22 淫らな女

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「……なぜ、ここで先代の名が出てくる」 「この子の血族に心当たりがございます」  冬十郎の手が、少し力を込めてわたしの体を抱え直す。  わたしは完全に力を抜いて、冬十郎に身を預けていた。 「ご当代様がまだ子供の時分ですから、もう二百年以上……いえもっとですね、三百年近く前のことでしょうか。その子と同じ目をした女が、一時期、お屋敷におりました。蛇の者ではなかったので、若くして流行り病で亡くなったのですが……。後を追うように蛇の男が五人死にました」  冬十郎が息を呑んだのが分かって、わたしも一瞬、呼吸を止めた。 「初耳だ」 「苦い記憶でございますから、誰も口にしたくはなかったのでしょう」 「五人とも、後追いするほどその女と深い関係だったのか」 「一夜限りの相手を含めれば、関係のあった者は十数人いたようです。後を追ったのは、より関係の深かった者達なのでしょう」 「その淫らな女が、姫と同じ血族だったというのか」 「断言はできませんが……。蜘蛛の一族と呼ばれる者のようです」 「蜘蛛……? 聞いたことが無いな」 「蜘蛛の巣をはる様に、じわじわと心を操るとか……。ですが、それほど強い力では無いようで、人間ならともかく、蛇の者がその蜘蛛の巣にかかることはまずないそうです」 「だが、里の者が何人もその女に魅了されたのだろう?」 「ええ……。五人の男達が死んだ何年か後になってやっと、我らは蜘蛛と呼ばれる一族のことを知りました。蜘蛛の一族は我ら蛇と同じくらいに古くから存在していたそうですが、同族同士では子ができにくく、人と交わるうちに血も薄まって力も消え、ほとんどの者がただの人として暮らしていると……。ただ、ごく稀に、非常に力の強い子が生まれるのですが、その子は生まれた瞬間から周囲の者を魅惑するので、あっという間にさらわれてしまう。ゆえに、『さらわれ子』とか『さらわれ姫』と呼ばれるのだとか……」 「姫も最初にさらわれたのは恐らく赤子の時だろうと言っていた。早い内に蜘蛛の一族、できれば姫の本当の両親をみつけなければな……」 「先代様なら『さらわれ姫』のことをよくご存じのはずです」 「先代か。……まだ、生きているのか」 「当たり前でしょう。我ら蛇の一族は不老の種族です。もちろん不死ではありませんが、自らの強い意志で死のうとしない限り、いつまででも生き続けます」  わたしはなんだか、今は目を開けてはいけない気がして、瞼にギュッと力を入れていた。  やっぱり、冬十郎は……。 「ふん、古の大妖怪と数百年ぶりの再会か」 「お祖父様をそのようにおっしゃられてはなりません」 「私も、それから叔母上も、あの方には疎まれていたからな」 「そのようなことは……」 「まぁ良い。一度、里の屋敷へ戻ってみるか」 「はい、そのように手配いたします」  冬十郎はわたしを抱き上げてリビングへ戻った。  ソファに優しく横たえられたので、そのまま寝たふりをした。  大きな手が何度も何度も髪を撫でたり、頬を撫でたりしてくれる。  うっとりと気持ちが良くて、わたしは本当に眠ってしまった。  冬十郎がその会話をわたしに隠しておきたいのか、知られてもいいと思っているのか、分からなかった。  だから、しばらくしてやっと目を覚ました後、何も知らない顔で一緒に昼食を食べた。  午後になって、冬十郎はわたしに三つの約束をしようと言った。 『ひとつ、一人でここから出ないこと。  ふたつ、冬十郎以外の男を触らないこと。  みっつ、冬十郎以外の男の目を見つめないこと。』  わたしが必ず守ると約束すると、冬十郎はわたしを抱きしめた。  わたしはどこへも逃げないのに、まるで捕まえるみたいに強く、とても長い時間ずっと抱きしめていた。 散歩へは、連れて行ってくれなかった。
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