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「俺はただ……お前の声に惚れたんだ。こんなすげぇ声を誰かが独り占めするなんて、そんなひどいことがあっていいのかって、そう思っただけだ」
葵の言葉にわたしはびっくりした。
びっくりしすぎて、力を使ってしまった。
自分が座っていた座席が少しずつ崩れ始める。
さらさらと砂粒になって溶けていく。
車も、道路も、街灯も、周り中がさらさらと溶けて、崩れていく。
「わ、な、なんだ!」
幻覚に巻き込まれて、葵が声を上げる。
足元が崩れ去り、浮遊感に襲われる。
葵の手がこちらへ延ばされる。
「姫様!」
周囲のすべてが崩れてしまうと、奈落へ落ちていくような強烈な恐怖が襲う。
葵はわたしを引き寄せ、まるで落下の衝撃から守る様にわたしの頭を抱え込んだ。
どのくらいの間、そうしていたのか、気が付くとすべてが元通りになっていた。
「え、あれ? 戻った……のか……?」
「うん」
「今のは……」
「わたしの作った幻覚」
「姫様の?」
わたしは何だか噴き出してしまった。
「さっきまで、お前って呼んでいたのに」
葵は力が抜けたように、ふっと息を吐いた。
「大変失礼いたしました。姫様とお呼びしても、よろしいでしょうか」
「わたしの名前は姫ですから、それはかまわないのですけれど……葵が言葉遣いを変えるのならば、わたしも合わせた方がよろしいかしら?」
「え? それは……」
「今まで『親』が変わるたびに、言葉遣いや性格をその好みに合わせて生きてきたものですから、合わせるのは得意ですわ」
葵は首を振った。
「いや、普通にしゃべってくれ。俺もそうする」
「分かった」
何となく二人でくすっと笑った。
「さっきの幻覚は何だったんだ?」
「びっくりして、とっさに出ちゃっただけ」
「びっくり?」
「わたしをさらっておいて独占しようとしない人に、初めて会ったから」
葵の目が痛ましいものを見るように沈んだ。
冬十郎と同じように、わたしを憐れでかわいそうな子だと思ったんだろう。
「姫様の歌を初めて聞いた時、俺は欲情したよ。この女が欲しいって強く思った。薬を盛って姫様をさらったあいつらと同じだ」
「わたしの歌は見境なく男を誘うんだって、冬十郎様にも言われたことがある」
だから歌うなって、言われていたのに。
わたしは葵の目を見てしまったし、葵に触ってしまったし、歌も聞かれてしまっていた。
冬十郎との約束を守れていない。
「一曲だけでも、ものすごい衝撃だった。でも、歌は一曲で終わらなかった。姫様はただすることが無くて、手慰みに歌い続けただけなんだろうけど……俺は姫様の歌声を一曲聞くたびに、少しずつ少しずつ魂を削られていくような、心を浸食されていくような気がして、すげぇ怖かった。怖いのにずっと目が離せなくて、モニターを食い入るように見つめ続けて、一日の終わりには、もう俺の魂は姫様の歌に全面降伏していた」
心酔というのだろうか。
熱っぽい声で葵が訴えてくる。
「歌っている姫様は、俺にとって至上の存在だ。姫様をどうにかしようとは思わない。ただ自由に歌っていてほしいんだ」
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