13 ざわめき

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 姫が髪の毛をかき上げると、絆創膏の貼られた手のひらが目に入った。 「その怪我は、やはりあの時の男が?」 「あ……はい。手の傷は、あの工場で転んだ時に」 「足は? あいつに縛られたのか」  姫は首を振った。 「縛ったのはその前の『親』です。買い物に行く間、わたしを逃がさないようにロープで柱につないでいたんです」  ロープでつなぐ?  感情が大きく乱れそうで、私はそっと深呼吸した。 「そういうことは、よくあるのか」 「ほんの時々、です。わたしは誰にさらわれても逃げようとはしなかったので」 「どうして」 「えっと、大人しくしているわたしをつなぐ必要が無かったんだと」 「いや、どうして逃げようとしない」 「え……? 逃げても、行くとこがないから……」  はっと胸を突かれた。  私は本当に想像力が足りない。  この子には帰る場所など無かったのに、なんて無神経な問いをしてしまったのか。 「次に何かあったら……」  私のところへ逃げておいで、と言いかけてやめた。  もしも誰かに囚われたとして、この華奢な少女が自力で逃げ出すのは難しいだろう。どんな危険があるかも分からない。 「もしも何かあったら、必ず私が迎えに行く」 「はい……」  姫は笑った。  だが、どことなくぎこちない笑顔だった。  昨日の今日で、いきなり全幅の信頼をもらうのは無理な話か。  溜息をこらえつつ、次の質問をする。 「怪我をすることは、多かったのか」 「いいえ。殴ったり叩いたりするような人は一人もいなかったので。ただ、『親』が変わるときの喧嘩に巻き込まれたり、連れ去られる時に強く引っ張られて転んだり、小さな切り傷やかすり傷はよくありました」 「首元の火傷はどこで?」 「昨日の『親』が髪を巻こうとしてヘアアイロンを使ったので、その時に。でも、どの『親』もすごく謝ってくれて、ちゃんと手当てしてくれたので……」 「なぜ誘拐犯を親と呼ぶ」  姫が私の顔を見る。 「『親』だったからです」  声は大きくないが、きっぱりとした口調に少し驚く。 「あの工場で襲ってきた男以外はみんな、『親』になりたくてわたしをさらった人達でした」 「親に……」 「きっと……ぜんぜん普通じゃないんだろうけど、あの人達にはそれぞれの、何というか……えっと、親の愛情みたいなものがありました」  姫は人さらいの者どもを、全員『親』と認識していたということだろうか。  さらわれるのを半ば受け入れているようなのも、相手を『親』と認めるからか。 「ではその『親』について教えてくれ」  身勝手な誘拐犯のことなど、知りたくはないが知らねばなるまい。    促すと、姫は少しずつ話し始めた。  物心ついた時にはさらわれるのが当たり前になっていたこと。  親になるのは男女半々くらいで三十代くらいが一番多かったこと。  相手の名前も、付けられた自分の名前も、多すぎて覚えきれていないこと。  強く印象に残っている『親』が二人いること。  だが、その者達の本名も住んでいる場所も分からないこと。
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