私が 泣いた 理由

2/2

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
「そういえば、りりちゃんは、どうして今日は早くに来たの?」  いつも会う曜日じゃないし、そもそも、まだ学校の時間じゃない? そうなつきちゃんが聞いてきた。そう、本当はまだ授業中。私は、特別な用事があって、それが済んだから早退してきた。用事、それは― 「実は、今度引っ越すことになってさあ。だから、今日は転校のあいさつだけで帰ってきたの。それから家を抜け出して、ここに来たってわけ。より子さんにあいさつしにね。なつきちゃんにも会えて、本当によかった、ちゃんとさよならのあいさつがしたかったし」  そう、引っ越す。明日。今の学校では、もう授業は受けない。 「え? 引っ越す? りりちゃん、いなくなっちゃうの!? いつ!?」 「明日。だから、今日でお別れだね」 「明日? ええ? 遠くに行っちゃうの? どうして? どこに?」 「さあ? 引っ越しは、前から決まっていたんだけどね、明日ってことは、昨日、突然言われたの。理由は、お母さんの『りこん』、どこに、は知らない。ただ、外国ってだけ。いくらなんでも、大雑把過ぎるよねえ(笑)。  …お母さん、私にはなんにも説明しない。だいじょうぶ、心配ないからねって、そればっか。お姉ちゃんも、あんたは子どもなんだから何も考えなくていい、考えたってしょうがないでしょ、って、そればぁぁっか!!」 「…大人あるあるだよね。子どもは気にしないでいいの、って何も言わない。それって失礼じゃない? 子どもだってとーじしゃなのに」 「とーじしゃ?」 「うーん、ええと、関係あるってこと。親の都合で引っ越したり家族と離れたり新しい家族ができたり、子どもはそれに振り回されるでしょ?」 「ああ、確かに」  関係おおありなのに、関係ないとか言われて何も知らされなくて、不安になるし気分悪いわ―。  ぷりぷりしながら言うなつきちゃんの言葉を聞きながら、さっきのなつきちゃんの話を思い出した。引っ越すと知らされないまま、ちゃんとお別れのあいさつできないまま、おばあちゃんちをさよならしたって。  今なつきちゃんが怒っているのはそのせいもあるんだろうけど、でもその怒りの何割かは、私のためということもわかって、嬉しくなった。大好きななつきちゃん。優しいなつきちゃん。…そう、もう会えなくなるんだ、寂しいなあ。でも、ちゃんとお別れができてよかった、ほっとした。  だけど、なつきちゃんは、そんな急にお別れなんて、寂しいよ、と呟いている。より子さんも、そうね、寂しいわね、と、しんみりと言った。離婚は、子どもにはつらいわね、と。  そんなことを言われて、思わず目の奥が熱くなって潤みそうになった。だけど、一緒に落ち込むわけにいかない。ぐっと、目とお腹に力を籠める。だいじょうぶ、絶対泣かない、私は、できる! さっきだって、学校で、みんなと明るくさよならしてきたんだもの、ここでもそうしなくちゃね。  何とか涙を引っ込めて、何でもない顔で、何でもない声で、言った。 「うん、より子さんやなつきちゃんとお別れは寂しいけど。でもまあ、別に、親の離婚なんてたいしたことじゃないわ。だってね、今どき、最後まで離婚しない夫婦のほうが珍しいんだから。10組のうち7組が、離婚するんだってよ?」 「へえ!?」 「お姉ちゃんがそう言ってた。よくある話、全然たいしたことじゃないんだから、悲しむのは変よ、って」  そう、よくあること、当り前のことなんだから、当り前に受け取らなきゃ。  だけど、より子さんは言った。いつもとは違う、ちょっと厳しい顔で。 「…どんなに離婚が当たり前になったとしてもね、あなたが自分の両親の離婚を当然のこととして受け入れるべき、なんてことは決してないのよ。あなたにはね、怒ったり悲しんだりする権利がある」 「けんり?」 「そうよ。たとえ世界中のすべての夫婦が離婚することになったとしても、それが自分の身に降りかかった子どもは哀しいし切ないわ。その気持ちを否定するなんて許されないことよ」 「けんり…」  怒っても悲しんでもいい、より子さんは言う。その言葉は、心の中に小さな波を起こしかけたけど、私はあわてて首を振った。 「そうかもだけど、でも、怒っても悲しんでも無駄だわ。決まったことは変えられないもん。それにね、私、本当に平気なの。学校のみんなにも、より子さんにも、なつきちゃんにも、ちゃんとお別れのあいさつができたし」  そう言って、笑ってみせた。だいじょうぶ、私は、できる。  急に足に冷たい感覚。チロが、私の足に鼻先をぐいぐい押し付けていた。揺れる尻尾と見上げる瞳。なつきちゃんは言った、チロは私のことが好き、と。小さな、甘い、鳴き声。撫でるの、やめないで? って言っているみたい。再び手を動かすと、またごろんとなって、嬉しそうに目を細めた。  初めて会ったころはすぐにどこかに隠れちゃって、全然触らせてくれなかったのに。私たち、いつの間にこんなに仲良くなったんだっけ?  …急に、心臓がドキンとした。そうだ、チロにも、もう会えない。  私は今日、みんなにお別れを言った。明日から会えないと、伝えた。ちゃんと、さよならをした。でも。チロは? チロには、わからせられない。  私が急に来なくなったらどう思うかしら。  私に、嫌われたと思う? そんな私のことを、嫌いになる?  違うの、チロ、違うの、大好き、ずっと大好き、だけど、行かなくちゃならないの―。  お願い、忘れないで、ううん、忘れて、来なくなった私のことで哀しく辛くなるのなら、心の中から、私の存在、全部消して。  本当は忘れてほしくないけれど、でも、チロがつらいのはもっと嫌―。  頭の中を、同じ考えが行ったり来たり、ぐるぐるぐるぐる回る。 「理不尽よね、この世界は」  より子さんの、静かな声がした。 「りふじん?」 「そう。理不尽」  意味は分からなかったけれど、でも、それが今の私の思いを示す言葉なんだろうということが、なぜかすんなり納得できた。  私がいなくなって悲しむなんて、うぬぼれかなあ? 笑おうとして、失敗した。目の表面が熱くなって歪んで、水滴が落ちた。 「ここでも、学校でも、みんなには、お別れ言えたけど」 「…うん」  視線を落として、地面を見つめながら言う。ぐっと目に力を入れて。 静かに、より子さんが相槌を打った。なつきちゃんが、鼻をすする音がした。 「でも、チロにはわかってもらえないね。どうしたらいいかわからない。せめて、チロが悲しまなければいいと思うけど」  難しいかなあ?  誰も応えない。なつきちゃんが、も一度鼻をすすった。より子さんが、私の頭にそっと手を乗せた。チロがぱたん、ぱたんと尻尾を振った。頭上で木々が、ざあっと揺れた。私は深く呼吸をした。すべてを、しっかりと記憶するために。  チロ、チロには、お別れが言えないんだね。チロ、子どもって、無力だ。  これが、私が泣いた理由―。 FiN
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加