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「姫様の女の部分を感じたんだよ」
「女の……?」
「冬十郎様に会いたいっていう姫様の願いは、具体的に言うと会えたらそれで満足ってわけじゃねぇだろ。恋しい男と会えたら当然セッ……」
言いかけて、ハッとしたように葵は口を押えた。
「そっか、お前まだ……」
「葵?」
ゴホン、と葵は不自然に咳払いをした。
「だからな、冬十郎様に会えたら姫様は何をしたいのかってことだよ。抱っこしてもらって、頭撫でてもらって……?」
「キス、して欲しい」
葵は少し目を開いた。
「キスはしたことあるのか」
「うん、何度もしたよ」
口付けを隠す必要はないと冬十郎が言っていたからはっきりと言った。
が、やはり、隠す方が良かったのだろうか。
「何度もかぁ……」
急に葵は頭を抱えてうずくまってしまった。
「あ、あの、葵? キスって、いけないこと?」
ふーっと葵は大きく息を吐いた。
「いーや、悪いことじゃねぇよ。お互い好きなら普通のことだ」
ほっとして、わたしは微笑んだ。
「うん、わたしは冬十郎様が大好き」
「ああはい、そうかよ……」
しゃがみこんだまま、葵はまたはーっと息を吐いた。
「ま、とにかくそういうことだ。女の姫様が男の冬十郎様を求める気持ちが、ほかの男達にも強く影響しちまうんだ」
冬十郎を思って歌うとほかの男を引き寄せるなんて、なんて厄介な力だろう。
「……もう、歌わない方がいいのかな」
葵に声を褒められて嬉しくなって、わたしは簡単に歌ってしまった。
浜辺の歌を歌った時のわたしは、とても穏やかで不思議と満ち足りていたのだ。
「さっきの歌は『歌っていい歌』だったと思う」
ぽそりと葵が言う。
「え」
「さっきの歌は凪の海みたいに穏やかで優しかった。冬十郎様のことは考えていなかっただろ」
キラキラしている海に目をやる。
「うん、あれは葵のために歌ったから」
葵が両手で胸を押さえて、嬉しそうにうなずく。
「俺のために歌ってくれたから、俺の心がすっげぇ満たされたんだと思う」
葵は立ち上がって、わたしの両手を握った。
「きっと、幸せいっぱいな気持ちで姫様が歌えば、聞いている人も幸せいっぱいにしてあげられるんじゃねぇかな。きっと誰もが姫様の声を好きになるし、姫様の歌は世界中の人を幸せに出来る。その声は本当に特別なものだから」
葵は朝日を浴びて爽やかに笑っていた。
けれど、わたしはちょっと違うことを考えてしまった。
幸せな歌で相手を幸せに出来るというなら、その逆のことも出来てしまうんじゃないだろうかと。
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