ダイヤと屑石1

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ダイヤと屑石1

 酒は呑んでも呑まれるなというが俺はもっと厄介なもんに溺れた。  「なあ、俺に足りないものってなんだと思う?」  酒は入っていた。それは確かだ。魔が差したのだ。  「どうしたんだいきなり」  友人のあきれ声。  居酒屋の座敷で行われたサークル主催恒例の飲み会、俺の隣には小学校から腐れ縁の幼馴染が胡坐をかいてビールをお代わりしていた。  「だからさー、不足分だよ不足分。これでも頑張ってんだよそう見えねえかもしんねーけどさ。へこむんだよね地味に。髪だって雑誌見ながら研究してようやく納得いく角度と柔らかさに仕上げたんだよ、鏡とにらめっこして整髪料使って……髪質に合う整髪料さがすのも大変だった、俺の髪コシがねえから相性よくねえとすぐしんなり垂れてきちゃうんだよ。最近流行りの無造作ヘアー?それ狙ったの、演出。くどくなく、あざとくなく、なおかつイケてる路線をね」  「ふむ。研究熱心な事で」  「だろ?俺って実は真面目くんなの、ひとつのことに打ち込むとそれしか見えなくなるっつうか」  「知ってるよ、何年つきあってると思ってる。ガキの頃から見てるんだから」  「服だってさー、気を遣ってるんだよ。ウニクロ?あ、ちがうユニクロね、ウニは寿司のネタか。いかに安くおシャレに見せるかって上下の組み合わせ考えて裾出して、カジュアルでいながら崩れすぎず、こうね、ナチュラルオサレを狙ってるわけなのよ」  「努力の痕跡は認める」  「ありがとう」  頭のてっぺんからつまさきまで流し見て判定を下す偉そうな幼馴染に、ついつられ頭を下げる。  この時点でだいぶ酔っ払っていた。  呂律は怪しくもたつきアルコールを過剰摂取した目はとろんと濁り、すっかり骨抜きになった体はくらげのようにぐにゃぐにゃして右に左に不安定に揺らめく。  どよんど負のオーラ炸裂でくだ巻く俺を出来すぎた幼馴染は生温かく見守る。  微笑ましさと仕方なさを六対四で割ったような眼差しで、理不尽な言いがかりをつけられても決して怒らず寛容に徹し鷹揚に応じる様がなおさら憎たらしく、自分の顔を指さし懇々と訴える。  「俺が言いたいのはさ、問題はさ、なんでこんなに頑張ってるのに致命的絶望的壊滅的にモテねーのかって一点に尽きる。おかしくね?晴天のヘキレキじゃね?どう思うフジマ―」  藤馬は苦笑しつつ大人しく俺に肩を貸す。  実にご立派あっぱれ模範的態度、相手がぐでんぐでんな酔っ払いだろうが冷たく突き放したりしないんですこいつは。なんたって出来たヤツだから。モテモテですから。見てくださいこの包容力、大人の魅力全開の微笑み。全知にして全能の釈迦の如く慈愛を体現するアルカイックスマイル。  完璧。  降参。  はいはいもう認めます、高橋巧はなにひとっつ安西藤馬にかないません。  顔も頭も性格もこいつのほうがはるかに上、比較すんのもおこがましいってなもんです。   「フジマー、お前が女おとした最短記録って何秒だっけ……」  酒が入ると絡み癖がでる。そう自覚しつつヤケ酒かっくらったのは理由があって、その日俺は片想いの相手に告白して案の定振られたのだ。  玉砕。  地獄の底から湧きあがるような鬱々とした呪詛に文句も言わず延々つきあってくれる藤馬によどんだ三白眼で因縁ふっかけりゃ、よくできた友人は内心の辟易などおくびにもださず(辟易してるだろうさすがに)ぐずる赤ん坊をあやすような調子で俺に言う。  「覚えてない」  「二秒」  断言できる。  自信をもって断言しますとも、なぜなら俺は人が恋に落ちる瞬間を見てしまったのだから。  正確には俺の惚れてた女友達が出来心で引き合わせた藤馬に一目ぼれする瞬間であってんなもん見たくなかったんだよちきしょーと絶叫したところで後の祭り、時よ止まれお前は美しいと偉大なる先人は言いましたが俺の場合時よ戻れ俺が失恋する前にと土下座したい気分だ。  「そうだっけ?」  わずかに眉根を寄せて記憶の襞をなぞるも、つきつめて考えるのを放棄し、にっこり華やかに笑う。心当たり多すぎてひとつに絞れないって可能性もありか。  泡立つビールを一気に干し空のジョッキを卓に叩きつける。朗らかに笑う藤馬の鼻先に人さし指をつきつけ、気炎を上げて吠え猛る。  「同じ学部の崎谷さん紹介した時!いやな予感はしてたんだ、でも崎谷さんがどうしてもっていうからしぶしぶ連れてったんだ、そうしたら案の定……的中だよ」  藤馬はキャンパスでもひどく目立つ。  片想いしてる女の子は数知れず、積極的にモーションかけてくる子も多いという。  ガキの頃はどちらかというと線が細く色白の女顔だったのに、高校に上がる頃から背がのびてしなやかな筋肉がついて、あっというまに王子系の男前に成長した。  中学の時分から街を出歩くたび雑誌モデルにスカウトされる藤馬は服の着崩し方も垢抜けて、俺なんか引き立て役にしかならない。  こいつは引き立て役が欲しくて俺と行動してるのだろうか。  「食堂で待ち合わせして、俺が声かけてお前が振り向いた時、コトッと音がした」  「音?」  「人が恋に落ちる音」  「はは、巧は面白いこと言うなあ」  「笑い事じゃねえよ。したんだよ、マジで」  実際、音はしたのだ。ただそれは崎谷さんの手が動いて、携帯にぶらさげてたぬいぐるみのストラップがぶつかった音だったけど。  「俺の失恋瞬間風速も塗り替えられた……」  どうあがいたってかなわないやつがいる。  携帯にぶつかったストラップを見た時、戦わずして敗北を悟った。  ざわつく食堂の中央で、椅子に掛けた藤馬が振り返って優雅に手を挙げた瞬間、崎谷さんの恋愛ベクトルは固定されてしまったのだ。  たったそれだけの事と人は笑うだろうか。  俺の思い過ごしだと、頑張れと、無責任にけしかけるだろうか。  だけどこれが初めてじゃないんだ。  俺が好きになった女の子を藤馬がかっさらうのは小学校低学年からずっと繰り返されてきたセオリーで、不幸な経験が鍛え上げた勘が働き、俺の好きな子が藤馬を恋愛対象として意識し始めたらすぐわかるのだ。  そして案の定、大学に入っても同じ悲劇が繰り返された。  いつになったら呪縛が断ち切れるんだろう、藤馬に対するコンプレックスを拭い去れるんだろう。  たちが悪い事に藤馬本人に俺の好きな子をとったという自覚はない。自覚がないから罪悪感も発生しない。どの場合も全て女の方から勝手に惚れる。だから藤馬を責めるのは間違ってる、と頭ではわかる。  藤馬は人気者だ。何をやらせてもパーフェクト。文武両道才色兼備、その上家は金持ちな王子様だ。  俺のお袋の口癖は「あんたも藤馬くんを見習いなさい」で、歴代担任の口癖も以下同文。あれ?才色兼備って女に使う四字熟語だっけ?……どっちでもいいや、酒が入ってるんだ、誤用は見逃してくれ。  小中高と一緒の腐れ縁で大学まで一緒、何の因果かサークルまで一緒ときた。藤馬ならもう一ランク上の大学も狙えたのにと疑問を抱けば、「俺は巧と一緒がいい」と例の輝かんばかりの笑顔で返された。  俺も健全な男子だ。隣家の美少女が毎朝窓伝いに起こしにきてくれるお約束のシチュエーションを妄想しなかったといえば嘘になるが、残念ながら幼馴染の性別は野郎だ。この年までつきまとわれても鬱陶しいだけ。  ガキの頃から一緒だった幼馴染が足かせになり始めたのはいつからだろう。  サークルの飲み会。日常に組み込まれた馬鹿騒ぎ。座敷を占領した学生どもは底なしに飲んで騒いでどの顔も無邪気に楽しげで、べそべそ愚痴ってるのは俺だけだ。ビールを舐める。苦いだけだ。  「フジマ―……俺に足んねえもんってなんだよ……」  傷心を抉る。穿り返す。とことんナーバスでネガティブな泥沼にはまり込んでる、やばいなと思うもブレーキが利かない。違う、わざと利かなくさせてる。酒で加速をつける。絡みでもしねえとやってらんねーと自暴自棄に走り、ますますピッチを上げていく。  「お前にあって俺にないもんって何?」  こいつの引き立て役で一生終わるのはいやだと心が抗う。  俺にだってプライドがある。  ちゃちなプライドだけど、大事に磨けばいつか化ける可能性のあるダイヤの原石と信じたい。  けど、涼しい顔してなんでもパーフェクトにこなす藤馬が隣にいると輝きを食われて一生原石のまま終わっちまいそうだ。  俺が劣ってるとは思いたくないけど、少なくとも平均いってると思いたいけど、オールマイティな藤馬と並ぶと比較を運命づけられくすんじまう。  酒臭い息に乗せてわだかまりを吐き出す。  藤馬の笑顔はざらめでコーティングしたトゲのように劣等感をちくちくつつく。  酔っ払いなりに真剣に聞けば、暗澹と俯く俺に寄り添う藤馬が、虚空に目を泳がせて唐突に言う。  「……色気、かな」  「色気?男の色気って事か」  困った。確かに、ない。そんなものは全然ありません。  自慢じゃないけど大人の余裕とか男の色気とか俺は皆無で、というか一日二日で身につくもんじゃないだろうそれは、成長と経験にしたがって自然と醸し出されるもんだろうと反論したいのは山々だが、俺と同い年で大人の余裕と男の色気とさらには秀麗な容貌を兼ね備えた実例が隣に居座ってるもんで返答に詰まる。  意味深な流し目で困惑する俺に一瞥くれ、ビールを舐める。呑み方もかっこいい。アルコールが入っても決して自分を失わないのだ。  「巧はさ、軽い」  「存在自体が?ヘリウム並に軽いと?それともこっちが?」  自分の頭を小突いて絶望的な顔をすれば、藤馬は笑って首を振る。  「軽くて浅い。だからにじみ出るもんがない。すぐネタ切れ弾切れになる」  さすが幼馴染。的を射た指摘。  「……色気……あれば、モテんのかな……どこに転がってんだよ、拾ってくる……」  ジョッキをもってうなだれる。頭の上を黄色い嬌声と低い話し声と喧騒が飛び交う。俺は男だ。遺伝子がメスを、女を求めてる。なのにちっとも、誰も振り向いてくれない。不憫だ。誰も同情してくれないから自分でする、思う存分アルコールと自己憐憫にひたってやる。失恋を吹っ切るために必要な儀式みたいなもんだ。  「こんな酔っ払いほっといてこっちのテーブル来ようよ安西くん、みんな待ってるよー」  「こっちきてみんなと混じってさ。そっちのが楽しいよ絶対」  人気者の藤馬にあっちからこっちからお呼びがかかる。  度重なる出動要請をやんわり蹴って、いつ終わるとも知れぬ俺の愚痴に相槌を打つ。  「……ほんっと、イヤミな……」  感謝よりも嫉妬が先に立つ。杯を重ねたところで苛立ちは晴れず、次第に気分が悪化し眩暈が襲う。視界がぐらつき畳目がぼやける。  「大丈夫か?」  「ほっとけよ、あっち行けよ、お前なんかちゃっかり林さんの横に座って乳揉んでりゃいいよ」  「しねえよそんなこと」  「ああしないだろうな、今の俺の願望、つうか欲望」  どさくさ紛れに吐露すれば、地獄耳の林さんが「高橋サイテー」と大きな弧を描いてお手拭きを放ってくる。  座卓ふたつごえの遠投だというのにコントロールは絶妙にして的確で、弧を描いたお手拭は見事俺の顔面にべちゃりとへばりつき視界を奪い、座がドッと沸く。  爆笑の渦に包まれた座敷の中、自分の馬鹿な発言がもととはいえ笑いものにされた屈辱とアルコール過剰摂取とで精神状態はぐちゃぐちゃに最悪で、顔にへばりついたお手拭をひっぺがした俺は、口先だけでへつらう。   「あははは、すげー林さん、ナイスコントロール。今すぐ球界入りできそ。んじゃ、これで……」  早く帰りたい。  アパートに帰ってひとりで膝を抱えて泣こう、吹っ切ろう。  座卓に手をついて腰を浮かす。足元がおぼつかず転倒の不安を誘う。よろけた拍子に、腋の下に素早く肩があてがわれる。  「俺も失礼します。こいつ送ってくんで」  出たよ。また。  「えー安西くんも帰っちゃうの?」  「安西お前ちょっと過保護すぎ。ガキじゃないんだから一人で帰れるって、なあ高橋?」  酒癖の悪い先輩が物騒にぎらつく酔眼で俺を睨みつける。冗談みたいなホントの話、藤馬めあてでサークルに入った女子がかなりの数いて、俺はともかく藤馬が途中で抜けると藤馬狙いの女性陣までぞろぞろ帰っちまうのを懸念したのだろう。男だらけの飲み会のむさ苦しさったらねえ。  「大丈夫です、一人で帰れます。お前残れよ」  後半は小声で藤馬の耳元だけで囁く。しかし俺を支えた藤馬の決意は固く、先輩の機嫌をこじれるのを憂う素振りもなく、あっさりと言い放つ。  「すいません、埋め合わせは後日必ず。今日は勘弁してもらえませんか」  「幼馴染の腐れ縁ってか?」  ピーナツを前歯でかじりつつからかう先輩のにやけ顔が癇に障る。  好きで幼馴染やってんじゃねえと怒鳴りつけたくなる。  「ピンで返して行き倒れたら寝覚め悪いし、俺がついててやらないと」  俺がついててやらないと。  物分かりよく保護者ぶった台詞に反発がもたげる。  同い年のくせに、背だってそんな違わねえくせに、畜生。  胸の内が不穏にざわつく。喉の粘膜がひりつく。発作的に横っ面をぶん殴りたくなるも、脇でこぶしを握りこんで辛うじて抑える。  瞼の裏にちらつくぬいぐるみのストラップ、崎谷さんの白く綺麗な手、それを打ち消す藤馬の勝ち誇った笑顔。  「余計なお世話だ」  突き飛ばしたくても腕に力が入らない。アルコールは魔物だ。しかもその魔物は、俺の体内にしっかり巣食って血管内に触手をのばす。  女ならともかく、この年で男に抱きかかえられて帰宅ってかっこ悪すぎ。屑石のプライドがますます欠けて行く。別れを惜しむ女性陣の声を背に受けつつ、藤馬は俺に肩を貸して暖簾をくぐり表に出る。  敷居を跨いで地面を踏むや、酩酊した足元がふらつく。  「っと、」  「気をつけろ」  つんのめる俺の肘を掴み、引き戻す藤馬。  「今日の地面は特に俺に冷たい……」  藤馬を押しのけ一人で歩こうとするも、危なっかしく体がぐらつき、大嫌いな男の手でまた支えられる。  「重力まで俺に意地悪する」  「大丈夫、地面は味方だから。安心して踏んづけろ。一歩、にーほ」  拗ねる俺を宥めすかし、歩調を合わせ歩く。  わざわざ先輩を敵に回してまで俺を選ぶ藤馬。友達想いのいいヤツ演じて、好感度を上げて、またファンを増やすつもりか。  タクシーのタイヤが路面を噛んで路肩に寄る。  自動で開いた後部ドアから中へと押し込まれ、続いて藤馬が乗り込む。  「気持ち悪……」  猛烈な吐き気がこみ上げる。胃袋がでんぐり返る。ドアが閉まる音がやけに大きく響き、藤馬が住所を告げるやタクシーが走り出す。  「呑みすぎだよ」  「さわんな」  気分がくさくさする。ひどくいらつく。額に触れようとする藤馬の手を邪険に払う。  俺を気遣うふりして。点数稼いで。胃がむかつく。喉の奥に苦い塊がせりあがる。  俺がついててやらないと。責任感と義務感と、何よりひそやかな優越感に満ちた台詞。保護者を自認する意志表明。  お前が無神経に気遣うたび、俺が傷つくと思いもしないで。  できるヤツの同情も優しさも、そうじゃないものにとってはありがた迷惑余計なお世話で、いっそ無視してくれたほうがどれだけラクか。  時々思う。  不安に駆られる。  俺が胸に飼うちっぽけなプライドは、ダイヤの原石なんかじゃなくて、ただの屑石じゃないかって。  後生大事に研磨したところで屑石は一生屑石のまま、ひとりでに輝く事なんかあり得ない。  ダイヤモンドのお零れに預かるだけで、自分で光を放つなんて、夢のまた夢で。  「どうせ浅くて軽いし……」  色気、ねえし。  前髪に沈んだ表情を隠し呟けば、藤馬がなだめるように俺の頭を叩き、顔を覗き込んでくる。  「色気、ほしい?」  「くれんのかよ」  酒臭い息と共にひねくれた失笑を吐き出し、挑戦的に言う。  積年の恨みとコンプレックスで屈折しまくった怨念の目つきで藤馬を睨みつければ、藤馬は俺の頭をかきまぜながら、ひとつ頷く。  藤馬にあって俺にないもの、アンサー色気。正解?短絡的な方程式がアパートに近付くにつれ真実味を帯びてくる。  体が妙にふわふわすんのは酒のせいだ、そうに決まってる。タクシーのタイヤが道路を噛んで停車、ドアが開く。藤馬が料金を払う。  「俺が出す……」  「いいから。後で」   柔和だがどこか有無を言わせぬ口調で指示し、俺を担いでタクシーを出て、鉄筋製の階段を一段ずつ踏みしめ上がってく。  「巧のアパートくるの久しぶり。大学入ってから数えるほどしか来てない」  「…………いつまでもつるんで遊ぶの、気持ち悪いし」  「気持ち悪いか」  「常識的に考えて引くだろ、小中高一緒の幼馴染と大学までつるんでるなんてさ」  二人分の体重がかかって錆びた階段が軋む。藤馬は俺に肩を貸し、俺は藤馬にぐったり凭れ、なかば引きずられるようにして階段を上る。  預けた肩から体温と筋肉の動きが伝わる。藤馬が足を繰り出すたび連動する肩。  「俺、いつ呼んでくれるのかなってずっと待ってたんだけど」  言動に違和感を覚える。階段を上るにつれ若干雰囲気が変わる。  具体的にどこがどうと指摘できないが、闇を透かして見る目つきは酷薄に細まり、笑みを浮かべた顔に一抹の寂寥がちらつく。  「……家こなくたって……大学やサークルでしょっちゅう会ってるだろ」  大学以外で顔を合わせたくないという本音はしまっておく。  藤馬はそれじゃ足りないとでも言いたげに、もどかしげな焦燥の上澄みを一瞬顔に浮かべ、すぐに消す。  すれ違い食い違う会話。体はぴったりくっついて離れない。  藤馬は俺の片腕を首をくぐらせ反対側の肩にさげ、もう片方の手を俺の腰に回し、ドアの前に立つ。  「あんがと。じゃ、また」  一応、礼を言う。ジーパンのポケットに手を突っ込んで鍵をまさぐるも、酔ってるせいかなかなか掴めず、いらだつ。藤馬は無言で傍らに突っ立つ。  「いいから、帰れよ。明日講義あるんだろ」   「鍵どこ」  「ズボンのポケット……いいよ、ひとりでできる」  そこまでしてくれなくてもと抵抗を感じ拒むも、藤馬は俺の意見など聞かず、ズボンのポケットに手を突っ込んで中身をあさる。  藤馬の手がポケットの中で蠢き、不思議なくすぐったさを覚える。  アルコールで火照った体はやけに敏感になっていて、デニムの布地は下肢に密着して、ポケットの中は窮屈で、身動きするたび不自由に突っ張っる。  「うは、ひゃは、やめ、くすぐって……」  「あった」  藤馬が鍵を見つける。ポケットから手を抜き、鍵穴にさしこみ回す。いつのまにかすっかり藤馬のペースで調子が狂う。  藤馬が先に立って部屋に入る。俺も続く。電気をつける前に、背後でドアが閉じると同時に  「―!?っ、」  抱きつかれた。  思考停止。  「………フジマ………酔っ払ってる?」  部屋の中は暗い。今朝出てったときのまま散らかってる。雑誌や服が散乱して足の踏み場もない状態。  「……靴、脱ぎたいんだけど……」  遠慮がちに意見する。体が熱い。心臓が鼓動を打つ。藤馬はなんで俺にひっついてるんだろう。  「巧の足りないもの、あげようか」  耳元で囁かれた声が孕む悪戯心。耳朶に吹かれた吐息に産毛が逆立つ。至近距離にあるはずの顔に目を凝らし、手で払う。  「帰れよ」  「モテたいんだろう」  「モテてーです」  いかん本音が出た。  言質を引き出した藤馬が愉悦に酔って口元をほころばせる。整ってるだけにむかつく顔だ。  「じゃあキスからだ」  そしてレッスンが始まった。
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