34 犬

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 外は夜だった。  男は慣れた様子で工具を使い、ホテルの駐車場で車を盗んでわたしを助手席に乗せた。  しばらく走って、コンビニで何かを買うと、また違う車を盗んで乗り換えた。 「ほら」  ぶっきらぼうに片手でコンビニの袋をわたしに投げて寄越す。  袋の中にはゼリー飲料が何種類か入っていた。 「食べていいの?」 「ああ。腹が減っているだろうが、いきなり固形物だと胃がびっくりするからな。まずはこれでも飲んでろ」  袋から出すのも、キャップを外すのも、少し手が震えた。  がぶりと吸い付く。  冬十郎から引き離されてどれくらい経ったのか、時間の感覚があやふやだったが、多分二日ぐらいは何も食べていない。  じわじわと涙が滲んでくる。 「おい……しぃ……」  鼻水をすすり、また吸い付く。  男は片手でハンカチを寄越した。  わたしは遠慮なくそれで鼻をかんだ。 「もう一個、食べていい?」 「ゆっくり食べろよ。ふゆ様のところじゃそういうの出ないもんな。初めて食べるのか?」 「食べたことある。先生が時々買ってきたから」 「先生?」 「わたしの何十人もいる『親』の中の一人」 「え、なんだそれ。本当の親は?」 「知らない。多分、赤ちゃんの時にさらわれたから。それから次々とさらわれ続けて、次々と『親』が変わっていったから、本当の親とか本当の名前とか分からない」  男は少し黙った。 「そっか、お前『さらわれ姫』だもんな。なかなか、壮絶な人生だなぁ」 「……………」  「はい」とも「いいえ」とも答えにくい。  自分の人生を壮絶と思ったことは無かったし、普通の人の人生というものをわたしはよく知らなかった。  一つだけはっきりしているのは、冬十郎と過ごしたこの数ヶ月間が一番心地よかったということだけだ。 「なぁ、お前。どこか行きたいところあるか」 「冬十郎様のところに……」 「冬十郎様以外で」  遮るように言われ、困惑する。 「ひとつくらい、行ってみたいところがあるだろ。お伊勢さんに行ってみたいとか、富士山に登ってみたいとか」  オイセサンって何だろうと思いながら、首をひねる。 「……よく分からない」 「お前が自由にどこかへ行けるのは、多分これが最後のチャンスだ。きっと、そんなに長くは逃げ切れねぇ。お前を捕まえるのがふゆ……冬十郎様だろうが、深雪様だろうが、お前を一生囲い者にして閉じ込めることに変わりはねぇんだぞ」 「みゆき様って?」 「先代様の名前だ。深い雪でみゆき」 「へぇ、きれいな名前……」 「気になるのはそこかよ。どちらに捕まっても、一生囚われの身だってこと分かってんのかよ」 「冬十郎様になら、閉じ込められてもいいよ」
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