私が 泣いた 理由

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 “森”を抜けて、“庭”に入る。秘密の庭、より子さんの庭に。 「りりちゃん!」 「なつきちゃん! 来てたんだ!?」  いつもなら授業の時間なのに、今日は来る曜日じゃないのに、そう思って聞いたら、なつきちゃんは笑って、今日は説明会だけで終わりだったの、と言った。 「説明会?」 「うん、二分の一成人式の。うちの学校は、秋にやることになってて」  本当の成人式をする18歳の半分の年齢、9歳のときに行う二分の一成人式は、人気のイベント。ここぞとばかりに子供を着せ替え人形にしたがる大人が多いみたい。 「へえ? 学校によって違うんだね」 「そうなの? なんでかな? …成人式ね、着物の子も多いけど、私は洋服かな。着物は、似合わないから」 「そうかな? そんなことないと思うけど」 「そうかな? だって、私、外人っぽい顔だし…」  なつきちゃんは、人形のように可愛い顔をしている。色白で、高い鼻、大きくてパッチリした、長いまつ毛に縁どられた二重の目、ふんわりした茶色の髪。まるで生きた西洋人形。なのに、本人はそれが好きじゃないみたい。 「私、たぶん、お父さん似なのね。…お兄ちゃんも葉月も、和風の顔。お母さんも、今のお父さんも。私だけ、違う」  なつきちゃんのお母さんは、なつきちゃんが生まれたばっかりのころにシングルマザーになった。なつきちゃん、前に言ってた、お父さんのことは何も知らない、お母さんは何も言わないし、私も聞いちゃいけない気がしているから、と。 「まあ、考えたってしょうがないよね」  誰がお父さんでも、私は私よ! そう言って笑ったけれど、自分だけが今の家族の中で違う、という思いは、なつきちゃんの頭から離れることは無いみたい。  …教えてあげたらいいのに、と思う。なつきちゃんのお母さんは何も言わない。だから、なつきちゃんも何も聞けない。気にならないふりをするしかない。まるでなつきちゃん自身の意思で、そうしているかのように。  大人ってさ、いっつもそう。自分がどうしてほしいか決まってるくせに、それは言わないで、子どもが察してそれに従うように仕向けてくる。ずるいよね。 「あら、りりさん! 来ていたの?」  より子さんがやって来て言った。 「より子さん! はい、お邪魔してます」  そう言うと、より子さんはにっこりと笑った。  より子さんは、この庭の、というか、このお屋敷の主。おととし、うっかり庭に迷い込んだ(だって、垣根が無いんだもの)私を歓迎してくれて、私たちは仲良くなった。次の年にはなつきちゃんが、やっぱり同じように迷い込んできて、以来、私たち3人はこの庭で一緒に楽しく過ごしている。わざわざ会う約束はしない。とはいえ、より子さんは大抵家にいるし、なつきちゃんは習い事のない日、つまり同じ曜日に来るから、だいたいいつも会えるんだけど。  ともあれ、ここではお互いがお互いのよき理解者。私となつきちゃんは同い年でより子さんは80歳くらい年上(!)だけど、ばっちり気が合っている、と思う。  私たちのことを、より子さんは“ちゃん”付けで呼ばない。一人前扱いされているようでちょっと嬉しいね、と、前になつきちゃんと話をしたことがある。でも、私たちがお互いをそう呼ぶのはなんかちょっとむず痒い気がしちゃうから、一度だけ試してなぜか2人して思い切り赤面して、それからは“さん”じゃなくてちゃん付けで呼び合っているけど。 「今日は元気そうね。あなた、このところずっと元気がなかったから」 「ええ、まあ」  笑顔を作って、曖昧な返事をする。気付いていたのか―。そう、ここ1ヵ月、私はずっと、ちょっとだけ、落ち込んでいた。顔や態度に出さないように、すごく気を付けていたつもりだったんだけど。より子さんは鋭い。 「今、二分の一成人式の話をしていたの」 「あらそう」  より子さんが二分の一成人式したのは、もう80年近く前よね。どんな感じだったのかな? 「より子さんのときは、二分の一成人式、どんなだった? どんな格好したの?」 「特に何も」 「「え? そうなの?」」 2人の驚きの声が重なった。より子さんはおかしそうに笑って、 「そうよ、そんな余裕、なかったもん」 と言った。  そんな風に3人で話をしていたら、どこからともなくチロがやってきた。私の隣に来て、ごろりと寝転がってお腹を見せたので、わしゃわしゃと撫でてやる。気持ちよさそうに細くなる目と、きゅっと上がった口元がとっても可愛い。 「チロは、りりちゃんが好きだよね」 「そうかな?」 「そうだよ。こんな風にお腹を見せるのは、信頼している相手だからだもん」  お腹は急所だからね、となつきちゃんは言う。 「りりちゃん、ペット飼ったことある?」 「ない」 「ないんだ?」 「うん。そんな余裕なかったし」  ペットも飼えない暮らしが、今なお世の中には割とある。って、なつきちゃんは知ってるかな。知らないかも。いいとこのお嬢様って感じだもんね。いろいろ習い事してるし、中学受験のための家庭教師がいるって言ってたし。 「なつきちゃんは?」 「うーん、あるような、無いような?」 「なにそれ?」  ちょっと笑った。なつきちゃんとより子さんも、つられて笑う。 「おばあちゃんちにね、犬がいるの。赤ちゃんのころからこっち来るまで、ずっと一緒に暮らしてた。でも、むつきはおばあちゃんの犬だし、私が飼ったことがあるかどうかと言うと、ちょっと違う気がする」 「犬? どんな?」 「大きい犬、私より大きかった。今は、私も大きくなったけど」  笑いながら手で大きさを示していたなつきちゃんの表情が、ふ、と曇った。 「…こっちに引っ越すとき、まだ小学校に上がる前だったかな、お母さんが言ったの。おじちゃんちに、お泊まりに行かない? 遊びにおいでって言っているんだけど、って。だから私は、うん行く! って応えた。  あ、おじちゃんていうのはね、今のお父さん。お母さんと結婚する前、何度か会って、3人で遊びに行ったりしたんだ。優しくて大好きだったから、遊びに行くの嬉しかった」  “お見合い”ね、と思う。よくある話。親の再婚なんかで、新しく家族となる人と子どもが馴染めるようにする―。 「そのときの私は、何日か遊びに行って、すぐ帰ってくるつもりだった。だから、おばあちゃんにもむつきにも、じゃ行ってきます! とだけ言って来てしまった。  それからも、夏休みとか冬休みにはおばあちゃんちに戻って過ごしているけど、だけど、あれは騙し討ちだよね。今でも思い出すと腹が立つ!」 「あ~、ね~…」  ちゃんと説明すればわかるのに、少なくとも、わかろうとがんばるのに。大人はそこを省いてしまう。言うとダメって言うだろうとか、言っても無駄とか、そんな風に勝手に決めつけて、子どもを蚊帳の外に出してしまう。  …余談だけど、より子さんとこで初めて、蚊帳というものを見た。なつきちゃんと2人、入れてもらったんだけど、これは楽しかった! 昔の人ってすごいなあ、って思ったよ。 「むつきはねえ、私といつも一緒で、弟みたいに思ってたの。赤ちゃんのときからずっと一緒だったから、離れ離れはすごく寂しかった」 「弟ねえ」 「今は妹がいるけどね」 「ああ、はづきちゃん? 今、何歳?」 「2歳。ギャングだよ(笑)」 「ああ、子どもはしょうがないよね(笑)」  そう言って笑ったら、より子さんが笑い出した。 「あら、あなたたちだって、ほんのちょっと前はそうだったでしょ?」 「より子さん、ちょっと前じゃないよ、2歳って言ったら、もう7年も昔」 「7年前なんて、私にはほんのちょっと前に思えるけどね」 「ええ? どうして?」 「そうね、長く生きるとそうなるのよ」 「「ふうーん?」」 「…私も、若いころはわからなかったわ。つまり、あなたたちにもそのうちわかる日が来るってことよ」  ここじゃないどこか遠くを見るような表情で、より子さんが言った。そうなのかなあ? 不思議顔で、なつきちゃんが呟いた。
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