Hamburg(ハンブルク)1778年

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Hamburg(ハンブルク)1778年

「なんということだ…」 カールは手にしていた手紙を握りつぶし、うめいた。神を呪う言葉が喉まで出かかったが、大きく呼吸をすることでこらえ、もう一度、一字一句食い入るように手紙を読み返してみる。 だが、内容に間違いがないことを確かめると彼は頭を抱え、抗うように左右に振った。残酷な知らせだった。それでも事実は受け止めなければならず、なにより、彼が最初に思ったのは、妻にどう伝えればいいかということだった。  カールは震える指先で手紙の皺を伸ばした。そこには、彼の二番目の息子であるヨハン・セバスティアンがローマで流行り病の熱病に罹って客死したことが書かれていた。  カールは握りこぶしで口を押さえ、こみ上げてくる嗚咽を押し殺した。このことを知ったら、次男をこよなく愛していた妻は、自分以上の衝撃を受けるだろう。彼はそんな悲嘆にくれる妻を支えてやらなければならない。 カールは何度も深呼吸し、どうにか気を落ち着けると部屋を後にした。 妻にこの凶報を伝えるために。 気丈にも人前で涙を見せることのなかった妻のヨハンナだったが、息子ヨハンの葬儀をすませると、張り詰めていた気が崩れたのか、床に臥してしまった。悲しみを癒すのは時間だけだとわかってはいたが、カールは後悔の念に苛まれていた。 あの時、無理にでも息子を引き止めていればよかったのだろうか、と。 だが、それでも息子は出て行っただろう。 それに、あの別れが最後になるだろうなどと誰が予想できただろうか? もし、こうなることがわかっていたのなら、快く送り出してやることもできたかもしれないが、もはや手遅れだった。全ては終わってしまったのだ。 カールの息子のヨハン・セバスティアンは、祖父と同じ名前を与えられた。音楽家を輩出しているバッハ一族に習い、将来、祖父と同じくらい偉大な音楽家になることを期待されての命名だった。 だが、妻のヨハンナは息子達を是が非でも音楽家にしようとは思っていないようだった。 現に、長男のヨハン・アウグストには音楽の才がなかったので、法律を学ばせた。彼は弁護士になったが、結果的にはいい選択だったといえるだろう。 一方、次男のヨハン・セバスティアンには幼少時から音楽の天賦の才があることは明白だった。カールは、父がそうであったように、自ら息子に音楽教育を施した。 ところが、青年期になると、ヨハン・セバスティアン二世は、音楽家ではなく、画家になると言い出した。 カールは反対した。お前には音楽の才能がある。それにお前が音楽家にならなければ、音楽一族であるバッハ家はいずれ絶えてしまうが、それでも平気なのかと。 親子の話合いは平行線を辿った。ある時、たまりかねた息子は父に本音を投げつけた。 「兄さんが弁護士になるのを父さんが反対しなかったのは、兄さんに音楽の才能がなかったからじゃない。兄さんにだって人並み以上の才能はあった。でも、無理強いしなかったのは、兄さんがヴィル伯父さんのようになったら困ると思ったんでしょう!」  バッハ家の長男のヴィルが目をかけられ期待されたものの、結局はそれに応えられずに挫折したことをヨハンも目の当たりにしていたのだった。 この時、カールは自分よりも既に上背のある息子を張り飛ばし、怒鳴りつけたが、ヨハンの決意は固く、決然とした瞳は微塵も揺るがなかった。  ヨハンは荷造りをすると家を出ていき、イタリアに渡ってローマで絵の修行を始めた。  ヨハンが絵画の世界で大成できたかどうかわからないし、カールには絵の審美眼があったわけではないが、習作や何枚かの風景画を見た限り、幾ばくかの才能はあるように思えた。 ローマにいる息子のためにヨハンナがこっそりと援助していたのをカールは黙認していたし、年月が流れ、カールも次男のことは諦めるようになっていた。いつか再びこの家に戻り、謝った時には許してやろうと思えるようにもなった。 そんな折だったのだ。息子(ヨハン)の訃報を受け取ったのはー。  ふと、カールは寂寥感に襲われ、身を震わせた。代々、バッハ家では音楽家となった男子を家系図に書き入れてきた。それは一本の大きな木のように枝を伸ばし、広がっていった。 だが、そう遠くない未来に、それが失われていくかもしれないという嫌な予感がしたのだ。  悪い夢のようだ、とカールは思った。これが悪夢なら覚めて欲しい…と。
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