184人が本棚に入れています
本棚に追加
/169ページ
姫が髪の毛をかき上げると、絆創膏の貼られた手のひらが目に入った。
「その怪我は、やはりあの時の男が?」
「あ……はい。手の傷は、あの工場で転んだ時に」
「足は? あいつに縛られたのか」
姫は首を振った。
「縛ったのはその前の『親』です。買い物に行く間、わたしを逃がさないようにロープで柱につないでいたんです」
ロープでつなぐ?
感情が大きく乱れそうで、私はそっと深呼吸した。
「そういうことは、よくあるのか」
「ほんの時々、です。わたしは誰にさらわれても逃げようとはしなかったので」
「どうして」
「えっと、大人しくしているわたしをつなぐ必要が無かったんだと」
「いや、どうして逃げようとしない」
「え……? 逃げても、行くとこがないから……」
はっと胸を突かれた。
私は本当に想像力が足りない。
この子には帰る場所など無かったのに、なんて無神経な問いをしてしまったのか。
「次に何かあったら……」
私のところへ逃げておいで、と言いかけてやめた。
もしも誰かに囚われたとして、この華奢な少女が自力で逃げ出すのは難しいだろう。どんな危険があるかも分からない。
「もしも何かあったら、必ず私が迎えに行く」
「はい……」
姫は笑った。
だが、どことなくぎこちない笑顔だった。
昨日の今日で、いきなり全幅の信頼をもらうのは無理な話か。
溜息をこらえつつ、次の質問をする。
「怪我をすることは、多かったのか」
「いいえ。殴ったり叩いたりするような人は一人もいなかったので。ただ、『親』が変わるときの喧嘩に巻き込まれたり、連れ去られる時に強く引っ張られて転んだり、小さな切り傷やかすり傷はよくありました」
「首元の火傷はどこで?」
「昨日の『親』が髪を巻こうとしてヘアアイロンを使ったので、その時に。でも、どの『親』もすごく謝ってくれて、ちゃんと手当てしてくれたので……」
「なぜ誘拐犯を親と呼ぶ」
姫が私の顔を見る。
「『親』だったからです」
声は大きくないが、きっぱりとした口調に少し驚く。
「あの工場で襲ってきた男以外はみんな、『親』になりたくてわたしをさらった人達でした」
「親に……」
「きっと……ぜんぜん普通じゃないんだろうけど、あの人達にはそれぞれの、何というか……えっと、親の愛情みたいなものがありました」
姫は人さらいの者どもを、全員『親』と認識していたということだろうか。
さらわれるのを半ば受け入れているようなのも、相手を『親』と認めるからか。
「ではその『親』について教えてくれ」
身勝手な誘拐犯のことなど、知りたくはないが知らねばなるまい。
促すと、姫は少しずつ話し始めた。
物心ついた時にはさらわれるのが当たり前になっていたこと。
親になるのは男女半々くらいで三十代くらいが一番多かったこと。
相手の名前も、付けられた自分の名前も、多すぎて覚えきれていないこと。
強く印象に残っている『親』が二人いること。
だが、その者達の本名も住んでいる場所も分からないこと。
最初のコメントを投稿しよう!