17 炎

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「いい子だ……」  冬十郎が心底ほっとしたように笑う。  血で汚されていても冬十郎の笑顔はきれいだった。  わたしも笑い返す。 「はい……冬十郎様」  いい子にする。  冬十郎の望む子になる。 「姫、これから先……たとえ何があっても決して人を殺さないでくれ……」  大きな痛みに耐えるように苦しげな声で冬十郎が続ける。 「人を、殺さない……?」  どうしてだろう?  冬十郎以外の人間が、死のうが生きようがわたしにはどうでもいいのだけれど。 「姫……。誰にも罰せられなくとも、人を傷付けた記憶は(おり)のように胸に溜まっていく。傷付けた相手を放っておけば、その記憶はいずれ姫の心を濁らせていく」  冬十郎の言っていることは、わたしにはよく分からなかった。  きれいで心地よい響きだけど意味が分からない……。それはまるで遠い遠い異国の言葉みたいだ。  きっと、冬十郎が今まで生きてきた世界は、わたしには想像もできないくらい優しく美しい世界なんだろう。きれいで心地よい言葉がちゃんと通じるような、良き人ばかりが周りにいたんだろう。 「相手を殺してしまえば、その心の濁りは永遠に消せなくなる。濁ったまま生きていくのはとても苦しいものだから、姫にはそんな思いをさせたくはないのだ」  心の濁りとか言われても……。  正直、あまりよく分からない説教だった。  けれど、冬十郎が泣きそうな顔で真剣に言うから、わたしも真剣に聞いていた。  冬十郎の生きている世界は、冬十郎の見ている世界は、眩しいくらいにきれいなんだと思う。それはけっして壊してはいけない、とても尊いもののような気がした。 「……約束、できるか……」  必死な顔で冬十郎がわたしを見つめる。 「約束します。何があっても、人を殺しません」  それが冬十郎の望みなら、わたしは従う。  だって私もそちら側に行きたい、そちら側で生きてみたいから……。 「誓います、冬十郎様」  人を殺さない。  絶対に。  この先に、何があっても。
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