夜中

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夜中

幸雄はベッドに横になっていた。隣には美保が寝ている。なんだか寝付けなかった。 先程見た美保の涙を思い出す。彼女の両目から溢れる涙。頬を伝い、顎に留まる。 果たして美保は本当に涙を流しているだけなのだろうか。 彼女はリハビリをして、涙は流せども感情は伴わなくなったといっているが、本当かどうかはわからない。 僕を心配させないが為に嘘をついているかも知れない。だとしたら……それは嫌だった。 「……ねぇ、幸雄、起きてる?」 突然声がした。寝ていたと思っていた美保は起きていたようだ。 「……起きてるよ」 「……そっか」 そう言いながら、美保は幸雄の体に顔を埋めるように寄り添ってくる。普段の強気な彼女らしくない行動に、少し戸惑った。 「……美保?」 「……ずっと、前から言い出せなかったことがあるんだけど、いいかな?」 まさか浮気じゃないだろうな、とか一瞬思った自分を押し込め、僕はうん、と言った。 「……ケーキ食べた時にさ、私、『今は涙がちょろっと出るだけ』って言ったじゃん。アレ……実は嘘なんだ」 その言葉に幸雄は、やはり感情を押さえつけているのか、と思った。しかし、美穂の口から紡ぎ出された言葉は、そうではなかった。 「お母さんが私にさせた鍛錬の名残りって、それだけじゃないの。さっき言ったでしょ?『感情を0から100、100から0に』って……」 そこまで言われて幸雄はハッと気がついた。 嬉しい状態から一気に悲しい状態まで気持ちを切り替えるだけなら、そんな言い方はしない。どちらかの言い方だけで良いのだ。 つまり、美保の母は その逆の訓練(・・・・・・)もさせた──。 「……『すごく悲しい時に、今が人生で最高に幸せだと思いなさい』って言われたの。言葉だけ聞いたらすごくポジティブな人っぽいでしょ?でも違う……。あの時、私は……大好きだった、お婆ちゃんの……お葬、式……で……」 「美保……!」 「見ないで!」 彼女の肩を掴もうとした手を払われる。 「見ないで……!今、私……笑ってるから。こんなに悲しいのに、へらへら笑ってるから……!」 彼女の肩が震えている。それは、泣いていると言うよりは、やはり笑いを堪えているような揺れ方だった。 「人生で感情が昂ぶるほど嬉しいことは割とあった……貴方にプロポーズされた時とか。けど、同じくらい悲しいことは、さほど経験しなかった。だから……悲しい時のリハビリがうまく出来なかったの」 美保は落ち着いたのか、ゆっくり顔をあげた。 「……お母さんが亡くなった時もそう。名声に囚われてしまった人だけど、育ててくれた、たった一人の親だもの。すごく……悲しかった」 彼女の母は、美保の芸能界復帰を目指してずっと努力していた。しかし、根を詰め過ぎて美保が高校生になった頃に精神を病んでしまった。やがて心に引っ張られるように身体も壊してしまい……そこからは早かったと聞く。 母が倒れた原因は自分だと今でも思っている、と彼女の口から聞いたこともあった。 「私、お母さんのお葬式でずっと下を向いていたのよ。顔を上げたら見られてしまうから……この醜悪な笑顔を。母の葬式で笑う、異常者の烙印を押されてしまうから」 気がつくと美保はまた顔を隠していた。昔のことを思い出して、笑っているのだろう。 悲しくて、可笑しくて──笑っているのだろう。 「私は──こんな壊れた私が嫌い」 吐き捨てるようにそう言った美保を、僕はぎゅっと抱き寄せた。 「……僕は好きだよ」 その言葉に、美穂の肩がぴくりと震えた。 「感情が壊れたのは美保のせいじゃない。だから、気に止む必要はない。……確かに知らない人が君のことを見たら不思議がるだろう。もしかしたら怖がるかも知れない。けど、それなら僕が説明するし、それに僕だけは君の本当の感情を知っている」 僕はそこで一度言葉を区切り、また話し出した。 「だから、周りの目を気にして自分の感情を押し殺したりしないでくれ。自分を殺さないでくれ。美保が辛いと、僕も辛い」 言い終わると、美穂が顔を上げた。その顔には笑顔があったが、眉が下がっていて困り笑いといった感じだった。 「貴方は嫌じゃないの!?もしも自分が死んじゃって、そのお葬式で自分の奥さんが笑っていたら!」 「それが美保なら嬉しいよ。だって、君の笑顔は泣き顔と同義なんだろ?なら何も文句はないさ。それに僕は湿っぽいのが嫌いだから、自分の葬式では笑顔で送り出してほしいな」 美保はその言葉を聞いて口をぽかんと開けると、僕に背を向けベッドに横になった。 「……何それ、やっぱ貴方って変な人よね」 「そんな変人と結婚したのは誰だっけ?」 僕が茶化すと、彼女は鼻をすすって反論してきた。 「あーはいはい私です私!こんな私と結婚して頂きありがとうございます!」 「……お礼を言うのはこっちだよ」 そう言って僕は美保の髪を撫でた。 「……うっ……ひぐっ……うぅ」 隣から、彼女の嗚咽が聞こえてくる。 泣いているのではない。彼女は笑っているのだ。嬉しくて、笑ってくれているのだ。 僕は美保の頭の下に腕を回す。 「おやすみ」 「……うん」 涙声で彼女は言った。 僕は隣から聞こえる、彼女の嗚咽を聞きながらゆっくりと夢の世界に落ちていった。
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