39 スイッチ

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「まぁ、先代は極端な例だがな。私が物心ついた頃から、里であの方が食事をするところも、眠るところも見たことが無かった。触れると肌がひんやりとしていて、本物の蛇のようだと思ったことがある。つまり、たとえ食べなくても寝なくても我ら一族は死なないということだ。死のうと思わない限り」 「まじかぁ、理解が追いつかねぇ」 「それには同意だ」  大げさに騒ぐ葵に、恭介が肩をすくめる。 「じゃあ、冬十郎様は姫様がどんなに煽るようなことをしても欲情しないってことか?」 「それは違う」  私は葵の勘違いに苦笑して首を振った。 「愛しい人が体を寄せてくるのだから、当然、いつも欲情はする。触れたいし、つながりたいと思っている。だが、姫を怖がらせたくないという気持ちがそれを上回っているのだ。ゆえに、スイッチを切るように欲を断てる」  私はくっついて眠る姫の耳にそっと唇を押し付けた。  いつも、どこまで触れていいのかと考えている。怖がられたり避けられたりするようになるのは耐えられない。姫のためというよりも、自分が嫌われないために、先に踏み込めないだけとも言えた。  今は、この腕の中の重みと体温を感じられるだけで、十分に幸福だ。無防備に信頼されている今の立場を壊したくなかった。 「欲のスイッチとはねぇ。蛇と鬼は結構長い付き合いなのに、知らないことも多いようだな」 「わざわざ話題にする話でもなかろう」 「いやいやかなり興味深い話だ。……って、ふむ、ちょっと待てよ。ってぇことは、眠りのスイッチを切っている男を、そのお姫さんはむりやり眠らせたということか?」 「ああ……そういうことになる」 「それってちょっと、いや、ちょっとじゃないな。蛇にとってはかなりまずいことじゃないのか」 「まずいこと?」  葵が、首を傾げて恭介を見た。 「前を見て運転しろ」 「あ、ああ」  恭介は振り返って、姫を見つめた。  恭介の言いたいことは、私にも分かる。 「なぁ、何がどうマズイって言うんだよ」 「蛇は死にたいと思ったら、あっさり死ぬんだろう? その女は眠るつもりのない蛇を眠らせたんだ。もしかしたら、死ぬつもりのない蛇を死なせることも、簡単にできるのかもしれないじゃないか」 「はぁ?」  葵は突然、急ブレーキで車を止めた。  後ろの車がクラクションを鳴らして、追い越していく。 「いや、姫様は眠らせただけだよ。まさか、殺したりなんて……」  葵が心配そうに姫に視線を寄越した。  心の生き物である蛇にとって、心を操るような姫の力は相性最悪だ。  このままでは、姫は蛇にとっては天敵と見なされ、鬼童にとっては国のバランスを崩す脅威と見なされる可能性があるということに、葵はやっと気付いたようだった。
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