写真

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 高校時代の同級生が亡くなった。  24歳の若さであっさり逝ってしまったらしい。  親戚を名乗る女性から電話をもらったとき、長らく埋もれていた記憶が唐突に引きずり出された。  隠し場所を知りながら素通りしていたタイムカプセルを開けた気分だ。  亡くなった「彼女」はひどく写真嫌いで、折々の行事で向けられるカメラを「魂を吸い取られるから」と頑なに拒否し、卒業アルバムにさえ載っていない。  そのため遺影として飾れるものが一枚もないというのだ。  先ほどの電話は、同級生のよしみで一枚でもいいから良さそうな写真がないか、という内容だった。 「……あった!」  通話を終えたオレは、一人暮らしのアパートの押し入れから折りたたみ式の古いガラケーを引っ張り出してきた。  オレたちが高校生だったころ、ちょうどガラケーが出回るようになった。今では信じられないような粗い画質の写真を撮っては仲間内で送りあっていたものだ。  傷だらけのガラケーは電源を長押ししても暗いまま。  ふたたび押し入れをあさり、苦労の末、卓上ホルダーと充電コードを発見した。  充電ランプがちゃんとついていることを確認し、風呂のスイッチを入れに離れた。  ※  風呂から上がり、そろそろだろうと思い出して電源ボタンを長押しする。  ゆっくりと起動画面が現れ、いつ撮ったのかも定かではない菜の花の画面があらわれた。  フォルダを開けば、止まっていた時間が動き出す。  1枚目、もっとも新しい写真の日付は六年前の三月だ。彼女はたくさんの荷物を手に玄関を出てきたところだ。  十字キーを使って拡大してもその表情はうかがい知れず、オレと彼女との距離感をあらわしている。  写真嫌いの彼女は、本人の気持ちとは裏腹に、絶好の被写体たる美貌とスタイルを兼ね備えていたのだ。  同級生の誰もが彼女を好きになった。  勇気あるものは告白して玉砕したが、オレを含めてほとんどの男は一方的に思いを募らせるだけだった。  その結果として、実らない恋ならば、せめて彼女の姿を自らの所有物たるガラケーの中に収めておきたい衝動に駆られた。  ありていに言えば隠し撮り、つまり盗撮である。  オレたちは競うように彼女を撮り続け、毎朝、成果を見せ合っていた。いずれも彼女を正面からとらえたものはなかったが、少しでもピントが合っていればメールに添付して送りあった。容量が足らずに悔しい思いをしたこともあったが、フォルダはたちまち彼女の隠し撮り写真でいっぱいになった。  電話が鳴った。  一瞬ガラケーの受信ボタンを押しそうになったが、とっくに機種変更していることを思い出してひとり噴きだした。  気を取り直してスマホをスワイプすると懐かしい声が聞こえてくる。 『よ、ひさしぶり。……どうした、なに笑ってるんだよ?』 「いや、なんでもない。卒業以来か?」  慌てていたとは言え、ガラケーで電話を受けようとしていた自分が可笑(おか)しかったのだ。  相手は高校の同級生。  ヤツのところにも親戚を名乗る女性からの電話があったのかも知れない。 『実家に戻ってガラケー見てみたら、フォルダがすごいことになってた。なんと、100枚以上も隠し撮りしてた』 「なんだ、おまえもか。オレもだよ。たぶん200枚近くは撮ってる」 『知ってるか? 彼女、結婚式の前撮りしている最中に心不全で倒れたらしいぜ。元々心臓に持病があったらしい』 「え、写真嫌いの彼女が前撮り?」  薄情と言われるかもしれないが、前撮り中の悲劇よりも彼女が前撮りに臨んだことの方がよっぽど信じられなかった。 『入院中の父親に花嫁姿を見せたかったらしい。かなり危ない状態で、式までもたないと医者に言われていたらしいんだ』 「それは……気の毒だな」 『かわいそうにな。ここ最近変な男にストーカーされてるって怖がってた彼女がやっと幸せになれるところだったのに……』  鼻をすする音がする。  ここにきてようやく彼女の死が現実味を帯びてきた。  もうこの世にはいない。そう思うとひどく胸が痛む。 『……なぁ、あの話って案外本当なのかも知れないな。写真を撮られると魂が吸い取られるって話』 「まさか」 『考えみろよ。おれとおまえで300枚。ブレて削除したものを含めれば4、500枚以上撮ったことになる。1枚につき0.000……1日分の寿命が縮んだとして、あの学校にどれだけ男子生徒がいた? いったい何回、彼女は撮られたと思う?』 「そんなの分かんねぇよ……」  悪ふざけにしては真剣な声だ。  なんだか空恐ろしいものを感じる。 「よく考えてみろ。そのバカげた都市伝説が事実なら、芸能人はとんでもない回数になるじゃないか。みんな早死にか? 違うだろう?」  真剣に受け答えするのもバカバカしいと思うが、言い返さずにはいられなかった。隠し撮りをしていた後ろめたさがそうさせるのだ。 『でもこんな可能性はどうだ?』 「まだ続ける気か?」 『まぁまぁ、これで最後だから。ふつう写真を撮られると分かっているときはほぼ間違いなくレンズを見るだろう。芸能人なら多くの場面でカメラ目線になる。それが一種の魔除けになっていると考えたら……』 「もうやめろよ。切るからな」 『悪い悪い。じゃあ、写真たのむな。前撮り中の写真が遺影だなんて悲しすぎる。なら一枚くらいベストショットがあるだろう? ずっと隠……』  ブツッと電話を切った。  まったく、ふざけたヤツだ。  オレはふたたびカラケーを手に取る。映し出された「彼女」はつねにカメラの外を見ている。当然だ。隠し撮りなのだから気づかれてはまずい。  もしヤツの言うとおり、写真1回につきいくらかの寿命を削っていたのだとしたら……。  それが事実なら、オレは知らず知らずのうちに彼女を……いやいや、縁起でもない。  ふと、ある写真に目がとまった。  臨海学習中の写真だろうか。  浮き輪に乗って波間を漂う彼女をおさめた写真がある。  見ている。  写真の中の彼女がオレを見ている。  何かを言いたげな目で、じっと、にらんでいる。  唇がうごいた。  ひとごろし。 「――!」  どきっとしてガラケーを閉じた。  室内は冷えきって寒いくらいだというのに汗が止まらない。  落ち着け。  落ち着け。  一度トイレに立ってから、ふたたびガラケーを手に取った。  初期画面に戻ってしまったので、フォルダをひらいて先ほどの写真を探した。  汗ばんだ指先で写真をクリックし、安堵した。  波間に浮かぶ彼女はオレを見てはいなかった。たんなる見間違いだ。  いや……、本当はどうなのだろう。  もしも、写真を撮るたびに魂を吸い取っていたのだとしたら、少なくともオレのガラケーには200枚分の魂が閉じこめられていることになる。  オレはスマホを操作してアルバムフォルダーを開いた。  リクルートスーツを着て会社見学に向かう彼女、カフェでコーヒーを飲む彼女、部屋でうたた寝する彼女……何千枚にも及ぶ彼女。  一番新しい日付は三日前。  アパートの部屋を出た彼女が、エレベーターに乗り、タクシーをひろって貸衣装屋に入るところまでで100枚。撮影場所に移動して様々なポーズを撮るところで300枚。  最後の一枚は、ウェディングドレスに身を包んだ彼女が胸を押さえてうずくまる場面をとらえていた。  苦痛と恐怖に歪んだ目がオレのカメラをまっすぐ見ている。これまで何千……いや何十万枚と撮影してきて初めてのカメラ目線。 「……ははっ」  思わず笑いがこぼれた。  これが笑わずにいられるか。  卒業してからも夢中で追いかけ続けた彼女の魂は写真の中にある。  オレはようやく彼女を手に入れたのだ。
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