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09 姫
甘えたいと少女は言った。
胸に縋って震えている姿は小さく弱々しく、ちょっとでも力を籠めると簡単にぽきりと折ってしまいそうだ。
冬七郎だった頃に一度結婚したが、子はできなかった。妻は普通の人間で病弱でもあったため、私を置いて早くに逝った。その後は冬八郎、冬九朗とずっと独り身で過ごしてきたし、小動物などのペットも飼ったことがない。小さな存在というものに慣れておらず、目の前の少女に大いに途惑う。
私は細い体を壊さないように恐る恐る抱き上げ、開いている足の左膝の上に乗せた。
「これで良いか?」
少女は少し驚いたように目を見開き、すぐに嬉しそうに微笑んでうなずいた。
乱れた髪が気になり手櫛で整えてやると、安心したように体重を預けてきた。
「君はずいぶん軽いな……」
あまりに華奢で頼りない存在だった。
きちんとした保護者もいないまま、寄る辺なく転々としてきたのかと思うと、切なくなる。
「毎日食事はもらえていたのか? 嫌なことをされたことはなかったか?」
少女は答えず、ゆるゆると少し首を振った。
イエスかノーか分からない表情だった。
「難しいかもしれないが、いつかきっと、君の本当の両親を見つけ出そう」
「本当の、親……」
少女は、今度ははっきりとノーという顔をした。
「いらない、です。本当の親の元へ戻っても、どうせまた誰かにさらわれてしまう」
声にも苛立ちが含まれていた。
自分の子供を奪われ、そしていまだに見つけ出せていない両親には、何も期待しないとでもいうように。
「だが、君をこのまま……」
「わたしの名前……」
話題を変えようとしてか、ふいに少女が言った。
「わたしの名前は……」
少し迷う様に言葉を詰まらせ、少女はドレスのスカートを握った。
「あの、姫って呼んでくれませんか」
「え、姫? なぜ?」
少女の頬が赤くなり、うつむく。
「冬十郎様が、初めて会ったときにわたしをそう呼んだから」
「いや、あれは別に、君に名前を付けたわけでは……」
ドレスを着ていた少女を安心させようと、「姫」と呼び掛けてみただけだ。
少女がさらにうつむいて顔を隠した。
泣き出しそうな気配を感じて、内心ひどく焦ってしまう。
「君は、勝手に名前をつけられるのは嫌じゃないのか?」
少女がふるふると首を振る。
「本当の名前はもう思い出すこともできないから……。冬十郎様に、君って呼ばれ続けるのは、なんだかすごく他人みたいで……」
不安そうなか細い声で、少女が言葉を続ける。
「冬十郎様は保護してくれただけなので、わたしの『親』ではないって分かっています。……けれど、わたし、ずっと名無しなのは……」
「名無し……」
それには思い至らなかった。
寄る辺なく過ごしてきたからこそ、名前という拠り所が欲しいのかもしれない。
「そうか、では、姫という名でよかろう。いや、良く似合っていると思う」
すると、少女はちょっとはにかむようにうなずいた。
その様子が非常にかわいらしく、ぽふぽふと頭を撫でる。
「本当によく似合っている、かわいらしい名だな、姫」
「はい……」
姫が幼子のようにふにゃりと笑った。
頬が少し、赤いようだった。
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