13代目、14代目

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丘を登った高台には、淡い春の青空が広がる。たなびく雲は、青地に白い模様を美しく描く。 そら高く鳴いているのは、一羽のヒバリ。 私は洗ったばかりの白いシーツを片手に高台まで上り、洗濯物を干し始めた。 耳を澄ませてごらん。 ここはいつも何かしら騒がしい。 爽やかな風は白いリネンをはためかせる。 突風は木々をかき鳴らし、風の通り道の草花を揺らしている。 ヒバリは、まだ鳴き続けている。 ふいに風が止んで、キリギリスが鳴き始めた。雨の匂いがして、遠くで落雷が轟く。辺は一瞬静まりかえり、カラスが二羽三羽と飛び立った。お互いの不安を消すように、「カアカア」と鳴き交わす声。 私は屋根のあるベンチまでさがって、そこに腰掛けた。空は青く晴れたまま。雨はここまでこないだろう。 ふと気づけば、目の前にヒバリがいて、こちらをじっと見ていた。先ほど鳴いていたのと同じだろうか? 目が合い、私とヒバリはお互いに固まった。 「ふう。」 緊張を破って、ヒバリがため息をつく。いや、ため息をついたのは私の方かもしれない。 ヒバリは首を傾けて、言った。 「アリの子の話を知っているかい?」 私がびっくりして、この鳥になんと返したものか考えていると、彼は続けて言った。 「土の中に住んでいて、一つ一つ砂を運んで巣を造り上げる連中だよ。」 私は、彼を驚かせないように、ゆっくりした動作で答える。 「アリのことなら図鑑で見たわ。種類も数もとても多くて、世界中に生息しているのよね。」 ヒバリは、私から視線を高台へ逸らす。 「このアリの話は、図鑑になんか載っていない。あの岩の下に巣をこしらえて、たった1匹で暮らしているアリの事さ。」 ヒバリは尻尾とくちばしをピンとして、得意げだ。 「1匹のアリって、「女王蟻」?これから卵をたくさん産んで巣やコロニーを大きくするつもりの?」 私は、ヒバリから虫の話を聞くなんて、思ってもみなかった。 「話のアリは、数百匹もの大家族で大きなコロニーを作らない。代わりに、父が1匹と息子が1匹。それだけだ。今までそうして命を繋いでいるんだ。」 「そんなアリの話を今まで聞いたことないわ。1匹で何ができると言うのかしら?」 「先月は雨の日が続いたろう?虫たちはみんな草陰や岩の下に隠れて長雨をやり過ごしていた。雨が上がって晴れ間がのぞいた時、一匹のアリが岩の上で体を乾かしていた。僕はちょうどそこに居合わせてね。僕に食べられるとでも思ったんだろう。触覚をフリフリして言うには『僕は15代目のアリです。どうぞ命だけは。僕の父14代目と、父から聞いた祖父13代目の話をしましょう。だから今日のところは見逃して下さい!』ってね。」 「あなたはそのアリを食べたの?」 私はヒバリに聞く。 「まさか、一匹だけ食べても大して腹の足しにはならない。あいつら口の中で噛み付くから痛いし、ここだけの話アリは美味しくないんだ。いいや、アリは食べない。」 「つまり、味が苦手だから見逃したのね。」 「そのアリは14代目の父と二匹で暮らしていたそうだ。その父が亡くなり息子が1匹産まれた。今は生まれたばかりの息子の世話をしながら、毎日巣を作って生活している。」 私は、ヒバリの話にちょっと興味が湧いてきた。 「彼の息子はまだ小さいから、すべての作業はもっぱら一匹で行う。誰かに監視されるでも注目されるでもなく、ただ黙々と一匹で巣作りに没頭する。息子が成長したら、彼に巣の作り方を教える。そうして父アリが命を終えると、また一匹息子が生まれる。先祖代々のしきたりと歴史は亡くなる前に父から息子へ伝授される。」 「なんだか、綱渡りみたいな一生ね。」 アリは寂しいとか辛いとか感じることができるのかしら?私は考えた。 「そんな一匹のアリが作る巣なんて、どうせただの縦穴だろうって?それが違うらしいぜ。まるで神殿のように立派な建築物だと聞いたよ。天井は見上げるほど高く、太い柱にはレリーフ模様が美しく刻まれている。巣作りは代々続き、完成は今のアリの代でもまだ終わらない。」 私はヒバリが嘴で指した高台に目をやった。辺りには草から剥き出た岩が踏み磨かれて白く光っている。 ヒバリは、「一匹のアリ」の話を続けた。それはとても奇妙はお話で、私が知っているどのアリとも異なっていた。ヒバリが語った虫の物語。本当かどうかは知らない。 初代の黎明期 そのアリは卵から孵るのに大いに難儀した。躰には薄い殻が纏わりついて剥がれない。隣では生まれたての柔らかい躰を狙ってダニが待ち構えていた。タイミングが悪いことに世話役は持ち場を離れている。世話役は幼虫の世話で忙しいのだ。巣にある卵の数は膨大で、コロニーを大きくするために必要な数が揃っていた。この子たちの将来の役割は既に決まっている。 「彼」は同じ時期に生みおとされた卵の中で成長が遅かった。くわえて、「未来の女王」になる、あるいは「コロニーを守る戦力」になりえる存在でも無かった。彼は「オス」であり、次の新しい世代を担うる存在のうちの一匹だ。しかしながら、成長が歪であった彼への期待は限定的だった。 ようやく殻を脱ぎ捨てた白い躰をダニがよじ登る。生まれたばかりの彼は躰をよじるより他に抵抗する手段が無い。味を確かめようとつつきまわされて、彼は叫び声をあげた。 幸い世話係が気づいて助けに来てくれた。ダニを追い払い、躰をきれいにしてもらった彼は甘い汁を口に含ませてもらうと、ようやく落ち着きを取り戻して眠りについた。 季節がめぐって結婚飛行の時期がきた。羽を得た彼は仲間と共に大空を舞い、はじめて外の世界を知る。しかし彼は、他のオスたちと争って求婚の名乗りを上げなかった。 彼はひとり白い岩の上に降り立つと、女王なしに卵を一つ産んだ。そう、パートナーなしで子をなせる彼は、「特別なアリ」だったのだ。 こうして、彼はアリの一族の「初代」になり、今へと続く王国の建国に取り掛かることになる。  13代目は生まれたばかりの14代目を抱き抱え、神殿の奥へと分け入る。そこは、初代が2代目の卵を生んだ奇跡の地、聖域だ。13代目は震える声で14代目に語りかける。幼子には難しすぎる話だ。つぶらな瞳は父を見上げている。父が語るのは、初代が2代目を連れて王国を作り上げた歴史の始まりである。 神話のように古い昔話は、だが、「生きた神話」である。それは、今まさに自分が追体験している世界となんら変わらないものではないか。そう思い至った13代目は、ハッとして我が子を抱きしめた。 これまで味わってきた孤独と苦労、これからたった一匹で建国を担う責任感、そして、父として神話の一部になろうとしている自分。13代目は天井を見上げてひとしきり酔いしれると、身震いした。 その昔、初代アリは、王国を作るために、まず神とそれから民とに誓いを立てた。 「主よ。私に子を与えたもうた、あなたの御心に感謝いたします。平和こそが私の望むものすべてです。どうか私と息子、それに続く子供たちをお守りください。あなたが平和を与えくださるのであれば、私と子供たちはあなたを忘れることはないでしょう。」 初代はついで、高台の岩を中心とした昆虫たちすべてと話し合い。彼らとの間に誓いを立てた。 「皆様どうか、私たちはこれから、あらゆる虫の命をいっさい奪いません。私たちはあなた方を殺しません。ですから、私と子供を殺さないでください。コロニーは、この先も父と息子の二匹だけです。これ以上、家族は増えません。決して他の虫の領土を奪ったり、テリトリーを広げることはありません。私たちは巣を地下へ地下へと掘り進めますが、必要な領土はこの岩の下だけで、それより治める土地が広がることはありません。」 初代の説得はついに聞き入れられ、アリの親子はここに聖域ーサンクチャリを得た。虫たちとの交渉を終えた時、初代は病の淵にあった。2代目は父に最後まで寄り添い、初代が亡くなったのち3代目が誕生した。
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