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「社長、葵君は男性ですけどこの部屋に入れてもいいんですか」
「入れたくはないが、葵の主人は私では無く姫だからな」
「分かりました。葵君、とりあえず着替えを出すからこっちのバスルームを使って血を落としてくれる?」
と、花野が葵を案内し始めたので、私は姫を抱いて奥へ進もうとした。
「あ、待って。姫様をどこに」
葵に腕をつかまれ、足を止める。
「砂まみれだからな。奥の浴室を使う。花野、私と姫の着替えも用意してくれ」
「かしこまりま……」
「え、ちょ、ちょっと待って! 冬十郎様が?」
さらに突っかかってくる葵に、ふっと息を吐く。
「葵が考えているようなことは何もしない。洗うだけだ」
「だったら、誰か女の人に」
「そんな必要はない。私は姫の伴侶だ」
「でも」
「あーうるさい……」
「え」
「やっとこの手に奪い返したばかりなのだぞ。今は一分一秒だって、姫から離れたくないのだ……!」
思わず腕の中の姫をぎゅっと強く抱きしめる。
「そんな子供みたいな……」
葵が絶句したように私を見る。
恭介はもう慣れたのか、軽く肩をすくめただけだった。
「……驚きました……。そういうことを、真顔でおっしゃるんですね」
花野が一番驚いたような顔をしていた。
姫に出会う前の数十年、いや数百年間、里を出て、会社を立ち上げ、様々な起伏があったはずなのに、この数ヶ月間の感情の振り幅に比べればそれはほんの小さなさざ波だった気がする。
多分、花野には私が別人のように見えているのだろう。穏やかで冷静だった蛇の頭領とは真逆の、恋情に振り回される愚かな男に。
だが、花野は嬉しそうにニコッと微笑んだ。
「お着替え、出しておきますね」
「あ、ああ。頼む」
「鬼童様はリビングへどうぞ。軽食でも召し上がりますか」
「それは嬉しい。ちょうど腹が減ってきたところだ」
恭介はさっさとリビングへ向かったが、葵はその場で私と姫を見ていた。
「何だ、シャワーの出し方が分からないか」
「それくらい分かるよ。そんなことより、この先どうするんだ。正直言って、冬十郎様は深雪様に比べると里ではあんまり……」
「分かっている。まずは先代が目を覚ましてからだな。一度姫に退けられたのだから、あの方ももう無茶はしないと思うが……。姫を脅威に思って騒ぎ始めた同胞を収めてもらうには、先代からの言葉をもらうのが一番良いからな」
葵はちょっと不安そうに姫の寝顔を見た。
「なぁ、姫様は心の純粋な優しい女の子だよな。むやみに人殺しなんてするはずがないよな」
それはどうだろうか、と心の中で呟く。
純粋であることと、殺しをしないことは、必ずしもイコールでは結ばれない。ショッピングモールで私が刺された時、姫は純粋ゆえに怒りの感情を爆発させたのだから。
だが、姫は人類や世の中に対して特に悪意を持っているわけでは無い。
「そうだな……。面白半分で人を害することは無いだろう」
と言ってうなずくと、葵はホッとしたようにうなずき返してきた。
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