36 深雪

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「ふゆが好きか」 「冬十郎様が好き」  ふゆというのが冬十郎のことだと分かっていたが、わざわざ言い直した。  わたしにとって、冬十郎は出会った時から冬十郎だ。  深雪の冷たい手がわたしの肩をつかんだ。 「他の男と何が違う。ふゆのどこを好きになった」 「あんなにきれいで優しい人を、わたしは他に知らない」  深雪はふっと笑った。 「そなたはやはり子供だ。あやつの表面しか見ておらぬ。きれいごとだけで蛇の頭領が務まるわけが無かろうが。ふゆの手がどれだけ汚れているのかを知っても、そんなことが言えるのか」  深雪の言うことは多分本当だろう。わたしよりはるかに長く生きている冬十郎は、優しいだけの人では無いのかもしれない。  でも、深雪は血がつながった祖父なのに、冬十郎のことをちゃんと分かっていない。  冬十郎に関わる誰も彼もが、あの人を愛さずにいられないし、心配せずにいられないというのに……。  冬十郎をよく見ていれば分かるはず。冬十郎が住んでいる世界がどれだけ優しくて、冬十郎の見ている世界がどれだけきれいなのかを。 「わたしは、冬十郎様の目に映るあの幸せな世界の住人になりたい」 「は……? 意味の分からぬことを」 「あなたが見ている世界は、多分冬十郎様が見ている世界とは全く違う。冬十郎様が見ている世界は、いつも優しくてきれいでまともだから……」  わたしは深雪に笑いかけた。  冬十郎の世界に住む、優しくてまともな人間みたいに。 「冬十郎様は、自分を背中から刺した男を許してやれなんて言うんです。わたしに、絶対に人を殺さないでくれなんて言うんです。誰かを傷付けると自分の心も濁っていくなんて、そんなきれいごとを大真面目に言うんです。あの人は……あなたみたいに仲間を殺せなんてことを簡単には言わないでしょう」  わたしの肩をつかむ深雪の指が、ぎりぎりと食い込んでくる。 「私はそんな甘い言葉を言ってはいられぬ。私は里の長として秩序を守らなければならないのだ」  何かを我慢しているかのように、絞り出すような声で深雪が言った。 「私が断じなければ誰が断じるというのだ……!」  その様子が苦しそうで、とても深雪が本心を言っているとは思えなかった。 「誰に対して言い訳をしているのですか」  深雪は目を剥いてわたしを突き飛ばした。  わたしは砂の上に倒れた。 「清姫と同じ目で、同じことを申すな!」  ふるふると肩を震わせて、深雪が叫ぶ。 「清姫…………?」  葵が呟くのが聞こえた。  軍服の男達は何も言わない。
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