38 嫉妬

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38 嫉妬

 恭介が軍服の男を見下ろす。  男は臆する様子も無く、体の大きい恭介を見上げる。 「犬でも、奴隷でも、下僕でも、呼び方は何とでも。俺は姫様の歌声をたまの褒美に、姫様のためにどんなことでもすると誓った」 「どんなことでもねぇ……」 「俺は姫様のために生き、姫様のために死ぬ覚悟だ」 「ほう。また一匹、蛇が篭絡されたか」 「嫌な言い方をするな、恭介」  私は姫を抱え直して、あどけない寝顔を見下ろした。  すると男も愛し気な表情を浮かべ、姫の寝顔を見つめてくる。 「本当に姫がお前を受け入れたのか?」 「冬十郎様も聞いただろ? 姫様は俺を犬と呼んだ」 「ご当代様にその口の利き方は何ですか」  突然、七瀬が口を挟んできた。 「たとえ里の者でも、ご当代様をないがしろにするなど……」 「別に俺は里の者じゃねぇ。この前の戦争で人間の知り合いが全部死んじまったから、しばらく里に寄せてもらってただけだ」 「この前のって? いつ戦争があった?」  恭介が瞬く。 「人間の言う第二次大戦のことだろう」 「はぁ? それをついこの前みたいに? ……時間の感覚が違いすぎる」  と、恭介はがしがしと頭をかいて、その場にドスンと座った。  葵が首を傾げる。 「あんた人間か?」 「いや、鬼童だ」 「ああ。鬼の人ってどのくらい生きるんだっけ?」 「長くても三百年だな。俺は戦後生まれだ」 「なんだ、まだガキじゃねぇか」 「やめろ、鬼童の頭領に無礼が過ぎる」  私がたしなめると男はふーっと息を吐き、血で汚れた衣服をパンと叩いて、居住まいを正した。 「鬼童様、冬十郎様、大変失礼いたししました。だが、俺が仕える主は姫様一人。姫様は普通の話し方でいいと言った」  何だかチリチリと胸の奥が燻る。  感情を隠し、私は男を見た。 「お前、名は」 「葵」 「姫は、葵の忠誠を受け入れ、その命を欲したのか」  葵は、眠る姫に視線を向けた。 「いや、一緒に死ぬのは冬十郎様だけだって言われたよ」  フッと少し肩の力が抜ける。 「……そうか」 「嬉しそうに笑うなよ、冬十郎」  恭介が呆れ声を出す。
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