36 深雪

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「里の秩序のため、一族を守るため、さらわれ姫には消えてもらわなければならぬのだ! あそこで消えてもらったからこそ、犠牲は五人で済んだのだから……!」  深雪の言葉を受けて、空気が少しざわっとした。  軍服姿の男達の大半は静かだったが、一部は驚いているようだった。 「では、もしや、あなたが………?」  葵の問いかけに、深雪は静かに目を閉じた。 「ああ、清姫は私が殺した」  冬十郎とよく似た顔に、苦渋の影が見える。 「本当は、殺したくなかったんですね……?」 「知ったような口をきくな」  葵をぎろりと睨んで、深雪は軽く手を振った。  軍服達が葵を引っ張り上げる。 「私は雪弥とも冬十郎とも違う。一族のためなら何でもする。そこのうるさい犬も、死は免れんぞ」 「待って!」  わたしは砂の上で体を起こし、ちょっと深呼吸して、深雪の前に跪いてみた。  両手を合わせて、深雪を見上げる。 「先代様、お願いです」 「命乞いは聞かぬ」 「命乞いではありません」  わたしは必死で頭を巡らせた。  葵を死なせるつもりはないし、冬十郎を諦めるつもりもない。  今のわたしの力で、何が出来て、何が出来ないのか。 「一つだけ、お願いしたいことがあるんです」  言葉の先を続けさせるように、深雪は視線をわたしに寄越した。 「死ぬ前に、わたしの犬にご褒美をあげたいんです。このままでは、少しかわいそうな気がして」 「少し、かわいそうか」  深雪が皮肉気な声で繰り返したが、わたしは動じないふりで微笑んでみせた。 「ええ、『少し』かわいそうなので、せめてこの世の名残にわたしの歌を聞かせてあげたいんです」 「ああ、犬の褒美は歌声なのだったか」 「はい、わたしの声を至上だと言ってくれました」 「姫様………姫様、感謝します……」  葵は本気で死ぬと思っているらしく、静かに涙を流し始めた。
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