21 男

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21 男

 冬十郎は毎日、きちんと身支度をして、きちんと朝食を食べて、午前中はリビングで2号や他の人達と書類やパソコンを見ながら何か仕事の話をしている。  わたしはその間、この広い家を探検する。  どの部屋でも好きに見ていいけれど、下の階や外へは行くなと冬十郎は言った。  わたしは真剣にうなずいた。  わたしの力はまだ弱くてすぐに疲れてしまうから、次から次へさらいに来る者をすべて追い払うことはきっとできない。  一人でここを離れたら、多分、戻って来られなくなるだろう。 「わぁ、広い」  今日はリビングからテラスへ出てみた。  くねくねとタイル敷きの道があって、その横を足首くらいの深さで水が流れている。夏は涼しくていいかもしれない。  まだ寒い季節なのにテラスのあちこちに花が咲いていて、低い木まで植えられている。  その一隅にテーブルと椅子が置かれていた。きちんと手入れをされているようで、土埃が積もったりしていない。  わたしはその椅子に腰を下ろしてみた。  周囲にはここより高い建物は無いので、日当たりが良くて暖かい。けれど、特に眺めがいいというわけではなかった。海も山も見えず、ただ普通の住宅街が見渡せるだけだ。  午後から散歩へ連れて行ってくれると冬十郎が言っていたが、どこへ行くのだろうか。近くに公園でもあるのかと、住宅街に目を凝らす。 「何か、お飲み物でもお持ちしましょうか」  静かな声に振り返ると、3号がすぐ近くまで来ていた。 「あ、えっと」 「七瀬です」 「え」 「私の呼び名です。七瀬と申します」  別に名前なんて聞いていないのに、そう言われると呼ばなくてはいけない気がしてくる。 「七瀬さん、ですね。覚えました」  3号、いや七瀬の姿は、家の中でよく見かける。他の数人の男女と共に食事の配膳や掃除などをしていたり、シーツを替えてくれたりしているから、この家の管理が仕事なのかもしれない。  毎日のように世話になっているのに、一度も名前を呼んだことが無いのは失礼だったのだろうか。 「紅茶でよろしいですか」 「え、はい」  特に喉は乾いていないが、何となくうなずいてしまった。  七瀬は紅茶とケーキのセットを二人分持ってきて、自分もわたしの隣に座った。 「一度、お嬢様とお話をしてみたかったのです。よろしいでしょうか」  慇懃な口調で聞かれて、途惑う。  よろしいも何も、もう座っているのに。 「お話って、何ですか」  紅茶のカップに口をつける。  いい香りだった。
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