誰がこんな硬いクッキー人形を焼いてきたのかね」と僕の頬をつねってきた。  宴もたけなわ、座興の段になると先生が「これぞウィーンっ子のお楽しみ!」と言うところの集団のダンスが始まった。あの家はもっと床を頑丈にしなければ、次の冬を迎える前に高い確率で誰かが脚を怪我することになる。  舞踏は先生の称賛すべき数少ない特技のうちのひとつだ。僕は年代品のピアノで伴奏を任された。  ポルカというあの間抜けなほど陽気な異国のメロディに乗せて、農村の仔犬より陽気に、森の奥の小鹿より精力的に、粗末極まる商家の床をダンスホールよろしく跳ね回る先生。  それにしても見事だった。激しいリズムに半拍もずれることなくステップを合わせられるのは、先生が身に半分がた流れている母方の縁、平原の国(ポーランド)の血のなせるわざなのだろう。  先生は他の参加者と一体になり、ときに主導しときに追従し、数時間踊り舞ってもいっかな疲れる気配を見せない。このスタミナと集中力が裁判にも活かされれば良いのだが。  帰る時分となって、そう感想を漏らしたところ、先生から「茶目っ気やダンス好きはフェルダー家の伝統だ。血筋に逆らうのは愚かなことさ」と言われた。  そのおかげで僕は酔いどれ二人(先生とブレーズ両名)を肩に担いで帰宅の面倒を見る羽目になった。結局はいつもこうなってしまう。進歩の無さには溜息が出てしまう。  ブレーズは振る舞い酒を浴びるほど呑み、人の形をした大根のように(ねむ)ってしまっていたので、ドロテアが来てからというものずっと彼の寝床になっているソファへそのまま放り込んでおいた。  先生はといえばアルコールと運動で目を回し、少しばかり鼻血まで出していたので、食堂で酔いざましの水を含ませてから自室に運んだ。  上着と靴だけ脱がせ、その身体をベッドに入れたとき、上掛けがふくよかな頬に触れると僅かにふっと微笑んだ気が……いや、正確には微笑んだのだ。  ありがとうもおやすみもない。先生と酒との逢瀬に付き合えばきっと、これからも数え切れないほどあるだろうこと。  だがあの瞬間、この胸にさざ波のように広がりあふれた感覚を、なんと呼べば良いのか僕には未だ判らない。  僕にできたのは、先生の魂が酩酊のために身体から抜け出てしまわぬよう額を撫でることだけだった。 (一行に足るか足らぬかの空白)  この人の愚かな行為に付き合わされることは僕にとって時に不愉快だ。それは確実なことだが、もうひとつだけ言えることがある。  現在、僕はふしあわせではないのだ。 5月 Ж日  メニエ夫人のもとでドロテアは非常に熱心に礼儀作法を学んでいるらしい。清廉な上流階級の乙女が集う女学校生活になじむためには、必要不可欠な修行なのだ。  その発表会・寸評会・検討会…ともかく、そのすべてをひっくるめたような茶会があった。  僕の意見としては、ようよう両生類にまで進化したというところだ。が取れ、陸上生物になれるのはいつの日になることか…まだまだかかるだろう。  それに参観する保護者側のほうにも問題が数多く見受けられた。とくにブレーズときたら音を立ててコーヒーを飲むわ、くしゃみは口元を抑えもせずにぶちかますわ、礼儀作法などどこ吹く風。彼こそメニエ夫人に預けるべきだったかもしれない。  先生も身内びいきがすぎる。「ドアを足で蹴ったくって閉めなかったな」とか「気付いたかい。座った時、一度もテーブルに肘をついていないんだぞ!」とか採点の基準が甘いどころの話ではない。  浮かれている審美眼の頼りない先生とお行儀の初歩さえおぼつかないブレーズには、些末な点に一喜一憂しないでよく見ておくこと、小さな進歩をおおげさにとらえないこと、この程度で満足していてはいけないことを言い含めた。ウィーンのちゃんとした学院で高等教育を受けるには、さらに幾つもの段階が待っているのだから。 5月 О日  先生が右手に大怪我をした。 (糊付けされた手書きのカルテ。フランス語表記) 『マクシミリアン=フォン=フェルダー アライグマ人 31歳 男性 右手掌より手背へ抜ける創傷、3㎝程度。金属製の刃物によると思われる。 充分な水で洗い流したのち、熱湯消毒した絹糸により創部を縫合。 予後にはくれぐれも注意すること。細菌の侵入による敗血症を起こす可能性大。』  昼だった。第2、第3中手骨間に刺突創をこしらえて帰ってきた。右袖口から肩にかけて血みどろの上着を見たときには心臓が止まるかと思った。  一旦沸かしてから冷ました湯を作り、清潔になるまで傷口を洗浄した。 「うっかりしていたよ、急いでいた誰かに突き飛ばされてよろめいた拍子に、低い植え込みの鉄柵に手をついてしまって」と先生は血の気の失せた面をしてはにかんでいたが、血肉の隙間に入り込んだ黴菌のせいかその声すらも微熱を帯びていて、痛みを表に出すまいと無理に強がるさまは痛々しかった。  おまけにそれがでまかせの嘘で、通り魔にやられたことは一緒にいたというブレーズを締め上げるまでもなく露見した。  僕は医学は多少修めているが実務についたことがない。いかさまな医術でのちに憂いを遺すわけにはいかないので、きちんとした医師であるラウル(たまたま居合わせたのが今回初めて役に立った)に任せるほかなかった。  麻酔なしで掌の表裏を3針ずつ縫ったが、先生はひとことも泣き言や呪いの言葉を発さなかった。  だが………あの悲鳴だけは……………(筆跡が細まり途切れており、判読不能)  縫合に耐えながらも、唇がめくれ上がるくらい噛み締めた歯茎からは、かすれた風のような悲鳴が高くなり低くなり絶えず漏れていた。  普通の人間なら、例えばそう、これがブレーズならば、「畜生」だの「えいくそ」だの「くたばりやがれ」といったありとあらゆる罵声が(神を愚弄することをも恐れず)口をついていたはずだ。  それほどの苦痛、監獄に収監された極悪人ですら悲鳴をあげて七転八倒するだろう責め苦を辛抱することができるとは。  あれこそ英雄の強さだ。  手術の後、ラウルから階段の裏でこっそり聞いた。あれは何か鋭い槍のような、しかし短い凶器のなせる(きず)だと断言された。先生にそれとなく尋ねてみても「あれは事故みたいなものだから」の一点張り。警察も来たが、大々的な犯人捜索などをするつもりはさらさらないらしい。畜生!!  いけない、動揺しては…  一体何がどうなっているんだ。先生が犠牲になるなんて…  いずれ地の果てまでも追い詰めてやる。  相手が誰だろうと。 5月 П日  熱が下がる気配を見せない。汗がマットレスも湿気らせ床へとしたたるほどだ。  下着の替えが尽きないようドロテアとブレーズに洗わせる。 5月 Р日  まずいことに(書きなぐった痕跡あり) 5月 Т日  どうしても熱が下がらない。マクシミリアンが日に日に弱っていく。脈も呼吸もたよりない。  一時間のうちに何度も脈をとるために手を取る。いつしか手首の橈骨に僕の指先が固定される。そこに拍動が触れないことを予想しては怯えながら___もうこんなことはまっぴらだ。  こんなはずじゃない。あの人はこんな終わりを迎える人じゃない。  幸せに。幸せになってほしかったのに。僕の命であがなえるなら、いますぐに心臓も血もなにもかも差し出す。  これは僕への罰なのか。  しあわせそうな二人。光と輝きに包まれた二人。…先日の、あの若夫婦。  僕は、僕が手に入れたくとも手に入れられないものをまざまざと見せつけられて、祝福とはべつの感情がふつふつと湧き上がってくるのを抑えきれなかった。 (ページ全体に渡り滲みのあとあり。筆跡も歪んでいる)  それで選んだ曲がダルマチアの伝承にある“死せる者の恋”────吸血鬼となって自分を裏切った恋人をおとずれる王の(うた)だった。  くだらない嫉妬のためにそんな呪いまがいのことをしたものだから、神の怒りをかったのか。もう十分だ。  先生を苦しみから解放してくれるなら僕の命なんか差し出して構わない。悪魔にでもくれてやる!  この世に生まれ落ちてから犯してきた罪が、大きなものも小さなものもないまぜになって頭の中にあふれてくる。まるですべてが僕のせいであったかのようだ。  マクシミリアン。ああ、気が狂いそうだ。こうして書いていなければ、僕は禁を破って犯人を探しに飛び出して行くだろう。自分が自分でないようだ。魂が砕けそうだ。取り乱してはいけない。  祈ったことなぞついぞないのに、正気にかえると祈りに数時間を費やしている。  誰だ。一体誰がマクシミリアンにあんなことをした。  ああ、 (空白)  もうすぐ朝だ。着替えの準備をしないと (次の記述まで空白。ページにシミと皺が著しく、数ページ分の記述が判読不可である) 6月 У日  「今宵が峠ともなるだろうね」というラウルの言葉。遠い国の別の言葉のように聞いていた。  先生の小さな身体の中では、今まさに、死神の鎌と生命の聖火が争っているのだ。 (空白)  さっき居眠りした間にいやな夢を見た。  故郷のダルマチアの風景。そこに見慣れた寒い冬の葬列。  キリスト教徒の住民の、ややもすれば陽気な行事。鼻の頭を紅くした子供らが親に焼栗をねだって手に入れ、それを齧りながらついていくああいった風景…  ではなく、ひたすらに陰気なユダヤ人墓地への葬列をなす同族たちの夢(僕はあれが大嫌いだった。陰気で退屈で得られるものとてない…父は他の家族のように屋台で焼栗を買ってなどくれなかった)。  その葬列の只中に僕がいる。  そしてなぜか先生が、黒い服を着てうなだれた、(もみあげ)の長い男達の隙間に遠く小さく見え隠れしている。丁度林道を通り抜けるときには、まるで木立に現れては消える鹿のように…  雪が地面から染み込んできて気持ちが悪い靴を鳴らしながら、僕はそれ自体がすでに死人の行列のような人波をかき分ける。走り、(まろ)び、泣き、鼻水だらけの顔をして。そして大声を発していた。  待って、先生、待ってください。僕を置いて行かないで。僕のそばからいなくならないで。手の届くところにいて。そんな生気のない顔なんか見たくない。  目が覚めてから、もうずっと先生の脈と呼吸をみているが、どうも静かだ。もう自分の手先の感覚すらもおぼつかない。  僕がおかしくなったのか、それとももう先生は(以下、空白) 6月 Ё日  やっと…回復の兆しが… (紙が数ページほどよれて張り付き、剥がすも、いくらか破れてしまった。これは水気でふやかされたためであり、当博物館の学芸員(キュレーター)の不手際ではない) 6月 Ш日  先生が意識を取り戻した。  この数日間のことを思い返そうとすると、まるで冬眠していたかのようにモヤに包まれてはっきりしない。  先生が襲われる前、あの魚屋のちんまりとした家に、押すな押すなと近隣住民(そのほとんとが振舞い酒にありつこうという輩達)が(つど)った夜。僕は祝福されるべき新郎新婦のためではなく、先生のために故郷の歌を弾いた。古い時代の悲恋の歌。老王と若い娘が戦に引き裂かれ、残酷な終幕を結ぶ物語のような歌を。  たまさかそれを良からぬ霊が聞きつけて、その歌詞になぞらえるように僕とあの人を引き裂こうとしたのかと後悔に苛まれた。  この振り返れば短い、その当時には永遠にも思えた期間に生まれて初めてしたこと…心の中に神への無心の祈りを唱えたこと。  これまで自分の出自にも関わらず、敬虔なユダヤ人のあるべき素振りなどしてこなかった。むしろそれを避け、熱血的な連中(異性と握手さえしたがらぬもみあげの長い連中)のことを小馬鹿にしさえしていた。  どころかキリストの民の列に並び、何食わぬ顔でミサに紛れたりもした。  ところがだ。  己の手の及ばぬ運命の最果てに、僕はただ祈ることしかできなかったのだ。  なんと頼りないのだろう!自分を呪う。  あの日、先生の供をしていたら。医師の免状を持っていたら。危険が去った今も尚、いやだからこそ、後悔は尽きない。  先生が意識を取り戻して、ブレーズなどは「っしゃ!っしゃ!」と叫んでは幾度もトンボを切った。その後、それを事務所のビルを取り巻いていた人々へ伝えると、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。  指笛を吹く者があった。感謝の祈りを捧げる者達もいた。  こんな光景は前にも見た。あれは先生がかつての馴染みの女性を亡くし、悲嘆のあまり失踪したときのことだ。あのときにも、この優しいひとの生死を案じて人々が集まった。  僕はそこまで喜びをあらわにするだけの余力もなく、ただ茫然自失するばかりだった。そのあとは、たぶん…気を失っていたのだと思う。  目を覚ましたのは夜半を過ぎてからだった。なぜか(きっとブレーズあたりの仕業だ)先生の真向いのベッドに横にされており、反対側のベッドで起き上がった先生が僕をひたと見つめていた。  看病していた時とはあべこべの状況に不意を衝かれて困惑する僕に、 「喉が渇いているんだが、紅茶を一杯お願いしていいかな」  といういつもどおりの言葉。それがたまらなく感動的で、胸が潰れそうだった。  先生から顔をそむけ、声を喜悦に震わしたり、頬や顎を洗い流すものを拭いたい衝動をなんとか押しとどめた(そのためにスーツもクリーニングが必要なくらい濡れてしまった)。 「珈琲でも紅茶でも湯冷ましでもイチゴ水でも、特別になんでもお好きなだけ用意しましょう」  と、できるだけ平静を装う僕に 「あ、そうか?ならば君のとっときのワインを」  などと言いかけたので、 「お酒以外、という注釈をつけますが」  と遮った。先生はいかにも無念、という強いしかめっ面を作り、僕を笑ってくれた。  もう大丈夫だ。  もう、大丈夫なんだ。 6月 З日  今日は先生に、ドロテアやブレーズが飲ませた、例のおぞましい蚯蚓(みみず)や雑草の煎じ薬のことを話した。  (おお)きに苦笑して 「さすがの私も意識があったら飲み下せなかったろうなあ。今では塩漬けニシンさえごちそうに思えるよ」  と言うので 「でしょう」  と訂正させた。 6月 Ф日  先生の容体は安定した。今朝は僕よりも先に目を覚ましており 「イアン、夜更かしをしていると風邪をひいてしまうぞ」  と書類仕事を先生の寝室に持ち込んでスーツのまま寝入ってしまっていた僕を気遣ってくれた。  その何の気無さに、まるで床に臥す前にそうだったように「この程度で病気をもらうほど北国の人間はヤワではありませんよ」などと返してしまった。  僕の皮肉を受け止める先生の微笑みは以前のままだ。…やつれ果ててはいても、頬にも唇にも、何よりその表情に回復の兆しが見て取れる。この安堵を形容するすべがない。 6月 Ы日  遅滞していた案件の整理が落ち着いたのを見計らい、あらためて通り魔についての正当な報復を言及しようとしたところ、実行せぬよう先生に諭された。 「ひとの魂というものは元来悪と密接に結びつけられているものだ。しかしまた、善なるものとも深く結びついているのさ。そのうちどちらかを不要(いらぬ)とするなら、その者は片輪になってしまう。復讐おおいに結構!人はいくら堕落しても良いのだ────空想の中でなら、ね」  つまり、芝居や小説の舞台に限定されて許されたものであり、現実で実行に移すことは許容しかねるという。  そして「頼むイアン、なんでも望むことをするから」 と、わざわざ痛む方の手で僕の袖をつかんで離さなかった。 「そう言われたら是非もなく僕が従うと思っていらっしゃる。僕を侮るのもいい加減にしてほしいですね。他のことでなら呑みもしましょう、だがこの度の凶行にあっては───こればかりは無理な話です!」  僕はただ正直にそう吐露した。  なんの非もなく咎もなく、ただその場に居合わせたというだけのことで負傷させられ、危うく命を落としかけた。…まるで蟻を殺す遊びのように。  その被害者が、かれを警護する者にその相手を許せという。これではあべこべだ。  どうやって、いかなるすべをもってして、あの慈しみ深い先生を傷付けた下手人を許せというのか。到底できない。無理難題だ。  既に一回塗りつぶされたキャンバスの上に新しい絵を描こうとしても、顔料が混じってきたない色になり、僅かな凸凹が表面に出来損ないの皺を(しるし)に残す。  それと同じだ。この僕の怒りは、憤りはいまや完全に描き上げられた一枚の復讐計画だ。きれいごとでうわべを誤魔化すことなんてできっこない。鞭を尻に打たれ走り出した駿馬のように、復讐を果たすまで止まらない。  その僕の殺気を敏感に感じ取ったのか、先生は 「私が君を大事に想うからだ。君が君自身の評判を落とすことを、この私が望まないからだ。この友からの愛は、その決意を拭うには足りないだろうか?」と言って、すかさず「私からもうこれ以上、愛する人たちを奪わないでほしい」とたたみかけるように懇願された。  思わぬことばの衝撃でひるみそうになる決意と困惑の狭間(はざま)で、「それでも僕は、そいつを懲らしめずにはいられない!」と先生を押しのけようとした…ように思う。  そんな僕に先生は取り付いて放さず、絞り出すように「それでも私は、君に思いとどまってもらいたい!」と叫んだ。  どこまでも続く静寂だった……ついには先生の懐中時計の針音だけが響くに至り、僕が耐えかねて口火を切った。 「お願いだイアン、と言いたいのでしょう。今度ばかりは駄目です」  こちらの服の襞に指をかける両手、その片方には白い包帯。痛みに目元を歪ませ、僕を見上げる緑色の瞳。その潤んだ虹彩は、こちらの決心を変えようという意志をまっすぐにぶつけてきた。  悲しいような、いわくいいがたい目だった。そこに映る自分の姿が、なんだか非常に愚かしく自分勝手なものに思えてきて、僕は次第に力を失っていった。  結局は先生の粘り勝ちになった。  椅子に崩れ落ちて、座したままあやされる子供のように先生に抱擁されながら(先生は立ったままだったが)、どうして僕に手を下させない、探索も僕に任せてくれればいいのに、僕ならできる、僕ならやれる、あなたは何にも気にしなくてもいい、あなたの手も汚さずに済む、それに正当性だってある!…などと考えが堂々巡りをしていた。 「私たちはね、イアン。つじつまを合わせるために生きているわけではないのだよ。無理に運命を従わせようとしなくていい。流れに任せることが大事なんだ」  それだけで後は語らない。はじめは悲しげに見えた瞳はやがて愛情に満ちたものとなっていた。  正義論や信仰を振りかざすより、合理や道理をもって縛られるより、あの抱擁だけですべてが済んでしまった。  その後ブレーズがやって来て、彼なりの言い方で同じように復讐することを、その正当性を説いたがやはり先生は許さなかった(ブレーズには納得できないことであるようだったが)。  僕は(ブレーズ)とは違う。先生が愛ゆえに訴える不戦論を、同じ理由から承諾するのみだ。  そしてそれが、僕にとっての唯一にして最大の誇りだ。 7月 Ю日  おかしな生活だ。男三人(先生、僕、ブレーズ)が同じ建物で同じ釜の飯を食い、そのうち二人は同じ部屋で寝ているという外聞をはばかる緊密さ(ひとえに先生の身辺警護という大義名分がなかったら僕は、自分の欲望を恥じて死んでしまっただろう)だ。まるで寄宿舎か生臭い修道院のようだ。ドロテアがいてさえそうなのだ、まったく先生もブレーズも普段彼女に湯上りの半裸の身体など見せつけるところからして倫理観念が薄弱だ。  先生も怪我の回復に合わせてだんだん調子づいてきている。一応は僕の指示に従うものの、それは形ばかりで、言いつけをきっちり守ろうという従順さは微塵もない。昨晩など11時を過ぎてからこっそりと(地域の婦人が差し入れたらしい)粗末なケーキをつまみ食いしていたところをたまたま手洗いに立っていた僕に糾弾されるや、反対に怒鳴り返された。 「私は一度死んで生まれ変わったんだ。きみの言うように野菜も塩漬けニシンも、好き嫌いせずもりもり食べているだろう?右手の指だってしっかり運動させているんだ!あたたかい気持ちぐらい受け取っても良いじゃないか!? 」  あまりの剣幕に僕はただ両手を広げて肩をすくめるだけだった。 7月 A日  床を上げた先生に呼びつけられた。いつものチョッキにズボン、ループタイの衣服で姿勢を正し、凛と張った声で何を言うのかと思えば、先日からの僕の看護と警護に対する礼だった。  僕は直接に視線を合わせることを避けた。もしあの人のまっすぐな瞳でその言葉を聞いてしまったら、きっと我慢できなかったろう。 「ありがとう、助けてくれて」  と先生は深々とお辞儀をした。 「君のおかげで命を拾ったよ。本当に、ありがとう。この感謝をたかが言葉で、それも貧しい表現で示すだけなのは心苦しいが、いずれしっかりと形にしよう。…それまでは、この言葉で許してくれ…」  ありがとう(ダンケシェン)、と。  なんという勘違いだ。  感謝すべきは僕の方だ。  礼を尽くして恩に報いるなら、それは僕のすべきことだ。  あの人が生きていてくれることが僕の救いのすべて、僕の生きる歓び、頼みとする命の綱なのだから。  僕はただ何も言わずにいることしかできなかった。先生は僕が謙虚な態度で謝礼を辞しているのだと思い込み、まだよく動かない右手を肩に乗せてくれた。  その時、つくづく自分の分かちがたい半身を、親愛の対象をもがれずに済んで良かったと実感した。  ほっと胸をなでおろす安堵と共に、一人になると言い知れぬ物寂しさが僕を包む。  先生は気づいていない。勘違いをして、僕を元気付けようとまたもやお気に入りの居酒屋へ誘おうとする。  この上なく近くにその座を得たというのに、やはりというか然りというか、結局僕は満足できていないのだ。天上を追われし堕天使の長も、主に対して似たような心持ちだったのかもしれない。  愛し愛され、敬し頼られる右腕の存在であっても、決してつがいになることはないのだ。  あの幸福な新郎新婦のようには…  先生に譲れるものがあるならそれが砂つぶ一つであろうと総て譲り渡す。  あの人がしあわせであるように、ただそれがために僕は生きていきたい。  あの人が魚になるというのなら、その鱗の一枚として。  あの人が鳥になるというのなら、その翼の羽のひとひらとして。  とんでもなく愚かしい願いだとこの僕が己で分かっている。子供じみた希望であることも納得している。  それでも、僕にはそれしかない。  あの人の盾となり、鎧となり、守護する(きぬ)となって、ありとあらゆる不幸の女神達の誘惑、蒼白い死神どもの鎌を吹き飛ばしてやる。  あの人にはもう二度と悲しい花畑の夢は見させない。 7月 C日   久しぶりに法律家の本分たるべき弁護をすべく向かった裁判所で、先生の知己だという男達に出会った。  一人は子爵の位を持つミヒャエル=フォン=ツィッパート、もう一人はハンス=シュレヒト。職業を僕達と同じくする男達。二人は互いが互いの(シルエット)を映したかのように背丈も体格もそっくり同じに見えた。  ツィッパートは豹人でせわしなく、先生と同じギムナジウムの出だという、先生の竹馬の友というべき冗舌家。  シュレヒトは先生とは大学からの付き合いで、その名の響きのように冷静沈着な物腰をしていた。  彼らも先生と同じく二人して変わり者のようだ。彼らが言うには、もう一人親交の厚い友人がいるとのことだ。軍役についており、残念なことに北方で連隊長をしているため、もう長年再会の機をとらえていないとのこと。  二人の旧友達は先生を間に挟み、やれ先生の一番の親友がその連隊長だのやれ心配しているだろうから会いに行ってやれだのと好き勝手なことを喚いていた。  先生が席を外すとツィッパートが 「きみ、アグラムっていったかな?その…最近君たちのほうで何か変わったことはないか?」  と尋ねてきた。質問の意図するところが不明確なのでそう問い返すと今度はシュレヒトのほうが狡猾そうに 「私達の事務所はとある高みにおわす方々から目をつけられている…ま、君たちほどではないがね」  と答えた。  不穏な成り行きをさらに奥へ掘り進むと、どうやら(「端的にいっちまうとだな」というシュレヒトの(げん)を借りると)フェルダー法律事務所は秘密警察に嗅ぎまわられているようだ。こういった疑いの常として、確たる証拠はなく、ただそういった(ふし)が見受けられる…ということらしい。  疑いのもととは、二人の弁護士の子飼いの情報筋からの報告で、それも合わせて先生の身の上を危惧していたという。  なぜ先生に直接訊かないのかという僕の質問には 「そりゃあ、あれだ、奴はお人好しなうえにバカ正直すぎるからなあ」 「というか、恐らく何も気づいてはいないだろう…よしんば鼻先を探られていても。それに腹芸もできないような迂闊な人間とこういう会話は危なっかしくてできない、ということさ」  と返された。  秘密警察。我がオーストリア・ハンガリー二重帝国で最も恐れられる政府機関。その名を聞けば尻尾の付け根が縮み上がるような悪寒が走る。  成り上がりのプロイセンや、権謀術数の分野では隆盛を極めながらも革命のために隠密行動の使い手を多く失ったフランスと違い、イギリスと並んで我が国は秘密警察の能力が高い。  ここのところポーランド、ハンガリーなど辺境の情勢がキナ臭くざわついている。それに呼応して治安維持活動という名目での秘密警察の動きが活発化している。検挙数も増加の一途だ。…それに目をつけられたということは…もしそうなのだとすれば…これからはノックの一打ちにも背後の靴音にも気が抜けなくなるということだ。 「すぐにどうこうということはないだろうが、フェルダー家はその開祖(はじまり)から上層階級の監視を受けるような問題児だらけだから、より一層気を引き締めることさ」  と忠告された。 「まぁ、彼の兄者がオーストリアの貴族の掟を破ってからは、もうそんなことも言えないほどではあるのだがな」  貴族の掟とはなんのことか分からなかったが、ツィッパートが「そうさ。くだらない因習だがな」と言い、シュレヒトが神経質に毛並みを逆立てて「よせツイッパート。私達だってそれほど安全が確約された立場でないのだ。それこそ狂信的な純血主義者の耳に入ればことだぞ」と言ったところ、あまり聞こえのいい出来事ではなさそうだ。 「きみ、マクシミリアンの一番弟子なんだろう?ならそのうち教えてくれるさ。聞かなくってもな」  と、慌てもせずに去っていく二人を追いかけて詳しく聞きたいのはやまやまだった。だが、もしツィッパートが言ったように先生がただ単に忘れていてそのうち教えてくれる筈の事柄なのであれば、それは先生の信頼を裏切る行為だ。  だから僕は、何も聞かない。あの人を信じているから。  恙なく弁護業務を終えて(窃盗傷害の単純な案件だった)、その後は寄り道したがる先生をなだめすかして事務所に直帰した。  その道すがらだったが、辻馬車を拾う時や裁判所の廊下ですれ違いざまに投げかけられる視線や尻すぼみに消えていく会話の中に、癪に障る含みを何度も味わった(先生は気にも留めていないが)。  被害者についてあらぬ噂を立てたり卑しい想像の出汁にして愉しむような下賤な輩を、僕は許せない。僕には…耐えられない。  暴漢に傷つけられた、それだけでも忿懣(ふんまん)やるかたないというのに、このうえ他人の(衆愚を極めた奴らだ)無礼な目や噂や陰口にあの人の品位を汚されてなるものか。  せめてほとぼりが冷めるまで、わざわざ好奇の的に身を晒すことがないようにしなければ。  先生がいくら駄々をこねてもごねられても、たとえ恨みや怒りを買おうと、半年は居酒屋やキャバレーなどに行かせるものか。  先生のように救いの(しるし)を持つ者は既にして満たされている。これ以上の聖称も叙列も必要としない。  ただそこに居る。色とりどりの果実や花のように、喜怒哀楽のまぜこぜで世界を満たす。それだけでいい。僕に特別な気遣いなどしてくれなくていい。そんなものは無用だ。  あの人が笑えば周りのひとは愉快になる。あの人が憤る時は、不正の泥濘がこびりついている。あのひとが悲しむ時は誰かが傷つき涙を流している。あのひとが活き活きとしている時には、周囲に不幸なひとが誰もいない。  誰よりも人間らしく清らかなる男。あのひとの生命だけではなく名誉も護るのが僕の使命だ。 7月 D日  先生の安全は保障された。  ラウルの言ったことは立証された。忌まわしい畜生(単語を乱暴に線を重ねて消そうとしたせいで、ペン先で紙が破れている)  下手人が自害したとのことだ。事務所の片隅に置かれてあった昨日の新聞の慶弔記事によると、下手人であるところのリッツェン=ゴルドベルグとかいうその男の死は投身によるものらしい(世を儚んでというが、あまり信ずべきではないだろう。所詮はナショナルゴシップの三文記事だ)。  彼奴(きゃつ)の蛮行が芸術家とやらの狂気なのか、はたまたなんの逆恨みか定かではないが、自業自得というものだ。  いや、まだ甘い。むしろ僕がその魂を地獄に送り届けてやりたかった。こんな害悪をなす社会の屑は、自ら死を選ぶなどという上等の選択肢など与える必要はない。唾棄すべき者は、死に方さえも卑怯極まりない。  せめて彼奴が死の間際に激しく苦しみ悶えていれば…それが溜飲を下げる唯一のものだ。  先生の前でこの本心を明かすことはできない…絶対に。  ラウルがこっそり教えてくれなければ、僕は永遠に奴の名前も知らず、その影を警戒し続けていなければならなかった。腹立たしいことだが、ラウルの顔の広さに礼を言うべきなのかもしれない。  先生はついに僕に下手人について明かさなかった。たぶん意図的に隠しているのだろう。あの新聞もどうやらブレーズが処分し忘れたものらしい。  紅茶を煎れたときに僕がとぼけて話の水を向けると、 「あ、ああ、あの下手人ならきっともう大丈夫なんじゃないかな?きっともう、遠くに逃げてしまったのだろう。それよりイアンの煎れてくれるお茶は美味しいなあ!」  などと、もろに誤魔化した言い訳をしてきたから。  先生の心づもりは分かっている。僕のことを案じているからこそ言いたくないのだろう。  そうだ。僕は奴の墓石を粉々に粉砕して、腐れた死体もろとも、棺ごと海に投じてやりたいと思っている。  僕は先生のようになることはできない。絶対に。永久に。  愛せ。許せ。…どうしてそんなことができようか。───先生を殺そうとした相手を!!  僕は自分に驚いている。先生を、先生の寛容さをも憎んでいるのだから。  先生が先生であるがゆえの大らかさと慈愛、博愛…それらの美徳の数々が、あの人を僕から奪うなら、そんなものなど僕が押さえつけてやる。  やり場のない僕の憤りを、せめて解放できないのなら、そうやって燃やし尽くしてしまうほかない。  これはこの身と魂に刻まれた宿業(しゅくごう)であり病魔だ。業病(ごうびょう)とでも呼ぶべきものだ。  甘く優しく、しかし峻烈に蝕む目には見えぬ病原体の群れ。顕微鏡の広大な視野に映し出されたそれはきっと、恋物語のセリフによく重用される、つまらない単語の羅列なのだろう。  蟻地獄のようにもがけばもがくほど病の(あぎと)に向かって落ち込んでいく。底なし沼のように進めば進んだだけ助けようもなく沈み込んでゆく。  先生の伴に居て護ることができた数日間、思い返せば尚も深く、幸せな日々だった。  あの日々はもう二度とは帰ってこない。良いことのはずなのに、僕はそれが切なくてならない…  僕はきっと病んでいるのだろう。  甘く痛い、恋慕の神の司る病を。 19ZZ年 寄贈 無記名のスクラップノートより ニューヨーク エリスアイランド  移民博物館蔵
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