Prolog

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Prolog

1787年、初秋。 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、ほうっと満足そうな溜息をつくとペンを置いた。  彼は今しがた一つの小曲を書き上げたところだった。嬰ヘ短調の自由な幻想曲(Freye Fantasie)を。  座りなおして、ハンマーフリューゲルに向かい、早速、気になる部分のいくつかを演奏してみる。 幾通りかの違った和音や旋律で弾いた後、最もよいと思われるものをペンで書き込んだり訂正を施したりしていくのだ。彼はもともと左利きであるので、左手にペンを持ったまま右手で演奏するのもたやすかった。  もっとも、そのせいで弦楽器には不向きで、彼がもっぱら作曲したのはクラヴィーア曲だった。彼がこの六十年間に作曲した中ではクラヴィーア曲が最も多く、四百曲あまりの作品がある。 しかし、と曲の大まかな見直しが終わると、彼は独りごちた。  しかし、小節線もなく果てしなく続けられるこの曲を私が聴衆の前で演奏することはないだろう、と。  たとえ弾いたとしても通俗的なウィーンの作曲家達の音楽をもてはやす彼らには、わかるはずもないのだ。 もっとも、才能ある若い音楽家達、そう、モーツァルトやハイドンなどは私の音楽に対して今なお称賛の言葉を述べはするが…と、彼は自嘲めいた笑みを浮かべた。 彼は楽譜の一番最初の、タイトルの脇のところに几帳面な筆跡でこう記した。 C.P.E.Bachs Empfindungen. (カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの感情) 楽譜に自分の名前を書き入れる時、彼は言いしれない誇りを感じる。 自分の作品を後世に残す―それは、自分の足跡を歴史に残す、ということにとどまらない。 二百年間、脈々と続く音楽一族である我がバッハ家の一端を担う、輝かしい名誉なのだ。 彼が楽譜を前に考えにふけっていると、妻のヨハンナが部屋に入ってきた。 あなた、と呼びかけ、寝巻きの上にガウンを羽織った姿の彼女は、夫に先に休むことを告げた。  ヨハンナは、興がのると夫が時間を忘れて作曲に没頭することを熟知しているので、言っても無駄だということは承知していたが、あまり根をつめないでくださいね、と控えめに付け加えた。ああ、じき終わるからと彼は答えた。 ヨハンナは運んできた盆から、茶器をオーク材の小さなテーブルに置いた。 「リンデン・ティーをどうぞ」 彼は礼を言うと、テーブルの傍らにある長椅子に移動した。 おやすみなさい、と妻が大儀そうに出て行く後姿を見て、老けたな、と彼は思う。 自分よりも十歳若いとはいえ、ヨハンナも六十三歳になる。結婚したのは彼が三十歳、彼女が二十歳の時だった。 ベルリンの酒類商の娘だったヨハンナの音楽の造詣はさして深くはなかった。生育の環境のせいなのか、本人の資質なのか、多分、両方なのだろうが、彼女は、より実利的なものに価値を置いている。 ありていにいえば、夫の音楽よりも、夫の音楽がハンブルクの音楽監督という社会的地位をもたらす、という事実の方が彼女にとっては重要なのだった。 とはいえ、彼も音楽や仕事に付随する事務処理や金銭の計算をすることは苦にならず、むしろ得意な方だった。 彼は最近、とみに自分の死について考えているが、遺される妻や子の行く末について準備を怠ることはなかった。 財産の管理は行き届いているし、今までの自分の収入も保障される。遺産を然るべく適当に処分すれば、少なくとも生活に困ることはないだろう。 彼は、夫に先立たれてからの義母の暮らし向きが楽なものではないことを風の便りに聞いていたので、自分の家族にはそんな思いをさせたくはなかったのだ。 彼は背もたれに深々と座ると、ゆっくりと茶を飲んだ。ほのかな菩提樹(リンデン)の香りの湯気が心を落ち着かせる。 体が温まるにつれ、彼はまどろみはじめ、いつしか夢の中へと入っていった。
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