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40 犠牲ではない
私の帰宅を知らされた花野が、最上階からすでに男全員を追い出していた。
姫がしたことは伝わっているはずだから、マンションに残った者達に詰め寄られたりするものと思っていたのだが………大きな反発は無かったのだろうか。
「お帰りなさいませ、社長、鬼童様」
「ただいま、花野」
「ああ、邪魔するよ」
恭介は勝手知ったる他人の家とばかりに、ブーツの紐を解いて脱ぎ始めている。
「姫ちゃんの様子はどうですか」
私が抱いている姫の寝顔を覗き込むようにして、花野が微笑む。
「よほど疲れたんだろう。車の中でずっと寝ていた。こちらの様子はどうだ」
「先代様が姫ちゃんの力でお倒れになったと聞いて、さっきまでかなりざわついていました。今はそれぞれの仕事に戻らせましたが、後で社長から説明があった方が落ち着くと思います」
「そうか、分かった」
「……それで社長、その者は?」
花野が後ろに控える葵を見る。
葵の胸の傷はすでにふさがっているが、着替えが無かったため大量の血液が付着しているままだ。
胸に刺さっていたあの刀は、血を拭って鞘に納め腰のベルトに差している。葵は自分の刀で刺されたらしい。
「名を葵という。姫の犬だそうだ」
「いぬ……?」
瞬きする花野に向かって、葵はにこやかに自己紹介する。
「犬でも、奴隷でも、下僕でも、呼び方は何とでも。俺は姫様の歌声をたまの褒美に、姫様のためにどんなことでもすると誓った」
恭介に対する説明と同じだったが、花野の反応は恭介とは違っていた。
噴き出すように、笑い出す。
葵がちょっと驚いたように目を開いた。
「なんだか姫ちゃんといると、時間の流れが何倍も速く感じますね。ちょっと目を離した間に、めまぐるしく状況が変わっている」
「確かに……」
私は腕に抱いた姫を見下ろした。あどけなく、口が少し開いている。指先でなぞりたくなったが、すぐ横にいる葵が私と同じようにその唇を凝視していたのでやめておいた。
「よろしく、葵君。私は花野、社長がやっている清掃会社の社員です」
「清掃会社?」
「そう、ほとんどは普通のお掃除の仕事だけど、時々変わった死体の処理とか異形退治の手伝いとかもするよ」
「はぁ……」
「大丈夫。時々危険なこともあるけど、私達、殺されても死なないしね」
あっけらかんと話す花野は、仕事を楽しんでいるようだ。
葵の処遇は決まっていないが、仕事をするというなら花野の下にでもつけようと思った。
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