37 何も怖くない

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「抜けばよいのか?」 「は、はい、お願いします」 「この男は何者だ」  聞きながら、するりと刀を抜く。  男は苦しそうに体をのけぞらせて、咳き込む様に血を吐きだした。 「わたしの犬です」 「いぬ?」 「犬です」 「犬って動物の犬か? 姫、それはどういう意味……」 「姫様……」  手の甲で口元の血を拭い、ゼイゼイ言いながら男が身を起こした。 「葵、ほんとにごめん。わたしをかばってくれたのに」  血の付いた男の手を姫が握る。 「いや……姫様が無事なら、それでいい……」  男は苦し気な中にも笑顔を見せると、姫の首に手を伸ばした。  思わず横からその手をつかんだ。  姫と男が同時に私の方を振り向いた。 「お前、何をするつもりだ」  男に敵意が無いことは分かっていたが、私の声にははっきり敵意が宿ってしまった。  男は少し気押されたように肩をすくめた。 「首輪が痛そうで……」  言われてやっと、私は姫の今の姿に気付いた。  汚れたバスローブに鎖の付いた首輪だけの、ひどい恰好だった。  私は男の手を振り払い、かがんで姫の首を見た。 「鍵がかかっているな」 「お待ちください」  七瀬が先代の(たもと)を探り、鍵を差し出してくる。 「これでしょうか」  鍵穴に差し込んで回すとカチリと金具の音がして、首輪は外れた。  ほっとしたのも束の間、その下に太い線状に鬱血した跡を見つけて、血の気が引いた。 「痛むか」 「ほんの少しだけです」  姫は隠すように自分の首に手を回した。 「すまなかった……」  私は口ばかりで中身のともなわない愚かな男だ。  守ると誓ったのに、実際にはまったく姫を守れていない。 「私は、無力だな……」  痛々しい首にそっと触れる。 「姫には怖い思いなんてさせたくなかったのに……」  姫は首を振った。 「何も怖くなんかない」 「え」  小さく言われた言葉を聞き返す。  姫は私の右手を両手でつかんだ。
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