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「え? この子? そりゃまぁ五・六十年くらい? ああでも、見るからに虚弱そうだからもっと短いかもね」
「そう、せいぜい数十年だ。姫が私の心を完全に支配したとして、どうせ百年にも満たない短い間のことだ。この先の永い永い生涯の中で、そのほんの一時を姫の好きにさせてみるのも悪くないような、そんな気がしている」
清香が呆れたようにぽかんと口を開けた。
「はぁ? もうすっかりその化け物の毒牙にかかってるじゃないの」
「化け物の毒牙か。この子もひどい言われようだ」
喉の奥から笑いが漏れた。
「もう、なんで楽しそうなのよ。これは人の心を操る化け物なのよ。今はまだ子供でも、とんだ性悪に育ったらどうするつもり? 何かとても恐ろしいことを冬十郎にさせようとしたら?」
「恐ろしいこととは?」
「えっと、すぐには思いつかないけど極悪非道なことよ! 大量虐殺とか!」
突拍子もないことを言われて、つい笑ってしまう。
「そうだな、その時は一族総出で止めてくれ」
「呆れた……」
力が抜けたように、清香は大きく息を吐いた。
ふと振り向くと、三輪山と七瀬が何とも言えない妙な顔をして私を見ていた。私を心配してくれていると同時に、同じく永い時を生きる者として、複雑な思いがあるのだろう。
清香が大きなカバンを持って私の横に来た。
姫の額や首に触れる。
「うん、少し熱があるわね。それに、この手の怪我、そのままハンカチをまいただけ?」
「ああ、ダメなのか?」
「どんな傷でもすぐに治っちゃうのは私達だけよ。傷口を洗ってもいないんでしょう? 雑菌が入ったら化膿してしまうじゃないの」
清香はカバンを開いた。
中に医療器具が入っているらしい。
「ほかに傷が無いか、確かめるから服を脱がせて」
「私がか?」
「保護者なんでしょ?」
「だが、女の子だぞ」
「嫌なら、三輪ちゃんか七瀬ちゃんにお願いするけど」
三輪山はちょっと驚いた顔をしたが、七瀬は無表情にうなずいた。
「仰せとあらば」
「いや、私がするからよい」
清香はくすっと笑って、二人を振り向いた。
「私、泊まっていくから部屋を準備してくれる? それと、この子にも……」
「姫は私の部屋で寝かせる」
「え、そうなの? なんでよ」
「何がだ?」
「冬十郎の基準がよく分からないんだけど……。着替えさせるのはためらうのに、一緒に寝るのはいいわけ?」
私は姫の頭をそっと撫でた。
「今夜だけだ。目が覚めた時に私がいないと、姫が不安がるだろう」
「あー、あっそ……。じゃぁ私の部屋だけでいいわ、お願い」
「かしこまりました」
二人が一礼して出ていくと、 清香が私の顔をじっと見ていた。
「なんだ」
「さっきから気になってたんだけど、その『姫』って何なの?」
「この子の名前だ」
「記憶喪失って聞いたけど?」
「記憶喪失というわけではなかった。あまりに幼いころにさらわれて、両親のことも自分の本名すらも憶えていないそうだ」
「へぇ、じゃぁ冬十郎が名前まで付けちゃったんだ」
「この子が姫という名前がいいと言ったんだ」
「ふうん……」
清香はからかうような目で私を見た後、ふと、真顔になって姫を見下ろした。
「何を考えている」
「この子、確実に人間以外の何かの血を引いている。しかも、冬十郎を誑かすくらいだから、相当に力が強い」
「ああ。やはり異形のものなのだろうな」
清香は少しむっとした顔をした。
「その言葉、自分に返ってくるようで嫌じゃない?」
「自分が異質であることは、もうとうの昔に受け入れていることなのでな。それほど響かぬ」
「そう……冬十郎は同族に囲まれて暮らしているから、そんなことが言えるのよ。人間に囲まれて暮らしていると、自分が人間ではないってことを時々……忘れたくなる」
清香はふっと目を伏せた。
私と同様に永い時を生きてきたはずの清香は、いまだに自分の血を受け入れていないのだろうか。
だが、清香は姫に対してもっとひどいことを言っていた気がするのだが。
「異形と呼ぶのは嫌なのに、化け物呼ばわりは良いのか?」
「と、とにかく! 私が言いたいのは、何の血を引いているのか、ちゃんと調べてみた方がいいかもねってこと! 同族なら力をコントロールする方法が分かるはずだし」
「……そうだな。調べさせよう」
自分の異質性を自覚せぬまま、うまく制御できないでいる状態は、本人も周囲も不幸にする。
清香ははぁっと大きく溜息を吐いた。
「人間の中に、人間でないものが一人……か。何にも分からないまま力に振り回されていたんなら、この子も結構つらかったかもね……」
清香が指先で姫の前髪を撫でた。
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