アリの結婚とは

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アリの結婚とは

子供が親を困らせるような質問をするのは、よくあることだ。 「空はどうして青いの?」 「神様って本当にいるの?」 「子供はどうやって生まれてくるの?」 親はそれについて詳しかろうが浅学だろうが、真剣に答えようと努力する。 「結婚ってなに?」 14代目は父に尋ねる。 結婚の定義はおいておくとして。生殖と繁殖が単純に結びつかない虫の世界では「結婚の意味」を正確に知ることは案外難しい。 父13代目は言った。 (初代より結婚の呪縛から解放された我々オスのアリは、心の平穏を手に入れた)と。 父から子へ、そしてまた子へと教えられる一族の歴史のイロハである。 (メスなしで子孫を残せる我々オスアリは、あらゆる世界においても稀有な存在)とも言っていた。 「結婚ってどうゆうもの?」 幼い14代目の心は、好奇心でいっぱいだ。 「命をかけて、メスを愛するってことだよ。」 13代目は答える。 実を言えば自分もよく知らない。結婚していないのだから。その父も、そのまた父も。初代を含めて一族の誰もが結婚どころか求婚したことさえない。 「愛するって、大好きってことだよね。僕は父さんのことが大好きだよ。命までは…かけないけれど。」 息子はいじらしいことを言った。 「私もお前のことが大好きだ。そして、父12代目のことも大好きだった。私は、お前も父のことも、心から愛している。でも、メスを愛するのと息子を愛するのは同じじゃない。メスは決して、オスがメスを愛するようにオスを愛しはしない。」父は、一息おく。 「メスを愛するということは、みずから蟻地獄へと足を踏み入れる様な行為だ。一歩足を踏み出したら最後、お前はその世界から逃れることができなくなる。」 14代目は食い下がる。 「自分で選ぶんだから、アリジゴクでないメスを愛すればいいじゃないか。それに、地獄だと思った穴の先にいるのは、僕を食べようと狙っている化け物じゃなくて、素敵な女神かもしれない。」 「わかっていないな。そこに足を踏み入れた以上、肉体の破滅からは逃れられないんだよ。」 13代目は、自分が経験したかのように、力を込めて言った。 「それは一時の甘美なる喜びをもたらす。だが幸せを感じるまさにその時、現実には奴らの消化液で溶かされる過程にいるんだ。見る力を失い、動きを奪われ、最後には触覚一つ残さず喰われちまう。」 13代目は、声を震わせる。 「おお、「結婚」の残酷で恐ろしいこと。先代より前の世界では、オスはメスに全てを捧げて死んでいくよりなかった。文字通り、命を含めた全てをだ。」 アリの結婚がどのようなものか、昔話の記述にはない。 一族の誰もがそれを経験せずに、口伝で伝え継がれるのは不思議だ。結婚という秘文書のような存在が、記録に依らずとも、細胞内の遺伝子の何処かに刻まれているのだろうか。それは結婚を忘れた一族にあってさえも、いつか紐解かれる日を待っているのかもしれない。 「おっと。とびきりの女神のご登場だ。俺はあの子をきっとものにしてみせる。」 突然バッタが、素っ頓狂な叫びをあげた。 「あの子はどの辺が、とびきりなんだい?」 アリの言葉にはちょっとバッタを小馬鹿にした様なニュアンスがあった。一方で、彼には好奇心の方が優っていた。 「見てみろよ、あのムチムチの腹。それに、彼女は何て大きいんだろう。あの背に乗ってジャンプしたなら、きっと天にも昇る気持ちさ。」 バッタは羽を広げて、メスに向かって一目散に飛んでいった。狂ったように笑みを浮かべたバッタを見て、 「彼は自分から飛蝗地獄に陥ちて行ったのさ。」 と、アリはひとりうそぶく。 ひとり残されて、アリは途端に暇になった。風が強くなってきている。14代目は、そろそろ帰ろうと思った。 「父はきっと心配している。父1人子1人。僕らは二匹だけの家族だから。」 だがしかし、14代目の好奇心はモヤモヤと未だくすぶっていたらしい。 「先っき捨てた砂の山に登って、バッタのロマンスの結末を見届けよう。」 そんなことを考えて、14代目は「行ってはならない。」と言われていた岩の外の世界へと脚を踏み出していた。 砂山に登ったアリの体を、突風が砂ごと巻き上げる。地面に再び叩きつけられて起き上がったアリが目にしたのは、知らない世界だった。 「バッタは何処へ行ったのだろう。」アリは辺りを見回す。 探せどもバッタの姿は見えない。風がビュービューと吹いて草をシンバルのように鳴らし、ルートにつけた帰り道の匂いがかき消されている。 「今度こそ本当に、帰らないと。」 14代目は出鱈目に歩き回って、帰路を探した。 「そこの君、何処から来たの?」 落ち葉の下から知らない声が呼びかけてきた。声の主は、自分よりも小さなアリだった。 「君は、オスアリだね。こんなところで何してるんだ?」小さなアリは触覚を動かして14代目の動向をうかがっている。 「自分の巣に帰りたいんだ。白い大きな岩の下の。」 14代目は答える。相手のアリは少し怒っているようだ。 「岩の下に住むあのアリか。君の話を聞いたことがあるよ。一匹で巣穴を掘るんだって?」 小さなアリは、笑顔になった。 「君のテリトリーは岩の周りだろ?こんなとこに居たら、約束違反じゃないか。いいさ、私はいま非番だから、今回のことは見逃してあげる。」 戸惑う14代目を見て、小さなアリは続けた。 「(非番)って言っても君には分からないか。一匹で仕事しているんだものね。私は役割分担が変わったところ。これからはキツい外回り。」 「今までの(役割分担)は何だったの?」 14代目は尋ねる。 「卵と幼虫のお世話をする内勤だよ。部屋は暖かくて赤ちゃんは白くて柔らかくていい匂い。大事な仕事についていた自分が誇らしいわ。」 それから、 「未来の女王が生まれたところだよ。姫たちはまだ幼虫。来るのが少し早かったわね。」と、付け加えるとウインクした。
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