10 タチの悪い化け物

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「え? この子? そりゃまぁ五・六十年くらい? ああでも、見るからに虚弱そうだからもっと短いかもね」 「そう、せいぜい数十年だ。姫が私の心を完全に支配したとして、どうせ百年にも満たない短い間のことだ。この先の永い永い生涯の中で、そのほんの一時を姫の好きにさせてみるのも悪くないような、そんな気がしている」  清香が呆れたようにぽかんと口を開けた。 「はぁ? もうすっかりその化け物の毒牙にかかってるじゃないの」 「化け物の毒牙か。この子もひどい言われようだ」  喉の奥から笑いが漏れた。 「もう、なんで楽しそうなのよ。これは人の心を操る化け物なのよ。今はまだ子供でも、とんだ性悪に育ったらどうするつもり? 何かとても恐ろしいことを冬十郎にさせようとしたら?」 「恐ろしいこととは?」 「えっと、すぐには思いつかないけど極悪非道なことよ! 大量虐殺とか!」  突拍子もないことを言われて、つい笑ってしまう。 「そうだな、その時は一族総出で止めてくれ」 「呆れた……」  力が抜けたように、清香は大きく息を吐いた。  ふと振り向くと、三輪山と七瀬が何とも言えない妙な顔をして私を見ていた。私を心配してくれていると同時に、同じく永い時を生きる者として、複雑な思いがあるのだろう。 清香が大きなカバンを持って私の横に来た。 姫の額や首に触れる。 「うん、少し熱があるわね。それに、この手の怪我、そのままハンカチをまいただけ?」 「ああ、ダメなのか?」 「どんな傷でもすぐに治っちゃうのは私達だけよ。傷口を洗ってもいないんでしょう? 雑菌が入ったら化膿してしまうじゃないの」  清香はカバンを開いた。  中に医療器具が入っているらしい。 「ほかに傷が無いか、確かめるから服を脱がせて」 「私がか?」 「保護者なんでしょ?」 「だが、女の子だぞ」 「嫌なら、三輪ちゃんか七瀬ちゃんにお願いするけど」  三輪山はちょっと驚いた顔をしたが、七瀬は無表情にうなずいた。 「仰せとあらば」 「いや、私がするからよい」  清香はくすっと笑って、二人を振り向いた。 「私、泊まっていくから部屋を準備してくれる? それと、この子にも……」 「姫は私の部屋で寝かせる」 「え、そうなの? なんでよ」 「何がだ?」 「冬十郎の基準がよく分からないんだけど……。着替えさせるのはためらうのに、一緒に寝るのはいいわけ?」  私は姫の頭をそっと撫でた。 「今夜だけだ。目が覚めた時に私がいないと、姫が不安がるだろう」 「あー、あっそ……。じゃぁ私の部屋だけでいいわ、お願い」 「かしこまりました」  二人が一礼して出ていくと、 清香が私の顔をじっと見ていた。 「なんだ」 「さっきから気になってたんだけど、その『姫』って何なの?」 「この子の名前だ」 「記憶喪失って聞いたけど?」 「記憶喪失というわけではなかった。あまりに幼いころにさらわれて、両親のことも自分の本名すらも憶えていないそうだ」 「へぇ、じゃぁ冬十郎が名前まで付けちゃったんだ」 「この子が姫という名前がいいと言ったんだ」 「ふうん……」  清香はからかうような目で私を見た後、ふと、真顔になって姫を見下ろした。 「何を考えている」 「この子、確実に人間以外の何かの血を引いている。しかも、冬十郎を誑かすくらいだから、相当に力が強い」  「ああ。やはり異形のものなのだろうな」  清香は少しむっとした顔をした。 「その言葉、自分に返ってくるようで嫌じゃない?」 「自分が異質であることは、もうとうの昔に受け入れていることなのでな。それほど響かぬ」 「そう……冬十郎は同族に囲まれて暮らしているから、そんなことが言えるのよ。人間に囲まれて暮らしていると、自分が人間ではないってことを時々……忘れたくなる」  清香はふっと目を伏せた。 私と同様に永い時を生きてきたはずの清香は、いまだに自分の血を受け入れていないのだろうか。 だが、清香は姫に対してもっとひどいことを言っていた気がするのだが。 「異形と呼ぶのは嫌なのに、化け物呼ばわりは良いのか?」 「と、とにかく! 私が言いたいのは、何の血を引いているのか、ちゃんと調べてみた方がいいかもねってこと! 同族なら力をコントロールする方法が分かるはずだし」 「……そうだな。調べさせよう」  自分の異質性を自覚せぬまま、うまく制御できないでいる状態は、本人も周囲も不幸にする。  清香ははぁっと大きく溜息を吐いた。 「人間の中に、人間でないものが一人……か。何にも分からないまま力に振り回されていたんなら、この子も結構つらかったかもね……」  清香が指先で姫の前髪を撫でた。
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