35 味のしないキス

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「誰もって……冬十郎様もか?」 「うん。冬十郎様には、電話とかスマホはもちろん、テレビもパソコンも全部禁じられていて……」  わたしは冬十郎自身に夢中だったから何も気にならなかったけれど、改めて考えると今までのどの『親』よりも冬十郎による禁止事項は多い。部屋を出るのも、人前で歌うのも、男の目を見るのも、触るのも禁じられた。ある時を境に、買い物も散歩も連れて行ってくれなくなった。  もしもわたしが海を見たいとお願いしても、今日の葵と同じように連れて来てくれるのかは分からない。 「姫様、学校は?」 「行ったことない」 「だよな。勉強とかどうしていたんだ?」 「先生のところにいた時に字は習ったけれど、冬十郎様のところには絵本しかなくて……」 「うわぁ、徹底していて何か怖ぇな」  蒼ざめた顔で葵は口を押えた。 「そんなんじゃ姫様、一人じゃ何にもできないだろう」 「で、出来るよ。料理も洗濯も、買い物も電車の乗り方も、みんな先生が教えてくれたから」 「へぇ、先生って、ほんとに姫様の先生なんだな」 「うん、先生は『親』の中で一番ちゃんとした『親』だった。常識が無いわたしの変な質問にも、いつも丁寧に答えてくれたし」 「冬十郎様は?」 「え」 「何でも教えてくれるか?」  わたしは黙った。  冬十郎が先生のように何かを教えてくれたことは無い。  そもそも、抱きしめられてキスをされると、わたしの思考は停止してしまうのだ。  わたしは冬十郎にくっついて甘えていられれば、それだけで満足だった。 「きっとこの先、姫様が大人の女になるにつれて束縛はもっとエスカレートしていくだろうな。深雪様みたいに首輪付けて監禁もどうかと思ったけど、冬十郎様だって何するか分かんねぇし……。実際、やろうと思えば何だってできるんだよ、あの方達は。座敷牢にでも押し込められて、冬十郎様以外との接触を禁じられて、体も心も支配されていって……うう、なんかエログロな妄想が現実味を帯びてくるなぁ……」  葵は寒気がするようにぶるっと震えた。 「ざしきろうって何?」 「え? あ、ま、まぁ、俺も江戸から生きてるからさ……」  葵は口の中でもごもごと何か言い、急にわたしの肩をつかんだ。 「とにかく、そうなったら俺とも一生会えなくなるってことだ」 「そんなの困るよ。葵はわたしの犬なのに」  葵はぱちくりと瞬きをした後、にかっと歯を見せた。 「ああ、俺は姫様の犬だ。姫様のためなら何でもするよ。俺と二人で逃げるか?」  おどけた笑顔に、わたしも笑顔を返した。 「ううん。わたしは帰る」 「そっか……」
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