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自転車を手で押しながら、二人並んで帰り道を歩く。
あの雑貨屋の入り口にはやっぱり「準備中」の札がかかっていた。
時間を惜しんで、そこからは自転車に乗ってアパートへと戻った。
駐輪場に自転車をとめ、階段を上がる。
「少し遅いけど、お昼ご飯にしませんか?」
鍵を開けながら言うと、彼女は「そうだね」と返した。
「なにが食べたいですか?」
「フレンチトースト」
「焦げた方ですか」
「そう」
「わかりました。ちょっと待っててください」
ぼくは台所で手を洗い、冷蔵庫から卵と牛乳、棚から蜂蜜と砂糖、それからフランスパンを取り出して並べる。
フランスパンを厚めの斜め切りにして、卵・牛乳・砂糖と少しの蜂蜜を混ぜたプリンの元みたいな液体にひたひたになるまでつける。熱したフライパンにバターを落として、プリン液の染みたパンを二つ並べる。ひとつは口直し用にきれいな焼き目のついたおいしそうなフレンチトーストに、もう一つは初めて作ったときのような、真っ黒焦げの塊にする。
それを並べてお皿に盛り、ナイフとフォークを二つずつ用意して、テーブルの上に置いた。
彼女もいつものようにコーヒーと紅茶を用意してくれたようで、それをそれぞれの席の前に置く。
彼女は椅子に座りながら小さく「いただきます」と言った。ぼくはそれに「めしあがれ」と応える。
真っ黒焦げの塊をナイフとフォークで切り取って口に運ぶ。そしてすぐに渋い顔をする。
「ほら、やっぱりおいしくないでしょう?」
「うん。おいしくないけど、でも、すっごくうれしい」
そう言いながら、黒いフレンチトーストを切り取っていく。
「身体に悪いですよ」
「もう、身体もなくなっちゃうから、問題ないもの」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「だって……」
と、彼女は言葉を詰まらせた。
「だって、そうなんだよ。ずっと、いっしょに、居たかったのに、これから、ずっといっしょに、生きていけるって、思ってたのに」
彼女は泣いていた。
呆然と、その大粒の涙を見つめる。
「フレンチトーストだって、ちょっとずつ、上手になっていくの、見てたかった。子供にも、孫にも、会いたかった。会って、いっしょに、おいしいもの、たくさん食べて、笑って、そうやって……」
――生きていたかった。
でも、それはできない。この世界は終わってしまう。
みんな、終わってしまうから。
とっさに、彼女を抱きしめる。
どうしようもない、その理不尽な終わりを包み隠すように、安心で塗りつぶせますようにと願いながら、抱きしめる。
「だいじょうぶです。きっと、きっと、ぼくが……」
そう言いかけて、どうすればいいかも何をすればいいかもわからなくなり、やるせなさだけがつのっていく。
そうしているうちに陽は落ち、夜はふけ、世界の終わりがやってくる。
しんと静まりかえった夜が、一瞬、昼よりも明るく照らされる。
それは巨大な隕石が地球に落ちてきた合図だ。
「私、きみを好きになって、よかった」
そう聞こえた。
それに応えようとしたところで世界は終わる。
そして、白飛びした視界が、暗転する。
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