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「それの正体を知りたくて、里に来るものと思うておったが」
「その必要は無くなりました」
冬十郎の手が私をぐっと抱き寄せる。
「心を決めましたので」
「何を決めたと?」
冬十郎はわざとらしくゆっくり私の髪を撫でた。
「姫と添い遂げる覚悟を決めました」
「ふゆ、それがいかに危ういことか、分かっておるのか」
「私の今の名は冬十郎です。おじい様」
「はぐらかすでない」
「おじい様が何をおっしゃりたいのか、分かっています」
「愚かな……。『さらわれ姫』の毒に骨の髄まで侵されおって」
「さらわれ姫……先触れの者もそう言っていたらしいが、やはりこの子は蜘蛛の一族だと……?」
「蜘蛛の一族の中でも、まれに生まれる色欲の魔物を『さらわれ姫』と呼ぶのだ」
「色欲の魔物……」
「『さらわれ姫』は、生殖年齢に達すると魅惑の力を垂れ流し始め、周囲の男という男をすべて惑わし、争わせる。一つところには長くいられぬ化け物だ。殺し合いで周りに男がいなくなるからな。だから次から次へ、男に自分をさらわせる。さらわれた先で、また新しい男を惑わしていく。男を何人咥えこんでも満たされることのない淫乱だ」
「姫がそれだと」
「ああ、あれと同じ気配だ。大人になるにつれて、そなた一人では満足できなくなるぞ。いずれ一族すべての男を危険にさらす」
私は両手で冬十郎にしがみついた。
難しい言葉があって全部を理解はできなかったけれど、この人の言う『さらわれ姫』は私とは違うと思った。
私は他の男の人なんていらない。
冬十郎だけがいい。
冬十郎一人だけが欲しい。
遠くで、重い金属が軋む音がする。
ギチギチと、ギィギィと、錆びついた金属音が徐々に近づいてくる。
「これは……」
「な、なんだ……」
周囲がざわざわし始める。
「鎖……?」
冬十郎が呟く。
地の底から湧き出るように、錆びついた金属が床を蠢き始めていた。
太く頑丈そうな鎖が何本も何本も周囲を這いまわる。
鎖は蛇のように這い寄り、冬十郎に取り付き、両手首と両足首に絡みついていく。
冬十郎は驚いたように蠢く鎖を見たが、振りほどこうとはしなかった。
大蛇が鎌首をもたげるように重い鎖が持ち上がり、軋むような金属音を立てて私達を取り囲んでいく。
それは私自分が作り出す幻覚だと分かっていた。
床もソファも突き抜けて、鎖が檻を作っていく。
私と冬十郎を閉じ込める檻。
私と冬十郎を守る檻だ。
「邪魔しないで……」
立ち上がり、白髪の男を睨む。
約束を破って目を合わせてしまった男の顔は、冬十郎と兄弟のようによく似ていた。
私はそいつを睨みつけながら、冬十郎の髪を一房つかんで甘い匂いを吸い込んだ。
「私は冬十郎一人だけでいい……」
「そんな目で誘っておいてよく言う」
にやりと笑った白髪の男が、片手を上げた。
直後、ビィーンと何かが鳴ったかと思うと、私は冬十郎に床に押し倒されていた。
鎖はすべて弾け飛び、キラキラと幻覚の欠片が宙を舞っている。
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